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 平原遺跡の奥地、鬱蒼(うっそう)と緑が生い茂る樹海は静けさに包まれていた。
 草花はもちろん、虫や鳥でさえ息を潜めてしまった静寂。
 その中を進むラケルは、異様な雰囲気を肌で感じて手に汗を握る。
 ナグリ村での盛大な宴から、既に数日が経っていた。バルバレへとやってきた筆頭代理チームは、すぐさま樹海への探索を開始したのだった。
 そこに、自分たちが探して求める、危機の根源があるかもしれないから。
「あーあ、自分もナグリ村に残りたかったッスー! 船を作るの、見たかったッスー!」
 隣では重装甲をガシャガシャ鳴らしながら、不満たらたらのクイントが並んで歩く。彼女はナグリ村を早朝に出た数日前から、ずっとこの調子なのだ。先を行くイサナが肩越しに振り返り、穏やかな苦笑を零す。
 そんなイサナを追い越すや、振り向き後ろ歩きにクイントが肩を竦めた。
「だいたい、なんで自分がこんなドサマワリをしなきゃいけないんスかあ」
「……すまぬ、クイント殿。大老殿ハンターたる貴殿をつきあわせてしまって」
「あ、いや、そういう意味じゃないスけどぉ。久々にフリーになったからには、もーすこし骨のある狩りがしたいッスよ! あと、酒池肉林とか!」
「最後のは関係ないように思うが。やれやれ……ラケル殿?」
 イサナに呼ばれてラケルは歩調を速める。そうして並ぶと、長身のランポス侍を見上げて微笑んだ。
「ま、気楽に行こうよ。この事件はあたしたちのような腕っこきじゃないと、恐らく……命を落とす。そういう狩りだってことはクイント、わかってるんだよね?」
「わかってるスけどぉ〜、なんつーんスか? ロマンス成分が足りなすぎるんスよ」
 頭の後で手を組みつつ、まだまだ背面歩きでクイントが唇を尖らせる。こういうところは子供そのもので、時折子供以下で。しかし、彼女が求めているのは大人の男女の交わりなのだ。……ぶっちゃけて言えば、性欲と食欲だけがクイントの本質とも言えた。
「イサナんは奥さんがいるし、ラケルんは身持ちが堅いし……あーもぉ、バルバレに戻ったらぱーっと遊びたいス〜」
 そう言って器用に歩くクイントが、そのまま岩にゴン! と背中をぶつけた。
「っとっとっと、あぶねっス〜! 誰スか、こんなとこに岩を置いて。マジで大自然ってむかつくッス〜」
「あっ、ちょっと待ってクイント、それ……」
「うむ、クイント殿! それはもしや――」
 遅かった。
 クイントは「こんにゃろッスー!」と、振り向くなりその巨岩を蹴り飛ばした。
 次の瞬間には、彼女は隆起した地面に脚を取られ、突如としてせり上がった岩に吹き飛ばされる。言わんこっちゃないと思ったが、即座に身構えるイサナだけが頼もしい。
 それは、もうすぐ成体であるグラビモスにならんとするであろう、巨大な岩竜(いわりゅう)バサルモスだった。
「ラケル殿! 私が注意を引きつけます、クイント殿を!」
「あー、大丈夫っしょ。腐っても大老殿ハンターなんだから。それより――」
 太刀を抜くイサナも「確かに」と短く言葉を切って頷いた。扱いはぞんざいなラケルだが、クイントの腕は信用している。イサナにいたっては、全面的な信頼を寄せているのだ。
 それは、彼女があの大老殿ハンターだから。それ以前に、クイントだから。
 独立自治区にして対古龍迎撃用城塞都市、ドンドルマ。その特異な街を治める大老殿おかかえの、選ばれし最精鋭……それが大老殿ハンター。クイントは古龍観測所にも顔が利く、一流のモンスターハンターだった。……腕だけは。
「痛いッスー、なんスかもぉ! 最近の自分、いいとこなしッスね」
「さぁ? 日頃の行いが悪いからかな」
 クスクス笑ってラケルもライトボウガンを構える。素早く弾丸を装填すると同時に、走り出すイサナと逆に位置取り射線を確保。こういう互いのポジショニングを無意識にやれてしまうあたり、イサナもラケルも超一流のモンスターハンターである。本来ならば、こうした在野で働く腕ではない。それでも今、ラケルは望んで筆頭代理チームの筆頭ガンナー代理を引き受けていた。
 イサナやクイントに事情があるように、ラケルにもまた事情がある。
 自らをラケルと名を偽って、傭兵団《鉄騎》のレイチェル・ライネックスをやめる理由があった。
「散開! ……ビンゴだ、こいつを捕獲するよっ!」
 ラケルが声を張り上げると同時に横転で身を投げ出す。
 今まで立っていた場所に、バサルモスから吐き出された炎が火柱を屹立させていた。グラビモスの幼竜とはいえ、ここまで巨大なバサルモスをラケルは初めて見る。
 そして、その口元から黒いもやのようなものが煙っているのを見逃さない。
 ラケルは腰だめに通常弾を連射しながら、確信した。脳裏をよぎる、あの忌まわしい単語。
 ――狂竜ウィルス。
 それは、いつ誰が言い出したかさえ定かではない。しかし、この世界の片隅で生まれて蔓延を始めた、恐るべき脅威の名。感染した生物は、もれなく凶暴化するか……もしくは、弱り果ててウィルスに負け、死んでゆく。凶暴化の果てにあるものもまた、暴走した末の死だ。
 そして何より恐ろしいのは、狂竜ウィルスはあらゆる種に感染する――そう、 ()()()()
「くっ、不覚っ! ……なんだ、力が。これは!?」
 回転する尾の一撃が、イサナを掠めた時……彼ほどの猛者ともあろうものが、一言発してその場にストンと崩れ落ちる。
「イサナ、ウチケシの実を!」
 同時にポーチごと手持ちのアイテムを放り投げて、突進してくるバサルモスから逃れる。
 岩竜バサルモスは比較的狩るのが容易なモンスターとされるが、その甲殻はグラビモスよりも硬い。あらゆる刀剣を弾き、弾丸さえも跳ね返すのだ。
 だが、ラケルは冷静に比較的柔らかな腹部へと火線を集中させてゆく。
 そして、声を限りにもう一人の仲間へと叫んだ。
「クイィィィィント! そろそろ働けっ、頼りにしてんだぞ!」
 その声に剛撃の返事が響く。
 巨大な蛮刀を振り上げるや、クイントは手近な段差から渾身のジャンプ斬りを放った。
「任せるッスよぉ! っとぉ、乗り損ねたっ、けど……そこから必殺のぉ、大回転斬りッス!」
 着地と同時に、縦への力のモーメントが横軸へと捻られる。全身の筋肉を躍動させたクイントは、遠心力を利用して振るわれたオベリオンが唸りを上げた。力任せの一撃が腹部の甲殻を木っ端微塵に砕き散らす。
 すかさず貫通弾を装填したラケルは、正面に滑りこむや銃爪を引き絞った。
 高速で回転する貫通弾がライフリングから飛び出し、決定打の一撃となって突き抜ける。
「よっしゃあ、ここでクイント様がぁ! トドメのぉ! フルパワー斬りッスよぉ!」
「おーい、クイント? 捕獲するってば。イサナ、立てる? 捕獲玉お願いねっ」
 てきぱきと指示を出しつつ、ライトボウガンを背負い直してラケルが走り出す。素早く膝をついたバサルモスの腹下に潜り込んで、シビレ罠を設置した。それは、イサナがポーチから捕獲用麻酔玉を投げつけるのと同時。
 こうしてバサルモスはぐらり揺れると、寝息をたてて崩れ落ちた。
「っしゃあ! 楽勝ッス! ……イサナん、大丈夫スか?」
「うむ、ウチケシの実が効いたようだ。心配をかけてすまない……私もまだまだ未熟ッ!」
「気にしない気にしない、結果オーライなんスから」
「いや、引き締めてかからねば……油断は命取り、それが狩場ゆえ」
 また大げさなとクイントが笑ったが、ラケルも概ねイサナに同意だ。ただし、必要以上に気負っては普段通りの力が出し切れないのもまた事実。とはいえ、予想外の苦戦はあったものの、無事に捕獲は完了。彼女たちの秘密任務、狂竜ウィルス感染個体のサンプルは手に入った。
 だが、その時イサナが気になることを言い出した。
「クイント殿、違和感は? この感染個体……挙動が妙だった。突如瞬発力が上がったかと思えば、急に動きが散漫になる。そういうこともあるということか……?」
「ほへ? いやぁ、自分ぶった斬るだけスから。細かいことはわかんねーッス!」
 そういえばとラケルも、先ほどの戦いを思い出しつつ……手をパンパンと叩く。
「さ、リザルトは帰ってからゆっくり語らおう。酒でも飲みながらね。急ぐよ、この個体……もう長くは生きていられない」
 ラケルたちが浴びせた傷もあるが、それ以上にもうウィルスの侵食は見るからに明らかだ。そして、この日から狂竜ウィルスと人類の戦いは新たな局面を迎えるのだった。

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