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 天空山……その名の通り、天を貫き突き立つ絶峰。その頂は雲の彼方に見えず、周囲には大小様々な岩盤が浮遊してはたゆたう。まるでここは異界……おとぎ話の世界か、夢の中の幻だ。
 だが、これが現実だということを、ジンジャベルは一人前のハンターとして己に言い聞かせる。
「結構冷えるなあ……クルクマ、ちょっと周囲をお願いね?」
 吐く息は白く、それを吹きかけてようやくかじかんた手と指とが仕事を思い出す。ジンジャベルはピッケルを持ち直すと、岩盤に突き出た鉱床の一部へと勢い良く振り下ろした。星屑が火花と弾けて、ころりと握り拳大の鉱石が足元に転がった。
 それを拾い上げるジンジャベルは、ああなるほどと思った。
 これは……採集というのは、やり始めると止まらない。あのエルグリーズがずっとハマって狩りに遅参するのも、それはそれで頷ける話だった。ピッケルを振るう、二度、三度と振り下ろす。すると、足元には鉱石がいくつも転がり、やがてちょっとした小山ができた。
「こっちのは見慣れたマカライトだけど、これは……新種、かな? ふふ、これはこれで」
 急いでジンジャベルは、アイテムポーチから古びた手帳を取り出す。旅団の看板娘が持ってる百科事典から、予め天空山について調べてきたことがメモしてあった。その中に、薄紫に光る見慣れない鉱石のことも書いてあった。
 メモしている時は聞き慣れなかった名前も、手にして薄い陽の光にかざすと、実感。
「へえ、これが……レビテライト鉱石! おお、ホントだ……ちょっと浮く!」
 手の中の鉱石は、わずかだが指と指の間をすり抜けるように滞空した。恐らく、この不思議なレビテライト鉱石が多く含まれる岩盤が、周囲の空中に浮いているのだ。
 そのまま見ていると、まだ雲の厚い空へと吸い込まれてしまいそうで……慌ててジンジャベルはレビテライト鉱石を掴むや、アイテムポーチへとねじ込んだ。そして、足元の鉱石を全て拾って分別し、種類ごとに大雑把に分ける。それもどうにかアイテムポーチの中のポケットへと放り込むと、本当の目的を思い出して気合を入れ直す。
 今日の狩りの獲物は、この天空山一帯を最近荒らしている桃毛獣(ももげじゅう)ババコンガだ。
 なんでも、竜人族の里であるシナト村付近まで降りてきて、田畑を荒らして作物を食い散らすらしい。そして、目撃証言によれば……見るも怪しい雰囲気をまとって、獰猛なその目は黒く濁っていたという。
「んー、前に見たイャンクック先生みたいな、あれかなあ……狂竜ウィルスの感染個体。うー、やだなあ。でも、ババコンガにまで感染するなんて」
 狂竜ウィルスはあらゆる生物に接触感染する。
 勿論、人間も例外ではない。
 これは気を引き締めてかからねばと、ジンジャベルはパシパシ両の頬を叩いて走り出す。……筈だった。だが、見慣れぬ虫がその時、目の前を通り過ぎる。
 間違いない、新種だ。
 きらびやかな緑色の甲殻は、まるで空飛ぶエメラルドのよう。ふわふわと漂う昆虫は立派な角を持ち、半透明の翼を小刻みに羽ばたかせている。
 ジンジャベルはつい、息を止めて行く先を見守り……それが木の枝に止まったのを見やるや、
「これだけ、この子だけ……あーもぉ、エルのこと言えないなあ、ニハハ」
 背負っていた虫あみを構えて、忍び足でそっと歩み寄る。
 サッ、と虫あみを振るう。即座にその中を覗き見て、にんまり。立派な角の昆虫は、間違いない……この辺りでしか取れないキラビートルだ。他の地域ではめったに見ない珍種で、その体組織を磨り潰した液体は、防具の良質な接着剤として珍重される。
「さて、そろそろ本当にこの辺にしないと……ん? あれは」
 癖になりそうな採集の喜びに、自分でブレーキをかけられるジンジャベルはもう立派な一人前のハンターだった。そんな彼女の視界に巨大な赤い影が現れる。
 慌てて岩陰に身を隠すジンジャベルは、その威容に思わず息を呑んだ。
「大きい……シルバークラウン、いや、ひょっとしたら。もっと大きいよね、あれ」
 彼女の視界へと割り込んできたのは、見るも立派な一匹のドスイーオスだった。
 だが、様子がおかしい。既にちょっとした怪鳥クラスの巨体は、一目で知れる異様な光景をジンジャベルの網膜に刻みつける。
 そのドスイーオスは、口に小さなイーオスの死骸を咥えていた。
 通常、ドスイーオスは群の主として多くのイーオスを従える。毒を使って集団で狩りを行う鳥竜種で、決して共食いはしないのが自然界の常識だ。だが、目の前のドスイーオスは周囲を見渡し、ジンジャベルが気配を殺しているのをいいことに……口からイーオスの死骸を落とすや、それを音を立てて食べ始めたのだ。
 皮を裂いて骨を断ち割る音が咀嚼音に混じり、あっという間に血肉の臭いが広がる。
 だが、そのことを気にしてる余裕も無いほどに、ジンジャベルは目の前の光景に言葉を失う。
 そして見る……時折首を巡らせ頭をあげて、周囲を見渡すように警戒するドスイーオスの、その口元からは。あの、狂竜ウィルス感染個体特有の、ドス黒い呼気が零れ出ていた。
「おかしい、そんなのっておかしいよ。だって、黒蝕竜(こくしょくりゅう)ゴア・マガラはエルたちが……?」
 その時、不意に弱い太陽の日差しが遮られる。
 何事かと頭上を仰いだジンジャベルの視界を、巨大な影が通り過ぎた。
 頭上を一足飛びに駆け抜けた、その雷神にも似た狼貌の竜は、周囲に帯電するプラズマの光をばら撒きながら吼え荒ぶ。
 ズシャリとドスイーオスの目の前に降り立ったのは、これまた巨大な雷狼竜(らいろうりゅう)ジンオウガ……そして、やはりというか、その目は異様な闇に濁っている。奈落の深淵を覗きこむような寒気が、ジンジャベルの背筋を這い上がった。
「なっ、なに? なにが起こって……この天空山は、どうなってるの?」
 その問に答えること無く、ジンオウガは威嚇の声を張り上げながらドスイーオスに近付いてゆく。ドスイーオスもまた、ジンオウガの姿に気付くや好戦的な金切り声を張り上げた。
 やはりおかしい……ジンオウガもドスイーオスも、生存圏こそ重なることはあれども、獲物を取り合うことも互いのテリトリーを率先して犯すこともない筈だ。調和の取れた大自然の狩場では、どのモンスターもそれぞれの領分をわきまえて暮らしていたし、例えぶつかっても不必要な戦いを挑むことはない。
 だが、目の前の光景はそんな摂理をあまりにも容易に裏切っている。
 ジンオウガは天へと吠えて全身の毛を逆立て、帯電する空気を周囲へとばらまいた。共生関係にある超電雷光虫が四方へと飛び回り、あたかも星が落ちてきたかのような明るさに天空山の一角が包まれる。ドスイーオスはこういう場合、真っ先に群のイーオスたちを呼ぶはずだが……低く構えて唸るや、単独で真っ先にジンオウガへと襲いかかった。
 そして、モンスターとモンスターが互いの憎悪をくゆらすように、口から黒い呼気を荒げてぶつかり合う。ジンジャベルは目を疑う光景の連続に、思わず気配を殺すのも忘れて後ずさった。
「な、なんで……おかしいよ、この狩場は。どうして……」
 二歩、三歩と下がるジンジャベルの踵が、枯れ枝を踏み抜いた。パキリ! とはっきり音が響いたが、ジンオウガもドスイーオスもすぐ近くのハンターに気付いた様子はない。夢中で相手の身体に牙と爪を突き立て、死に物狂いで生命を奪い合う。
 どちらも討伐してギルドに申請すれば、ジンジャベルの持つレコードを更新しそうな大きさだったが……モンスターとしての格が違った。毒を撒き散らすドスイーオスを圧倒して、ジンオウガがその細い首へと齧り付く。そのまま暴力的に首の力だけで、ドスイーオスは切り立つ岩肌へと叩き付けられた。それだけで勝負はあったのに、ジンオウガは執拗な攻撃をやめようとしない。
 動かなくなったドスイーオスが黒い血に塗れた肉塊となっても、ジンオウガは何度も何度も蹂躙を重ねた。やがて、その強靭な前足がドスイーオスの頭蓋を踏抜き、周囲に脳漿が飛び散る湿った音が響く。
 思わず目を背けたジンジャベルは、悪夢のような光景に聞き慣れた音を拾った。
 天高くへと昇ってゆく、それは発煙弾の甲高い炸裂音。
「今日はト=サンにノエル、そしてアズラエル……あの色は、赤! ト=サンだ!」
 ピコンピコンと独特な音を響かせ、滞空する光が赤い煙を周囲へと撒き散らす。それがたゆたう空を見上げて、そのままジンジャベルは脇見もせずに走り出した。
 背を向け遠ざけた光景は、逃げるようなジンジャベルの背中にずっと、暴虐の限りを尽くす耳障りな音をなすりつけながら遠ざかった。

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