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 街道の分岐点、砂海に面する港町バルバレのハンターズギルドは異例の賑わいをみせていた。
 この場所には今、勇猛果敢なハンターたちによって捕らえられた、黒触竜(こくしょくりゅう)ゴア・マガラが生きたまま身を横たえているのだ。遥斗が古龍観測所の派遣人員として施設を訪れた時には、ゴア・マガラは既に台車の上に二重三重のロープで固定され、低い唸り声をあげていた。
 未知の飛竜……飛竜であるかどうかも定かではないモンスターの捕獲は、ギルドの研究員たちのテンションを最高潮に盛り上げていた。
「でも遥斗、エルは行っちゃったけど……いいの? 一緒に行けばよかったじゃん」
 色々と手続きの書類をまとめていた遥斗は、ふと机の上で顔をあげる。
 筆頭ハンター代理の一人、ラケルがそこには笑顔で羊皮紙の束を抱えていた。
 ラケルやイサナは、怪我の治らぬクイントと共にこの地にまだ滞在していた。もとより筆頭チームの代理として、我らが団ハンターを補佐して動いていた三人である。その働きは勿論、ギルドの意に沿うものだったし、なによりゴア・マガラを追う旅でもあった。
 それが今、エルやオルカといったモンスターハンターの活躍により、一段落となったのだ。
「僕は、その……正直、一緒に行きたかったですけど。でも、いいんです」
「ほほー、また痩せ我慢しちゃってー?」
 机を立った遥斗の肩を、ガシリとラケルは抱いてくる。
 たちまち遥斗の鼻腔を甘い匂いがくすぐる。完全武装でライトボウガンを背負うラケルも、その実年頃の女性で、しかも美人だ。ドギマギとしながらも、遥斗は努めて冷静を自分に言い聞かせる。
 すぐ目の前、互いの呼気を感じる鼻先に端正なラケルの整った表情が微笑んでいた。
「遥斗、今からでも遅くないよ? 古龍観測所なら気球艇も手配できるんだし、エルを追ったら? あの子、ああいう性格だから……狩りのワクワクで君のこと、頭から抜け落ちちゃうぞ」
「エルは、前からそうですよ。こう言ったら言葉は悪いけど、夢中になると頭が空っぽになるんです……でも、そんな彼女が僕は好きですから」
「言うねえ、もー! かわいいなあ、遥斗……そかそか、ならまあ、いいってことにしよか」
 そう言ってバンバンと背中を叩くと、ラケルはいい匂いを微かに残して遥斗から離れる。
 遥斗だって、できるならエルグリーズを追って一緒に旅をしたい。彼女がまだ見ぬ辺境、未開の地……伝説でしかない竜人族の里を目指すなら、共に行きたかった。
 だが、遥斗には自分に課された任務もある。
 謎の脅威、ゴア・マガラの調査と真実の解明……そして、この不可思議な竜とも龍とも取れぬモンスターの実態を、古龍観測所に報告する義務があった。
 ただ、それでも胸に燻ぶる初恋の気持ちは、今もまだ初恋のまま。
 永遠の初恋を患うままに、遥斗はもじもじと俯き言葉を紡ぐ。
「それに、その……こう、どんな旅もいつかは終わるものですし、エルは無事に旅を終えると思います。だから、その時は……あ! なっ、なにを言わせるんですかラケルさん!」
「わはは、いいじゃない? そういうことにしとこーよ。そうかー、遥斗ってばかわいい顔して意外と……あの()、なかなかの難物だけど、上手くやりなよ?」
「……は、はい」
 ラケルはニヤニヤと笑いつつ、手にした書類の束をバン! と遥斗の胸に押し付ける。ゴア・マガラ捕獲の後処理はまだまだ山積みで、バルバレのギルドは今も大忙しだった。
「まあでも、縁があればいつでも会えるし、気持ちがあれば追いかけていけるさ。そういうの、わかるんだ……だって私も――」
 ラケルが不意に表情を和らげた、その時だった。
 不意に二人が身を寄せているギルドの事務室が、激震に見舞われる。天井のランプが大きく揺れて弧を描き、パラパラと天井からは細かな埃が舞う。そのさなか、よろけたラケルを支えようとした遥斗は、身長差の関係もあって全身で柔らかな身体を受け止める。
 悲しいかな、小さな遥斗はバランスを崩したラケルに押し倒される形で、床に倒れ込んだ。
「なっ、なに!? なんの振動? 地震、じゃないよね」
「ふぐっ、ふふーぐ! ふがが!」
「明らかに今の揺れ、この建物だけに響いた感じだった。その先は……第七倉庫? 生け捕られたゴア・マガラが安置されているとこだっ!」
「ふごご、ふがーっ! はあ! ふぅ……ラ、ラケルさん、怪我はないですか?」
「え? 私? ああ、うん、平気だけど。遥斗? わわ、遥斗ーっ!」
 遥斗は咄嗟に下になって、ラケルを受け止めてそのまま倒れていた。防具の上からでもわかる豊かな起伏の、その旨の双丘に顔を覆われてジタバタしていたのだった。だが、なんとか這い出て、同時に立ち上がるラケルを見上げる。
 事務所の外ではもう、突然の異変にギルドの職員が駆け足で行き来していた。
 誰もが血相を変えた表情で、右から左、左から右へと行き交う。
「だ、大丈夫です、ラケルさん。それより、なにが……」
「なにが、というより、なにかがあった! 遥斗っ、行こう! 第七倉庫だ!」
 咄嗟に走り出したラケルは、なるほど筆頭代理チームを任されるだけのハンターだった。突然の危機に際して、異変を察知した時の適応力が違う。驚き怯えることなく、冷静に状況を探りつつ行動は機敏だ。
 即座に部屋を出てゆくラケルは、出入り口で反転するや、そばに立てかけてあった遥斗のチャージアックスを手に、それを放り投げてくれる。遥斗が両手で受け取った、その時にはもうラケルの姿は第七倉庫の方へと消えていた。
 遥斗も急いでチャージアックスを背に背負うと、防具を身につける間も惜しんで走る。
 廊下に出ると、もうもうと煙が上がる中を職員たちが大混乱で走り回っていた。その混迷の廊下を、ラケルを追って急いで遥斗は走る。
「遥斗殿! この先でなにが? 先ほどの振動はいったい」
「イサナさん!」
 気付けば走る遥斗の横に、長身の男が並んでいた。きっちり防具に身を固めて太刀を背負うハンターは、筆頭代理チームのイサナだ。恐らく、彼もまたこのギルドであれこれ雑務に追われていたのだろう。
「わかりません、ただ……なにかが起こったということは確かです! そしてそれは、恐らく」
「囚われのゴア・マガラか!? 急ごう、この先だ」
 イサナが脚力を強めて風になる。その健脚を追いながら、遥斗は妙な胸騒ぎに心を狼狽えさせた。こんなにも妙な気配に落ち着かない、今までにない感覚が全身に広がってゆく。
 やがて、走る二人の目にラケルの背中が飛び込んできた。
 同時に、ゴア・マガラが安置されている第七倉庫へと飛び込む。
 そして遥斗は、ラケルやイサナ同様に言葉を失った。
「なっ、なんだこれは……うっ! この瘴気……!?」
 むせ返るような瘴気に、思わず肺が焼けるような痛みを覚える。灼熱の空気を吸い込んだかのように、喉が激痛に裏返る感覚。それでも、瞬きせずにはいられぬ激痛の中で、遥斗の目は驚愕の光景を見た。
 それは、白金(プラチナム)の輝きを広げる古龍……そう、ドラゴン。
 台車に横たわるゴア・マガラの抜け殻の上に今、巨大な古龍種が翼を広げていた。
「遥斗! 下がって、こいつ……飛ぶよっ!」
 ラケルの声に思わず、身体が反射的に後ずさる。
 同時に、床へと風圧を叩きつけると、巨大な金色の古龍は宙へと舞い上がった。そのまま高い天井へと首を巡らし、ガラガラと崩れ始める第七倉庫を上へと浮上し始める。
 周囲は既に大混乱で、ギルドの職員たちが逃げ惑っていた。
「退け、退けーっ! 退避だ! 下がれ!」
「くそう、貴重な検体が……見ろ、ゴア・マガラを脱皮した奴が、逃げる!」
「崩れるぞ、逃げろ! もう駄目だ、第七倉庫が崩壊する!」
 率先して職員の避難を手伝いながら、遥斗は見た。
 巨大な豪腕にも似た翼を広げる、黄金の巨躯を。
「遥斗っ! こっちだ、なにしてるの……早く!」
「遥斗殿!」
 ラケルやイサナの声に、思わず見惚(みと)れていた遥斗も慌てて下がる。
 ガラガラと音を立ててバラバラに引き裂かれる第七倉庫を脱して、漆黒の穢衣(ヴェール)を脱ぎ捨てたゴア・マガラは……かつてゴア・マガラだったモノは、遠く蒼天の空へと飛び去った。

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