この星を違う名で呼び、龍と竜とで戦った者たちはとうに滅びて消え去った。
しかし、この地に産み落とされた一匹の龍は、今も終わりの始まりへ潜り続ける。
「なんて不気味なとこだい、まったく。遥斗? そっちは」
「大丈夫ですね、ここから登れます」
ラケルは冷たい外気で冷える汗を拭って、異様な雰囲気に背筋を凍らせる。垂れ込める雲は低く、南の空へと吸い込まれている。この場所では四季はなく、年中太陽が隠れて閉ざされているというが……今、世界の全てが同じような闇に飲まれようとしていた。
復活した
終わりの遠い滅びにじわじわと苛まれて蝕まれる中、この星が砕けて割れるまでは猶予がない。
この千剣山に眠っていた最終兵器が今、目覚めようとしている。
思わずそのことを思い出して、ラケルは背後を振り向く。
そこには、いつものようにくだらないことを喋るクイントと、それに律儀に相槌を打っているイサナの姿があった。そこだけが、いつもと変わらぬ日常で、ラケルには心なしか明るく輝いて見える。
「イサナん、どスか? 今度、奥さん連れてダブルデートとか! 自分、超イイ店を知ってるッスよ」
「ふむ、それもよいのだが、クイント殿。そろそろ身を固めることも考えては如何か。うちのも、クイント殿が毎回、男と言わず女と言わず違う者を連れているのを気にしていた」
「んあー、それは……まあ、自分はもー少し浮き名を流したいッスー!」
「古龍観測所のあの、セレス君とかいう青年は……彼は喋れぬようだが」
「セレスんはねえ、かわいいんスよ……一緒におやつ食べたり、本を読んだり。でもほらあ、かわいいから、なんかこぉ、駄目ッスよ。ああいう子をつまみ食いはいけないッス!」
「……つまみ食い前提なのだろうか、もっと、こう」
「本気になったら自分、どーなるかなあ……野暮かもしれないスよぅ」
のんきないつもの二人がいて、ほっとしつつ前を向く。
先に断崖を登り始めた遥斗は、小さな身体で器用に上へと消えていった。鍛えてはいてもどこか線の細い少年の、無骨なゲネル・セルタスの甲冑がアンバランスで少しおかしかった。
続いてラケルも、背のライトボウガンを落とさぬように確認してから崖を登る。
背後から下へと小さくなる声はまだ、恋と愛と遊びとを熱く語っていた。
「やれやれ、イサナんも真面目に付き合わなくていいのに。クイントの色狂いは、今に、始まった、こと、じゃっ! ないっ! ん、だっ!」
声を弾ませ、その勢いに任せて絶壁を登るラケル。
その視界が急に開けて、立ち尽くす遥斗の背中が目に入った。そのまま乳酸がたまりかけた筋肉に鞭を入れて、登り切る。
大地に立ち上がったラケルは、肩越しに振り返る遥斗がヘルムを脱ぐのを見た。
「凄い、景色ですね……見渡す限り、不毛の大地だ」
遥斗の言う通り、この高みから見える全てが灰色に沈んでいた。
低い空の下、どこまでも荒れ地が続いている。
そして所々で地面は隆起し、のしかかる暗雲を切り裂くかのように刃のような山々が連なる。この土地一帯が千剣山と呼ばれる所以だ。
見る者全ての
気付けばラケルの隣に、イサナとクイントも追いついてきていた。
「……このような土地があるとは、世界はまだ広い」
「なーんか辛気臭いとこッスねえ」
二人はそれぞれに感想を口にするも、抱いている想いはラケルや遥斗と大して変わらないらしい。しばし四人は、並んで荒涼たる絶景に言葉を失っていた。
だが、我らが団の筆頭代理チームは旅行仲間ではない。
この、まだ多くの人が知らぬ世界の別の顔を、後に酒を酌み交わして語るためにも……今は成すべきことを成すだけである。
「さて、ほんじゃまー……その、
「この周囲に生き物の気配は全くない。クイント殿、気をつけられよ……この空気、既に異界」
さてどうしたものかと、ラケルが首を巡らせていると……ふらりと遥斗が歩み出る。
その先には、一際高い
「とりあえず、手近な場所ではあそこが一番高そうです、ラケルさん」
「ん、そだね」
「登ってきます、双眼鏡ありますか?」
「ちょっとまってね、どれどれ……あった、ほいよ」
手早くポーチから双眼鏡を取り出したラケルは、遥斗へと投げてやる。
ヘルムをかぶり直して、遥斗は見心地の良い耽美な細面を再び覆う。そうして歩み出す先に、絶壁がそびえていた。
周囲にも多くの切り立った崖が、鋭い切っ先のような頭頂部を空へと突き出している。
だが、遥斗がこれから登ろうかという巨大な岩の剣は……それ自体が天と地とを繋ぐ巨大な柱のようだ。
そして、ラケルは妙なことに気付く。
「まって、遥斗!」
「え? ラケルさん、なにか――」
「すぐこっちに戻って! 駆け足!」
一瞬、遥斗はなにを言われているかわからなかったようだ。
だが、思わずラケルは口調が早口になるのを自分でも感じた。それでも、言の葉を紡ぐたびに出入りする呼吸がもどかしい。
「どしたんスか? ああ、ラケルっち。一緒に遥斗と登りたいんしょー? んでー、高いところで二人きりになったら……ニシシ」
「クイント殿。ラケル殿はそういう器用に立ち回れる女性ではありませぬ」
うっさい、ほっとけと思いつつも、その親しみがこもったやり取りも意識の埒外へと放り出す。今、遥斗が歩み寄っている巨大な石柱……その表面にラケルは目を凝らしたのだ。
そこには、まるで芸術家が螺旋を彫り込んだかのような削岩の跡があった。
それも、新しい。
渦巻く何かが大地の柱に巻き付いて、そのまま天空へと帰ったかのような……そんな印象だ。
「見て、遥斗! 皆も! この岩……なにかで削れてる。なにかが……それは多分」
クイントがほえーと見上げて、ゴクリ! と喉を鳴らした。
イサナが小さく「蛇王龍……ダラ・アマデュラ……」と呟く。
そして、ラケルの嫌な予感は的中した。
戻ってくる遥斗が、脚を取られて転びそうになる。
それを見た時にはもう、激しい烈震でラケルも腰を落として足元に力を込めた。地の底より湧き上がるような、不気味な縦揺れが四人を襲う。
そして……目の前に信じられない悪夢が浮上する。
先ほどの太く高い岩の尖塔へと、巨大ななにかが巻き付きながら天へと昇った。
それは、この星に終わりを招くために放たれた破滅……星の核へと掘り進み、その中心部を喰らい尽くす惑星破壊兵器。かつて古龍を使い戦った古塔の勢力が、自らもろとも戦いに決着を招くために生み出したものだ。否、決着などありえない……戦いそのものをなかったことにする、因果への究極の応報装置。それが蛇王龍ダラ・アマデュラ。
耳をつんざく絶叫が響き、星喰いの邪龍が吠え荒ぶ。
思わず怯む四人の目の前に、ゆっくりと巨大な蛇の頭部が降りてきた。硬い鱗の随所に、剣のような硬く輝く刃の甲殻が切り立っている。
千剣山を統べる者、その身に千の剣を纏う者……ダラ・アマデュラ。
「こいつが……クイント! イサナん! 遥斗も!」
正気に戻ったラケルが、ライトボウガンを背から下ろしつつ走って身を投げ出す。
四人が四方に四散した瞬間、今まで立っていた場所へと巨大な質量が叩きつけられた。まるで戦いにならない、次元の違う巨体を相手に……この星の明日を賭けた死闘が始まった。