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 氷海での危険な狩りを終えたオルカたちは、チコ村へと無事の帰還を終えていた。
 村長以外、アイルーしかいないこの不思議な村は、オルカたちの狩果で沸き立っていた。ザボアザギルが貴重な素材をもたらし、イサナ船の修理もどうにかめどがたった。そればかりか、ザボアザギルは珍味らしく、村をあげての歓迎祭が行われようとしていた。
 この()(ざめ)が危険な狂竜ウィルス感染個体であったことは、四人の胸にしまわれた。
 また、狂竜ウィルスはどうやら、宿主が死ぬと完全に消滅してしまうらしかった。
「遥斗! さあ、食べてください! フカヒレです。エルが煮込みました!」
「あ、ありがと……その、凄い大きさだね。あの、他のみんなにもわけないと」
「そうでした! では、切り分けますね。遥斗には一番おっきーのをあげます!」
 満天の星空のもと、篝火を囲んで料理と酒が行き交う。
 オルカはそんな宴の端っこに腰掛け、賑やかな一同へと目を細める。アズラエルは静かにキヨノブの隣に寄り添っていたし、ジンジャベルはト=サンやミラと一緒に巨大な鍋を囲んでいた。世話好きなノエルは先程から、アイルーたちと器を運んでてんてこ舞いだ。
 平和な夜、空を見上げれば星々の巡りも今までとは違う軌跡をゆっくり刻んでいる。
 思えばずいぶん遠く、遥か南まできたものだとオルカは独りごちるのだった。
「旦那さん、飲んでるかニャア〜?」
「ザボアステーキも食べるニャ。ニコゴーリも美味しいニャン」
 ふと背後で声がして振り向けば、四匹のネコたちが酔いどれ姿で肩を組んでいる。再びオルカのオトモとなってくれたトウフと、その仲間のテムジン。そしてアズラエルのユキカゼに、執事ネコのアルベリッヒだ。
「あれ、ニャンコ先生は?」
「団長さんと難しい話をしてるニャ」
黒触竜(こくしょくりゅう)がどうとか、狂竜ウィルスがなんとか、そういう話だニャン」
 マタタビ酒をずいぶんと飲んでるらしく、四匹は上機嫌でふらふらとオルカによじ登ってくる。そんな小さな仲間たちを順々に撫でてやりながら、オルカは膝の上のトウフの喉をゴロゴロとくすぐった。
「そういえばテムジン、サキネさんは元気かい?」
「ニャ、ボクの旦那さんは今、育休ニャ。元気な男の子が生まれて、子育てに忙しいのニャ」
「そっか、よかった。じゃあ千代丸と仲良くやってるんだね」
「見てて恥ずかしくなるくらい、ラブラブなんだニャア〜」
 テムジンのパートナー、サキネは竜人族のハンターだ。両性具有の竜人希少種なのだが、伴侶を得て今は幸せに暮らしているらしい。かつての仲間が家族に恵まれて、オルカも嬉しかった。
 そしてふと、自分の家族を思い出し、実の兄を想う。
「……イサナ兄さんは元気だろうか」
 オルカの兄イサナは、今はドンドルマの大老殿を追われる身だ。我らが団の筆頭ハンター代理として、黒触竜ゴア・マガラの行方を探しているとも聞いている。先日は思いがけない再会をしたが、兄は久方ぶりに会った時間の空白を瞬時に埋めてしまうくらい、以前と変わらぬほがらかさの持ち主だった。
 その兄も今、同じ星空の下にいるのだろうか?
 ふと、傾ける(さかずき)を止めてオルカは物思いに耽る。
「オルカ! 黄昏(たそが)れてますね、オルカ。これ、フカヒレです!」
「わっ、エ、エル!?」
「たーっくさん、食べてくださいね! エルが煮込んだのです」
「あ、ありがと……」
 突然、視界にグッと緋髪の美女が顔を近付けてきた。
 相変わらず無駄に顔が近いエルグリーズが、フカヒレの皿を押し付けてくる。受け取りつつのけぞるオルカは、そういえばこの女ハンターがゴア・マガラの最初の接触者だったことを思い出す。
「エル、その後は身体の具合はどうだい? その、体調不良とかは」
「その後、ですか? はい! すこぶる元気です! 元気、元気!」
「……ゴア・マガラと戦ったあの船上で、狂竜ウィルスには感染しなかったのかなあ」
「そういうのはなかったですね。なんか、ニャンコ先生は言ってました! バカは風邪引かないって!」
「や、風邪じゃなくて狂竜ウィルス……いや、待てよ」
 ふと気がかりなことがあって、オルカはエルグリーズの両肩に手を置く。そうして適度な距離へと突き放してから、小首をかしげる美麗な白い顔をじっと見詰めた。
 エルグリーズは不思議そうな顔で、オルカを見詰め返してくる。
「エル、君は……その、煉黒龍(れんごくりゅう)グラン・ミラオスの」
「はい! コア・ユニットとゆーか、まあ、エルが煉黒龍そのものみたいな感じです!」
「……その、気に触ったらゴメンよ。君はある意味、古龍みたいなものだから」
「ああ、そうですね。確かにエルの身体は、人間とは全然違います!」
 最大限に気を遣いつつ言葉を選んでいるのに、当のエルグリーズに気にした様子は見られない。こういうことにはあまり無関心で無頓着なのが、エルグリーズという女性だった。
 奇妙な安堵感に手応えを感じつつ、笑顔のエルグリーズにオルカは言葉を続ける。
「狂竜ウィルスは、ひょっとしたら古龍種には……いや、早計かもしれないけど」
「ふむ! ふむふむ! ふむむー……えっと、つまり? オルカ、わかりやすく言ってください! エルにもわかるよーに」
「い、いや、単純明快な話なんだけど。エル、君はゴア・マガラと戦って、全く狂竜ウィルスの感染症状を見せなかった。つまり」
「バカは風邪引かないんです! ぶいっ!」
 話が微妙に通じない中、エルグリーズが自他共に認めるバカなのはわかった。それだけはオルカには理解できたし、再確認もしたのだった。
 だが、バカの意味がわかっているのかいないのか、鼻息も荒くエルグリーズは得意げで。その笑顔もしかし、篝火の照り返しに微妙な陰りを見せた。
「……エルの記憶と知識に、あんな飛竜も古龍もいなかったです。だから、あれが飛竜側だったのか古龍側だったのかも、よくわからないのです」
「エル……」
「かつて太古の昔、この星を二分する戦いが激化する中、様々な飛竜種や古龍種が生み出されました。エルもその一つです。でも……エルにはゴア・マガラがわからない。これって、凄く怖いです!」
 気付けばオルカは、触れてるエルグリーズの肩が震えているのを感じ取った。
 そして、同時に鋭い視線を察して背後を振り返る。
 そこには、じっとこちらを見詰めるミラの姿があった。彼女は、ト=サンが声をかけるとそちらの方へ行ってしまう。オルカの胸に、言い知れぬ奇妙な違和感だけを残して。
 ミラの暗い双眸も気になったが、目の前のエルグリーズの言葉がオルカを現実へと引き戻す。
「エルは、グラン・ミラオスは殲滅用の決戦兵器です。そして、エルが飛竜を駆る者たちに敗れて眠りについたあとも、戦いは続きました。もしかしたら――」
「ゴア・マガラは、エルが永い眠りについた、そのあとに造られた存在……かもしれない」
「どちらの陣営が生み出したのか、それすらわかりません。四肢とは別に翼を持つ、あの姿は古龍のようにも見えますが、飛竜種と同等のサイズ、重量とも感じました」
 遥か太古の昔、今は滅びた旧文明の人類がこの星を巡る戦争に明け暮れていた時代。対立する双方は互いに飛竜と古龍を生み出し、ぶつけあっていたのだ。それはもう、誰もが記憶せず、思い出すことすら忘れてしまった過去だが。
 オルカはポンとエルグリーズの頭に手を載せ、気安く笑みを投げかける。
「ま、それがわからなくてもエルのせいじゃないさ。遥斗も色々調べてくれてるしね」
「……はいっ! 遥斗は今では、大老殿ハンターとして立派になったです。エル、惚れ直してしまったです」
「はいはい、ごちそうさん。……ん?」
 ふと、頭上に気配を感じてオルカは立ち上がった。
 同時に、傍らで酔っ払って転がっていたアイルーたちの中から、ユキカゼがジャンプで宙を舞う。彼はマタタビ酒に酔っていても、見事に飛来した矢文をキャッチした。脳天で。
「ニャニャッ……取り損ねたニャ。どれどれ……ニャフルッパアアアアア!? フギャー!」
 矢文の手紙を開くなり、ユキカゼは酒精を振り払って絶叫する。
 誰もが振り向き近寄ってくる中、彼は驚愕の内容を震えながら読み上げる。
「筆頭代理チームが……全滅したらしいニャア……」
 その一言に、オルカは凍りついてしまった。

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