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 オルカは朦朧(もうろう)とする意識を奮い立たせて、がむしゃらに走った。
 彼が無我夢中で逃げる中を、容赦なく火竜の爪と牙が襲う。既にト=サンとジンジャベル、二人の仲間が力尽きた中での、絶対的に不利な戦い。もうあとがない狩りの中でも、(つがい)の火竜は手負いを感じさせない力で迫った。
 逃げ惑いつつ反撃の隙を伺いながら、オルカは最後の仲間にも気を配る。
 同じエリア内をアズラエルも、畳んだヘヴィボウガンを背に走り回っていた。
「アズさん! 一度退こう。もう俺らにミスは許されない……これ以上は危険だ!」
 ちらりとオルカの声を視線で拾ったアズラエルが、小さな首肯(しゅこう)を返してくれる。
 基本的にモンスターハンターの狩りには、多くの制約がつきまとう。全てハンターズギルドが定めたものだが、これも死傷者を最小限に留めるための措置……とりわけ、限界を超えて行動不能になったハンターたちに対しての制限は厳しかった。
 行動不能の脱落者が三人出た場合、ギルドはクエストの遂行が不可能と判断する。
 強制的にハンターたちの仕事は没収され、全てが徒労に終わるのだ。
「オルカ様、隙を見て一度後退を……その隙は私が作ります」
「いや、無理は禁物だ! 雄の方はかなり弱ってるけど、まだまだ……まして雌は相当体力が残ってる。孤立するのは危険だよ」
 オルカが転げまわる先へと、雄火竜(おすかりゅう)リオレウスが空中から放つ火球が炸裂する。大地はめくれあがってマグマの如き火柱を屹立させ、着弾に揺れてオルカの歩調を乱してきた。
 ちらりと見れば、アズラエルも雌火竜(めすかりゅう)リオレイアから逃げ惑っている。
 互いが一対一でいられるうちはいい……だが、この狡猾で残忍な強個体は兎にも角にも侮れない。互いの位置関係に気を配りながらも、オルカは撤退のチャンスを待つ。
 同時に、反撃のチャンスをも待ちわびて、その好機を作る隙さえ見逃さない。
 どんな逆境に陥っても、モンスターハンターとしてオルカの気持ちはまだ折れていなかった。
 そしてそれは、長らくユクモ村から一緒だったアズラエルも同じらしい。
「オルカ様、閃光玉は」
「もう二発も使ってる……これほどの飛竜だ、三度目はそうそう簡単にハマってくれないよ」
「ですね。雄の捕獲も少し怪しいですし……でも」
「ああ。狙うなら雄だ……どう見ても雄の方が消耗が激しい筈」
 オルカの一撃を受けて、リオレウスの片目は大きな裂傷となって血を流し続けている。先ほどパーティが総力を決して畳み掛けたダメージも、まだ残っていると信じたい。
 絶叫を張り上げる番の飛竜は、前門のリオレウスと後門のリオレイア……生き残るためにも状況の打開を焦るオルカに、ようやく転機が訪れようとしていた。それは、糸を通すべき針の穴にも等しい僅かな希望だったが、それをたぐり寄せる気概がまだオルカの中に生きている。
「オルカ様、雄が移動を……やはりダメージは通っているようです」
「チャンスだ! ここは……ここは!」
 先程から大空を制圧して爆撃を繰り返していたリオレウスが、不意に翼を(ひるがえ)した。恐らく、深手を顔面に負った後もアグレッシブに動きまわった、そのツケを払う時が来たのだ。おびただしい出血の中で動き回った雄火竜は、次第にダメージを深刻化させたのだろう。
 リオレウスが一声吠えて飛び去る、その翼を見送ったハンターたちが反撃に出る。
 アイコンタクトで阿吽(あうん)の呼吸をアズラエルと確認しあって、オルカは背のスラッシュアクスを展開すると同時に振り返る。
 そこには、いまだ健在のリオレイアが絶叫を張り上げていた。
「弱った雄を追うのが定石(セオリー)、各個撃破か……いや、だけど!」
「オルカ様、あの二人は戻ってきます。必ず戻ってくるんです。ここは狩場を移さぬ方が」
 アズラエルの言う通りだった。
 オルカは信じていたし、それはアズラエルも同じだった。
 不覚を取ってベースキャンプ送りになったが、仲間たちは必ず帰ってくる。オルカやアズラエルを放り出して、自己中心的なリタイヤをするような人間ではない。
 それは二人にとって、疑う余地のない確信だった。
「これで狙いは一匹に絞れる……リオレイアを倒す!」
「ええ、ここでの最善の選択肢です。雄のいぬ間に雌を潰しましょう」
 アズラエルもまた、ヘヴィボウガンを展開すると同時に腰を落とす。
 身構えるハンターたちの前で、威嚇するようにリオレイアは翼を広げて吠え荒んだ。アズラエルが単身で挑んで戦った筈だが、今のリオレイアには衰えた様子は微塵もない。
 むしろ、傷を負って去った夫を守る妻のように、果敢にオルカたちへと牙を剥く。
 オルカとアズラエルもまた、ここが正念場と性根を据えて迎え撃った。
「貫通弾、これで終わりです! オルカ様、今後は通常弾で」
「了解っ! 俺が脚を使って注意を引く! アズさんは砲撃に専念して」
 既にもう、恐怖の臨界点を突破したオルカの精神は麻痺していたのかもしれない。恐るべき雌火竜を前に、不思議と恐ろしさを感じない。鍛錬の末に研ぎ澄まされたハンターとしての感覚が、恐れて怯え竦む心を既に切り離していた。
 オルカとアズラエルは、精密機械のように洗練された行動力を発揮し始めた。
 自然とリオレイアの一挙手一投足が、手の内に掌握できるかのような錯覚を覚える。
 なまじ強敵なだけに、最大限の危険であるという前提を踏まえることで狩りのリスクが減ってゆく。いわば、相手を信頼するような戦いが既に始まっていた。
「アズさん、もう尻尾を狙ってる余裕がない」
「問題ありません、オルカ様。どうせ鱗しか剥げませんから」
「逆鱗とか紅玉とか、そういうのは」
「私は希望的な憶測を抱いたりはしない口ですので」
 自然と軽口も飛び出す中、必死の戦いが続いた。
 オルカは既に部位破壊を諦めたことで、自然と攻守がシンプルになってゆく。リオレイアの攻撃が届くか届かないかの距離に出入りし、ヒット・アンド・アウェイで体力を削ってゆく。飛来する火球や強靭な尾の一撃は、躊躇なくステップアウトして回避……その代わり、防具にものを言わせての強引な攻めも多用してゆく。
 獄狼竜(ごくろうりゅう)から削り出した防具への信頼感が、多少のダメージをもろともせずオルカに蛮勇を与える。それはもう、防具の性能を引き出しつつ、冷静な判断力を駆使するオルカの力だった。
 そしてそれは、オルカとは逆位置に移動して気配を消すアズラエルも同じだった。
「いい位置です、オルカ様……そのまま引きつけておいてください。私はここから……狙い撃ちます!」
 ズシャリと両足で大地を掴んで、アズラエルが構えるヘヴィボウガンが火を噴く。
 鎧竜の甲殻で鍛えられた砲口から、通常弾が最適(クリティカル)距離の獲物を捉えた瞬間だった。
 火竜にとって頭部の次に甲殻と鱗が弱い、腹部へとアズラエルの射撃が吸い込まれてゆく。
 さしものリオレイアも、たまらずよろけて後ずさった。
「オルカ様、捕獲は」
「かえって危険だ! 罠を置いたその隙に逃げられても」
「であれば……来ます! このまま四人で押し切りましょう」
 アズラエルが次弾を再装填しつつ転げながら叫ぶ。
 同時に、オルカにとって当たり前の光景が目に飛び込んできた。
「待たせたな、オルカ! アズラエルも」
「こういうの、背水の陣っていうんだよね……任せて、もう誰も倒れない! 倒れさせない!」
 巨大なタル爆弾を背負ったト=サンとジンジャベルが、再びこの場所へと戻ってきた。
 それは、状況不利と見て逃げ出そうとしたリオレイアの先の先へと攻め手を詰めてゆく。空へと逃げようとしたリオレイアの鼻先へと、ジンジャベルの腕から飛び出した猟虫(りょうちゅう)クルクマがまとわりついた。
 視界を飛び回る猟虫を視線で追い払うリオレイアの、その上空へとジンジャベルが飛ぶ。
「乗れないまでも、逃がさない! みんなっ、飛ばせないからよろしくっ!」
 操虫棍を頭上に回して、ジンジャベルがリオレイアの先手を取る。逃げ道を塞がれたリオレイアが首を宙へと巡らせた、その時だった。ジンジャベルめがけて灼熱の吐息を吐き出そうとしたリオレイアは、不意によろけてその場に倒れ込む。
 ト=サンがシールドの一撃でリオレイアの脚部を痛打したのだ。
 それも、目線よりも高い場所にある関節部を、したたかに打ち据えたのだ。
「安心しろ、旦那もすぐに側へ送ってやる。オルカ!」
「ああ! 畳み掛ける……今度こそ!」
 スラッシュアクスを巨大な大剣へと変形させ、オルカが宙へと舞う。逆手に持ち直した剣を真っ逆さまに、そのままリオレイアの脳天へと突き立てた。仲間たちも巨体の各所へと攻撃の手を休めず攻め続ける。
 ついにリオレイアは一声痛切な咆哮を叫ぶと……そのまま動かなくなった。

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