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 物言わぬ天空山(てんくうやま)に、緊張が胎動する。
 使用済みの発煙弾を投げ捨てるなり、ト=サンは自分を硬い大地の上へと放り出した。
 それは、今まで自分が立っていた場所に鋭利な爪と牙が(きら)めくのと同時。光の弧を描くかのように振るわれた一撃が、一秒前のト=サンから生命を刈り取っていった。
「この動き……確かに普通のババコンガではないな。なるほど、竜人たちが手間取る訳だ」
 冷静さを総動員しつつ、腰の片手剣を抜き放つ。同時に、ト=サンの脳裏はアイテムポーチやベースキャンプに置いてある爆弾各種等、めまぐるしく戦術と戦略を練り始める。狩りに持ち込めるアイテムは数も種類も限られていたが、その枠内で最大限の効果を発揮するのが一流の狩人だ。勿論、その際に消費されるアイテムは少ないほど望ましい。
 片手剣を武器に選ぶ多くの狩人は、アイテムに熟知した熟練のモンスターハンターだった。
「さて、一当てしてみるか。それにしても、聡いな……この陣取り様は、まるで待ち伏せだ」
 ちらりと周囲に気を配りつつ、その風景の中を高速移動で威嚇してくるババコンガを目で追う。ト=サンは地形を読みながらも、即座に臨戦態勢の自分を奮い立たせた。
 天空山はまだ今日が初めてだが、竜人族のハンターたちが用意してくれた地図がある。今、ババコンガを発見した場所はしかし、その中でも難所と言える区画だった。頭上を覆う蔦は完全に空の色を隠しているし、切り立つ岩盤同士に挟まれた、いわば天然の密室。その中をババコンガは、両手両足を駆使して縦横無尽に駆け巡る。上下左右へと奥行きを変えながら、猛る巨大な桃毛獣(ももげじゅう)は獲物を追い詰めていたのだった。
 だが、ト=サンに獲物としての運命を享受する気はさらさらない。
 手にした毒斧(どくふ)はポイズンタバルジン、こういう時のために新調した業物だ。
「さて、どう動くか。……!」
 残像を引きずるかのような高速移動で撹乱してくるババコンガが、不意に大きく一歩を踏み込んだ。特大サイズの個体は突如、まるで膨れ上がったかのようにト=サンの視界に飛び込んでくる。
 咄嗟の見切りで回避するも、被ったイーオスヘルムを冷たい殺気が擦過する。
 そう、殺気……目の前の個体は今、口からおぞましい瘴気(しょうき)を呼気のように吐き出しながら、漲る殺気と害意でト=サンへと向かってくるのだ。
「狂竜ウィルスの感染個体ということか。だが妙だ……ゴア・マガラは既に捕獲されたというのに、このババコンガはまるで昨日今日感染したかのように活発だ。ふむ」
 淡々と考察を呟きながらも、二度、三度とババコンガの強撃をいなす。
 その間もト=サンは、熟練の位置取りで段差を意識しつつ、徐々にそのスピードに慣れてゆく。確かにババコンガとは思えぬ凶暴性とスピードで、その上に巨躯から繰り出す攻撃はどれも一撃必殺。
 だが、それも全て桃毛獣ババコンガという一つの括りで見ての話だ。
 反撃へと転じようとしたト=サンの意思を導くかのように、鋭い矢が飛来する。
「ごめん、ト=サン! 遅れた!」
「いや、いいタイミングだ! ノエル、追い詰めるぞ……できれば捕獲して調べたい」
 オッケー、と言葉を返して、駆けつけたノエルが二の矢を番える。新たなモンスターハンターの登場に、一層殺気立つババコンガの機動力が削がれていった。ノエルは正確な射撃で、ババコンガが移動しようとする、その二手三手先に矢を突き立ててゆく。
 たまらず頭上の蔦へと両手を伸ばして、ババコンガは高さを使った立体殺法へと移った。
 だが、高さを使った空間戦闘は、なにもこの天空山を根城にするモンスターたちの専売特許ではない。ト=サンは駆け出すや段差を一足飛びに蹴りつける。
 加速をつけた狩人の長身が、引き絞った毒斧の輝きを連れて跳躍した。
「チィ! 乗り損ねたか。ノエル!」
「あいよっ、フォローはお任せ!」
 空中で交錯する、鋭い刃と爪の輝き。
 鎧の上を梳るように通過した一閃に、思わずト=サンの背筋へ冷たい緊張が走る。
 同時に、僅かに桃色の剛毛を散らして、自分の放った一撃もまた相手を掠めるだけだった。
 強い……たかがババコンガという認識を改めざるを得ない程度に、強い。
 紫色に濁る瞳を血走らせ、その異様な眼力の紫光(ダークアイ)の尾を引きながらババコンガが馳せる。着地したト=サンは、ガラ空きの背中を援護する剛射の一撃に押されて、そのまま安全圏へと転がり出る。
 ババコンガは相手が二人に増えても、全く勢いが衰えない。
 まるで、狩りの趨勢を推し量る箍が外れているかのよう。
 そして、この個体は三人目と四人目の狩人が現れても勢いを変えなかった。
「お待たせしました、すみません。珍しい鉱石が沢山あったもので」
「お待ちどうっ! 騎兵隊の到着だよっ」
 視界の隅に現れた美丈夫が、背のヘヴィボウガンを展開するなり屈んで射撃体勢に入る。
 同時に、勢い良く猟虫(りょうちゅう)を繰り出す小柄な少女が、頭上で回転させた操虫棍を軸に跳躍した。
 アズラエルとジンジャベルの合流で、モンスターハンターたちは十全たる四人の力を結集し始める。ノエルが既にそれを意識して麻痺ビンの劇薬を使い始めたし、ト=サンも当然ババコンガとの空中戦に挑む。
 そして、蔦の茂る低い天井を巧みに利用しながら、ジンジャベルがババコンガの背を襲った。
「おっし、ドンピシャ! どうどう、どう……と? ととととっ!?」
 首尾よく乗ったはいいが、小柄なジンジャベルを背に乗せたままババコンガが暴れ狂う。操虫棍使いの独壇場だが、油断は禁物だ。その証拠に、ジンジャベルを振り落とさんとババコンガは暴れ狂って、そこかしこへ自分をぶつけてゆく。まるでそう、痛覚を持たず手傷も厭わぬかのように。
 距離を取りつつ様子を見ながら、誰もが一拍の間隙にそれぞれ装填や砥石の時間を持っていると……桃色の巨体は絶叫を張り上げながら、ナイフを握るジンジャベルを振り落とした。
「ごめん! なんかコイツ、変だよっ!」
「やはり、狂竜ウィルス感染個体でしょう。ト=サン様、ノエル様も。罠を設置しますので」
「オッケー、追い込む! ト=サン、体力を出来るだけ削ろう!」
 返事をするより先に身体が動いて、ト=サンは手斧を逆手に握り直す。同時に地を蹴る瞬発力が、あっという間にババコンガの射程内へと自分の命を飛び込ませた。それは同時に、必殺の連撃へと獲物を捉えた瞬間でもあった。
 ト=サンが振り抜く一撃が、それに続く二の太刀、三の太刀を呼び込む。
 怯んだババコンガへと、ト=サンは容赦なくフィニッシュの回転斬りを叩きこんだ、が……!
「なにっ!? この距離で弾くだとっ!」
 手に鈍い痺れを感じた時には、持ち直していたポイズンタバルジンが弾かれていた。通常では考えられぬ肉質で、ババコンガは膨らませた腹を盾に使ったのだ。臍を噛むト=サンの手から、猛毒の一撃が奪われる。
 だが、武器を落としたト=サンが咄嗟に取った行動は、やはり抜刀からの一撃だった。普段は腰にぶら下げるだけにしている、錆だらけの剣を握ると同時に抜き放つ。
 斬れ味と呼ぶには程遠い感触が、鈍色の衝撃音を響かせババコンガの反撃を逸らした。
「……!? 妙だ、この剣……故郷から連れてきたなまくらだが、この感触は……?」
 その時、ト=サンは妙な感触に一瞬だけ狩りを忘れる。
 咄嗟の事とはいえ、ろくに研磨もされていない錆塗れの剣を握った。抜き放って振りかぶった、その時にはもうイメージする剣閃が弧を描いていたかのように思われた。
 そして、刃の欠けて朽ちた片手剣の一撃が、ババコンガに異変を呼ぶ。
 息を荒げて全身を上下させるババコンガは、一声吠えると蔦の上へと逃げ去った。
「あっ、逃げる!」
「チッ……罠を無駄に使ってしまいましたね」
 仲間たちが口々に言葉を零す中、驚異的な跳躍力でババコンガは逃げ出した。
 あとに残されたト=サンたちモンスターハンターは、この時気付く……重大なミスに。
「しまった、ペイントし忘れ! ああもっ、なんて初歩的なミスを」
「私はつい、ジンジャベル様にお任せできるものかと」
「ごめーん! 臭い嗅いでる暇がなかったよ、もうペイントされてるものと思って」
 最初に口を開いたノエルは「だってさ」と、じっとりした半目でト=サンを見詰めてくる。他ならぬ彼女自身、ペイントビンを使う暇もなかったし、まさか第一接敵者(ファーストアタッカー)のト=サンがペイントしてないとは思ってなかったようだ。
「……追うか。今更言っても始まらん」
 それだけようやく絞り出して、納刀と同時にポイズンタバルジンを拾い上げるト=サン。彼は歩き出しつつ、背後にぞろぞろ続く仲間たちに小さく「……すまん」と零した。
 奇妙な空気だったがこの時は仲間たちは笑ってくれた。
 だが、この先に笑えぬ驚愕の現実が待っているとは……この時、誰もが思いもしないのだった。

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