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 深い深い(もや)の中、空飛ぶ船となったイサナ号がゆっくりと高度を下げる。
 その甲板上でエルグリーズは、身を切るような冷たい空気が和らいでゆくのを感じていた。高々度の凍れる外気に別れを告げて、仲間たちを乗せたイサナ号が降下してゆく。
 その舳先(へさき)に立って真っ赤な帽子を手で抑える団長が、並ぶハンターたちを振り返った。
「ガッハッハー! いいぞう、伝承通りだ……この雲と霧の中に、伝説の里がある!」
 その言葉は、胸を高鳴らせるエルグリーズの興奮を、否が応でも盛り上げてくれる。真っ赤なベストの団長が滾らせる、真紅の情熱にエルグリーズもまた(あぶ)られ煽られた。
 そして、視界の中に小さな小さな、僅かに細く見える白い闇の切れ間を見つける。
 アズラエルが舵輪を握るイサナ号は、静かにその先へと降りていった。
 やがて、目を凝らすエルグリーズの視界に、ぼんやりと小さな集落が見えてくる。
「わわっ、団長さん! あれ、あれっ! ひょっとして」
「ああ、間違いねぇぜ……あれがシナト村だ!」
 その里の名は、シナト村。
 世界に散らばる少数民族、竜人族たちだけが住むという伝説の集落だ。その存在を信じている者は少なかったが、こうしてみると真実は常に一つだと思い知らされる。すなわち、信じるか信じないか。確かめるか確かめないか。エルグリーズも狩りの仲間たちも常に前者を選ぶ、それを真っ先に信じるし、確かめるまでもないことだった。
 シナト村の家々が、並ぶ田畑までもはっきりと見えてくる。
 竜人の住民たちは皆、手を上げ指を向けてこちらに気付いたようだ。
「着陸態勢に入ります。オルカ様、ロープを」
「オッケー、アズさん! みんな、見惚(みと)れてないで手伝ってくれないか。忙しくなるよ、これから」
 眼下で走って集まる子供たちに手を振り返していたエルグリーズも、はたと気付いて働き出す。大勢の狩人を乗せたイサナ号の甲板上は、瞬く間に着陸準備で忙しくなった。ノエルやト=サン、ジンジャベルといった仲間たちも走り出す。
 エルグリーズも(アンカー)を降ろす巨大なレバーへと手をかけ、ゆっくりと回し始めた。
 イサナ号は静かに、村の外れの絶壁に寄り添うように接舷する。
 甲板が陸地の高さと並んだ段階で、板を渡した瞬間にもう団長は駆け出していた。
「せっかちだなあ、団長さんは相変わらず」
「オルカ様、我々も行きましょう。キヨ様! キヨ様、つきましたよ。……おかしいですね」
「いつもなら、我先にとヒョコヒョコ飛び出してきそうなもんだけどね」
 アズラエルは船体をロープで安定させつつ、オルカと一緒に首を傾げている。
 エルグリーズも不思議に思って、船内へと首を突っ込んだ。客室の方からヨロヨロと、青白い顔をしたキヨノブが登ってきたのは、そんな時だった。
「ウプッ、飲み過ぎたぜえ……しかも、なんて揺れだい」
「わわっ、キヨ! 飲み過ぎですか? 船酔いなんですか? 大丈夫でーすかー!」
「でけぇ声出すなや、エルちゃんよぉ。頭にガンガン響きやがる、うう」
 それでもキヨノブは、外の風に当たって高地の空気を吸ったからだろうか、少し気分が良さそうに外の景色へと目を細めていた。そんな彼の隣にいつものように、アズラエルが寄り添って一言二言と言葉を交している。
 エルグリーズも手早く荷物をまとめてシナト村に上陸しようと思った、その時だった。
「……ついに、来た。約束の地……回帰と輪廻(りんね)の行き着く場所、天空山」
 ふと気付けば、すぐ側にミラがいた。
 ミラは大きな瞳を暗く輝かせて、じっとエルを見上げてくる。
「約束の、地? それはなんでするか? ミラ、ねえミラ!」
「……わからない。気にしないで」
 それだけ言うと、ミラはまたト=サンの元へと行ってしまった。あの娘はどこか陰気で辛気臭いところがあるが、根はいい子なのだとエルグリーズは思いたい。よく仕事を手伝うし、ジンジャベルやノエルもかわいがっている。なにより、旅の道連れにと連れてきたト=サンが保護者代わりを努めていたし、ミラもよく懐いていた。
 ふむ、と腰に手を当て首を捻りつつも、エルグリーズは気を取り直して上陸する。
 久しぶりに踏む土の大地は、ひんやりと涼しい空気でエルグリーズを出迎えてくれた。のどかな田園風景は棚田が十重二十重(とえはたえ)に続き、その奥には巨大な寺院らしきものが見える。村の規模はそれほど大きくなく、せいぜい住人はいても百人前後だろう。
 恐らく訪れる旅人などいないに違いない。外界の人間が珍しいのか、竜人族の民はざわざわと集まっていたが、敵意は感じない。むしろ、僅かな好奇心をもって遠巻きに見守っていた。だからエルグリーズは、満面の笑みで大きく一歩を刻むと、周囲を見渡し声を張り上げる。
「こんにちは! はじめまして、エルグリーズです! モンスターハンターです!」
 警戒心というよりは物珍しさで取り囲んでいた竜人たちは、ざわめきを伝搬させて顔を見合わせつつも、エルグリーズを取り囲んで囁き合う。
 常に笑顔、ファーストコンタクトは笑顔が一番。そう思うエルグリーズを、イサナ号の上から仲間たちも見守っていた。
 そうこうしていると、手に(くわ)を持った長身の青年が一人歩み出る。
「やあ、旅人さん。ここはシナト村、閉ざされた竜人族の集落さ。ようこそ」
 そう言って白い手を青年は差し出してくる。
 エルグリーズはその手を握ろうとして、慌ててインナーの尻でゴシゴシ手を拭いて握手を交わした。背後ではアチャーという顔でオルカが額に手を当てていたし、アズラエルはキヨノブと一緒に肩を竦めていた。
 だが、エルグリーズは確信してた。
 大丈夫、うまくいく……悪意と敵意ではなく、好意でもって迎えてもらえる。
 そしてそれは、どうやら実現しそうだった。
 握手を交わしたエルグリーズと青年を取り囲んで、村人たちに笑顔が広がってゆく。
「ハハハ、とりあえず悪い人じゃないみたいだね、旅人さん」
「はいっ! エルたちは悪い人ではありません! ……いい人でいたいと思ってる系の、どこにでもいる普通のモンスターハンターです。我らが団っていう、旅団なのです!」
 エルグリーズは握る手に更にもう片方の手を重ねて、ブンブンと上下に揺すった。
 青年は嫌がる素振りも見せずに笑顔で、ちらりと背後を振り返る。
 彼の視線の先には、村の奥へと続く吊橋と、その先の巨大な建造物……あの、寺院のような荘厳な雰囲気の建物があった。
「お仲間さん、かな? 赤い帽子の旅人さんが奥へまっしぐらに走っていったけど」
「はいっ! 団長さんです。あ、ごめんなさい……団長さん、夢中になるとああなんです」
「はは、いいよ。悪い人じゃないのはもうわかったからね。ああいう子供みたいな目の人は、みんな無邪気でおおらかな人さ。きっといい友人になれると思うよ」
 嬉しい言葉に、エルグリーズの頬は緩んで笑顔になった。
 アズラエルやオルカ、そして狩りの仲間たちも上陸して、思い思いに歓迎を受けている。先程まであんなにゲンナリした顔をしていたキヨノブでさえ、早速竜人たちの女性へと目を光らせては、アズラエルに尻をつねられていた。
 エルグリーズは実感した……自分たちの旅はまた、新たな出会いへとたどり着いたのだと。
 そして思う……どこまで行くのだろうかと。どこまで進めるのだろうかと。
 それを決めるのはみんなの総意だし、それを汲み取り先頭へと立つのは団長だ。
 ならば、しっかりついて行こうと思っていると、
「そうだ、旅人さんはモンスターハンターなんだね? 丁度よかった、少し頼みがあるんだけど。突然の来客に不躾(ぶしつけ)で悪いね、ちょっと……私たちのお願いを聞いてもらえないかい?」
 不意に目の前の青年が、わずかに困り顔へと表情を曇らせた。
 瞬間、エルグリーズはピン! ときた。灰色の脳細胞がシワというシワに電気信号を走らせ、直感が働き始める。モンスターハンターに頼まれる仕事といえば、おおまかにいって一つしかない。
「実は、天空山(てんくうやま)に最近奇妙なモンスターが出てね。ババコンガなんだけど……村のハンターたちじゃ、太刀打ちできないんだ。ほら、天空山はあれだよ」
 そう言って青年が振り向き、伸ばした手で指差す。
 エルグリーズはその時、改めて見上げて言葉を失った。
 そこには、絶界の秘境たるシナト村の、その外界から隔絶された高さの更に上……遥か彼方の天空へと伸びて雲の中へと消える、巨大な山がそびえ立っていた。
 エルグリーズと我らが団の新たな冒険が、幕を開けようとしていた。

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