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 命を育む水の星に、忘れかけていた朝がようやく帰ってきた。
 瘴気に煙って(くも)る暗雲が晴れ、陽の光が祝福で大地を満たす。
 満身創痍のオルカたち四人は、先程の光景が未だに信じられず、夢現(ゆめうつつ)の中にいるような落ち着かなさで竜車に揺られていた。ギルドが手配してくれた帰りの竜車は、もうすぐバルバレへと向かう船が待つ港につこうとしていた。
 周囲の民は皆、歓喜に沸き立っている。
 その歓声と歌声も、どこかオルカの頭の中を素通りしていた。
「……オルカ様。大丈夫ですか? 少し、お休みになった方が」
「ん、いや、いいんだ。アズさん、ありがとう。もうすぐ港だし」
 ちらりと荷台の向かいを見やれば、同じ揺れに身を預けたト=サンと目があった。彼の膝では今、小さなミラが静かに寝息をたてている。それはもう、恐るべき古龍の生体ユニット、黒龍ミラボレアスの(コア)ではなかった。
 ただの少女に戻ったミラのこれからは、ト=サンと相談して話し合えばいい。
 なにより、彼女が望む願いをできるだけ尊重したいとも思う。
 そのことが許される未来を、オルカは仲間たちと切り開いたのだ。
「大変な戦いでしたね。……ギルドの報酬が楽しみです」
「アズさんさ、その根性にはホント脱帽するよ。むしろ俺なんか、今更ビビってきちゃったんだから」
「ふふ、オルカ様でもそういうとこがあるんですね」
「からかわないでよ。いやもう、本当に……ほら、震えがこみ上げてきた」
 並んで座るアズラエルへと、オルカは広げた手の平を見せる。
 指と指とがかじかむように、小さな震えに揺れていた。
 それは、今になってこみ上げる恐怖……この時代を生きる人間の遺伝子に刻まれた、原罪だ。太古の昔、祖先が星の生死をかけた戦いを生き抜いた証拠だった。
 原初の恐怖は、まだある。
 そしてあの時、あの瞬間……僅かな時間、オルカたち四人は超克(ちょうこく)した。
 今はもう、再び蘇った恐怖さえ、不思議なかけがえのなさをもたらしてくれる。永遠に去ってしまったあの少女が……エルグリーズが確かにいたという、その(あかし)のようにさえ感じた。
「エルは……いっちゃったね」
「ええ。本当に馬鹿だと前から思ってたんですが、予想を上回る馬鹿、大馬鹿者でした」
 平坦でいつもと変わらぬアズラエルの、不器用に凍った声が響く。
 だが、隣を見てオルカは意外な驚きに包まれた。
 ぼんやりと空を見上げるアズラエルが、その瞳を潤ませているのだ。アイスブルーに凍てついた双眸(そうぼう)は今、溢れる涙を零すまいと天を仰いでいた。
「馬鹿なんですよ、昔から。愚かです、本当に……自分ひとりで全てを背負って、そういうのは……私は嫌いです」
「アズさん……」
 そうするのが自然に思えて、オルカはアズラエルの肩を抱いた。
 細身なのに筋肉で引き締まったアズラエルの身体は、小さく震えていた。
 彼はオルカの体温で決壊したように、グッと目元を手で抑える。
「馬鹿なんだよ、畜生が……デカくてウザくてダリぃ女でよ。ったく、愚図(ぐず)が……そういう手があるなら、言えってんだよ! 俺は止めたよ、止めたかったよ」
「アズさん」
「お涙頂戴なんて反吐(へど)が出んだよ。ニコニコ笑って、自分を捨てて……別に世界が闇に閉ざされても、滅亡してもいいじゃねえか。そういう世界でだって、俺は、俺は」
 震えるアズラエルの頭を、そっとオルカは撫でた。
 薄い金髪の奥で涙をこらえるアズラエルが、その像が滲んでゆく。自分の目にも浮かんで溢れそうな涙で、オルカの見る世界は輪郭を歪ませた。
 アズラエルは、恐らく彼の故郷の言葉と思しき声を(かす)れさせる。
 不思議と意味はわからないのに、言いたいことがオルカには伝わった。
「滅ぶならそれでいい、星が砕けても別にいい……それまで一緒に、みんなで生きたかった。俺はおかしいか? なあ、オルカ……俺は間違ってるか?」
「アズさん……でも、そんなアズさんを多分、エルは守りたかったんだよ。アズさんごと、みんなを」
 ト=サンは黙って頷いていたし、その隣ではノエルが寝ていた。彼女は本当は置きてて、先程片目を開けていたが、黙って寝たふりをしてくれているのだ。
 そうこうしている間に、港町に入った竜車が止まる。
 周囲は、まさか惑星(ほし)の救世主四人組がこんなところにいるとは気づかない。ただ、老若男女を問わぬ大勢が道を埋め尽くして、久方ぶりに拝む太陽を見上げていた。
 歌と踊りに喝采が入り混じり、生ある喜びが周囲には広がっている。
 その中で、オルカは停車した竜車の荷台から降りた。
 そこには、意外な人物が待っていた。
「お疲れ様です、オルカ」
「遥斗……そうか、そっちは」
「ええ。蛇王龍(じゃおうりゅう)ダラ・アマデュラを討伐してきました」
「ん、お疲れ……その、遥斗。落ち着いて聞いて欲しんだ」
 そこには、遥斗が待っていた。後ろを見れば、筆頭代理チームの三人も一緒だ。話を聞けば、千剣山(せんけんざん)で巨大な古龍を倒した彼らもまた、ようやく人の生活圏であるこの港町に戻ってきたのだという。
 オルカが言葉を選んでいた、その時だった。
 普段の玲瓏(れいろう)な無表情に戻ったアズラエルが、荷台から荷物を降ろした。
 それは、巨大な一振りの剣だ。
「遥斗様、これを……これは貴方が持っているべきでしょう」
「これは……? 封龍剣、エルの……!?」
 オルカは唇を噛んで、俯く自分を叱咤(しった)した。
 話さなければいけない。伝えなければいけない。エルグリーズという少女が下した決断、飲み込んだ覚悟を。その理由の大半であろう少年に、語らなければいけない。
 だが、溢れる想いが寂寥(せきりょう)に溺れて、うまく言葉が見つからない。
 そんなオルカに代わって、アズラエルが淡々と事実だけを簡潔に告げた。
「エル様はミラボレアスを討伐した際、ミラから抽出した古龍の因子を取り込み、飛び去りました」
「え……そ、それって」
「エル様はもともと、煉黒龍(れんごくりゅう)グラン・ミラオスの核だった人です。恐らく、もともと戦闘生物である古龍には、そうした機能も備わっているのでしょう。ミラは古龍の因子を奪われ、ただの人になったようですが」
「ようですが、って……エルは? エルの話は……もっとエルのことを聞かせてください! アズラエルさん!」
「残念ですが……私たちが最後に見たエル様は、既に人間ではありませんでした。グラン・ミラオスに取り込まれたあの時よりも、ずっと禍々しくて神々しい……人ではない、なにかです。彼女は、古龍の因子を全て回収すると言って、飛び去りました」
 封龍剣の巨大な刃を抱き締めたまま、遥斗はその場にストンと崩れ落ちた。
 言葉も見つからない、声も出ないようで、黙って地面を凝視している。
 だが、オルカがなにかを言いかけた時、ト=サンが黙って肩に手を置いてくる。無言で首を横に振られれば、もう動けない。
 弟のようにかわいがっていた、兄のように慕ってくれる遥斗。
 彼は今、虚空を敷き詰めたような暗い瞳で俯いている。
 しかし、そんな彼に声をかける者がいた。
「遥斗……その剣、わたしに頂戴。わたし、ハンターに……モンスターハンターになる」
 遥斗が顔を上げた、その視線の先に少女が立っていた。
 ト=サンの腕から降ろされたミラだ。
 ミラは周囲を見渡し、全員の視線を拾ってから再度言の葉を紡ぐ。
「わたし、モンスターハンターになりたい。エルが、エルグリーズがわたしを古龍というシステムから解放してくれたことに……なにか意味を、意義を見出したいの」
「ミラ、君は……」
「みんな、お願い……わたしを、モンスターハンターにして。わたし、弱音は吐かないよ? どんな厳しい訓練も耐え抜く。試練も乗り越える。あの人に……エルに、会いに行く」
 遥斗が、ぐっと手の甲で目をこすった。
 腕組み頷くイサナの横では、涙もろいのかクイントが大泣きしている。その彼女にハンカチを渡しつつ、一歩踏み出たのはラケルだ。
 ラケルは膝に手を当て屈むと、小さなミラと目線を並べた。
「ミラちゃん、だよね? 私はラケル、筆頭代理チームのリーダーをやってる。……ハンターになりたいのかな?」
「うん」
「モンスターハンターになるには、身体を鍛えて知識を身につける必要がある。君は、ト=サンが守ってくれるから、そのままでも楽しく豊かな生活があると思うけど」
 ラケルは顔を一度上げて「ね?」と笑う。ト=サンは大きく頷き、そしてミラの傍らに屈み込んだ。そうして、小さく華奢なミラの肩を抱く。
「ミラ、お前が責任を感じる必要はない。お前は俺が、守る。あの街で、バルバレでお前と会ったのも、運命だったかもしれな。だが、お前がエルを追うという宿命は、お前だけのものではない筈だ」
 しかし、ミラの決意は硬い。
 彼女は大きくブンブンと首を横に振ると、ハッキリと言い放った。
「わたしじゃなくてもいい、ト=サンでもオルカでも、ラケルでもいい。誰でもいいから、エルを止める……そうしないと、今度こそ。でも、でも」
 ――それでも。
 はっきりとミラは、真っ直ぐラケルを見詰めて言葉を切る。
「誰でもいいということが、わたしがそうしない理由にはならないもの。わたしは、その剣でエルに会いに行く。その剣で、エルとの宿業を断ち切り……本当の未来を切り開くの」
 悲壮な決意は、切ない程に清らかだった。
 オルカもアズラエルも、勿論ノエルもその言葉に黙って頷くしかない。
 一つの戦いが終わり、次の世代が芽吹く時代の朝は……光に溢れた中に風を感じていた。海から吹く風が吹き渡って、オルカたち傷心のハンターたちの想いと願いを洗った。

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