薄暗い遺跡を這い出たジンジャベルの瞼を、木漏れ日の熱い陽気が刺す。  ここは平原遺跡、その奥深く。ジンジャベルは探索の過程で不思議な部屋へ案内されていた。そこには研磨剤や希少鉱物の鉱床などがあり、渡されたピッケルはあっという間に使い果たしてしまった。  竜仙花なども採取してほくほくで外にでると、まだ日は高い。 「エルグリーズさん! ……エルグリーズさん? あのっ」  振り返って、自分が出てきた穴を覗き込む。今日の同行者は、装備品も持ってないインナー姿の癖に、ピッケルと虫あみだけは山ほど持ち込んでいて。その半分をジンジャベルに押し付けるや、遺跡の一角でずっと採掘作業に夢中だ。  今もピッケルが鉱床を打つ音を聞きながら、それが収まるのを待ってもう一声。 「エルグリーズさーん! ……聞こえてないのか、うわっ!」  突然、目の前の暗がりからグッと白い顔が近づいてきた。すぐ鼻先に今、真っ赤な瞳を輝かせたエルグリーズが近すぎる。 「エルと呼んでくださいっ! エルもベルって呼ぶです」 「あ、うん。……あの、顔、近いです……」  よいしょ、と出てきたエルグリーズが、その顔がたちまち上へとジンジャベルを追い越してゆく。頭ひとつ以上背の高いエルグリーズを見上げて、ジンジャベルは溜め息を零した。そして、目の前に今度はたわわな胸の実りが揺れていて、再度深い溜め息を一つ。  だが、気にした様子もなくエルグリーズは、手にした巨大な塊を両手で陽光にかざした。 「見てください、ベル! なんだか剣っぽい物が掘り出せました!」 「あー、なんか遺跡じゃ時々出てくるらしいよね。なんだろ……でっかい剣だなあ」 「エル、ちょうど武器がなくて困ってたとこです! これ、磨いて使います!」 「……丸腰でついてきたんだ、ボクに。……うそーん」  通常、モンスターハンターは武器の携帯を怠らない。筈だ。少なくとも、ジンジャベルの知っているモンスターハンターなら誰もが皆。  だが、エルグリーズときたら……防具はおろか武器までも持たず同行していたのだった。  なるほど、オルカたちがジンジャベルに仲間を預けた理由がわかる。武器のない人間をイャンクックの狩猟に連れてはゆけないし、さりとて一人にしてもおけない。だからといって、何も自分が面倒をみなくても……そうはジンジャベルも思ったのだが。  手持ちの鉱石や虫が尽きかけてたとこで、エルグリーズの甘言に乗ってしまったのだ。  エルは今日も採取に行くです、とってもいい穴場があるですよ? ……確かに彼女が言う通り、穴場も穴場、文字通り露出した遺跡の構造物に穿たれた穴だった。そこから入り込んだ先は、まさしく宝の山だったが……先ほどまで夢中で採取していたことは、ジンジャベルも否定出来ない。 「オルカさんたち、クック先生に会えたかなあ?」 「はいっ! きっと会えましたです。オルカもアズも、凄く狩りが上手いですから。おとーさんだって、すっごく、こう……オーラありますから、オーラー! って」 「ん、なんだかよくわからないけど、よーくわかったよ」  苦笑しつつジンジャベルは、錆びて風化した剣へ砥石を当てようとするエルグリーズを見守る。なんだかでっかい子供のようで、ともすれば自分よりも年下に見える。無邪気で無垢な印象が、そのグラマラスな長身とのギャップでなんだかとてもおかしい。 「ん? どしたですか、ベル」 「え、あ、いや……なんだか、その。ごめん、エルってかわいいなあってね」 「ベルもかわいいです! エルはベルのこと、すぐに大好きになりましたですから」 「あ、ありがとう。あとね、エル……顔、近いってば」  グイと身を寄せてくるエルグリーズに、思わず笑いが込み上げる。  エルグリーズもまた、そんなジンジャベルを見て満面の笑みを零した。  その時、遥か遠くで炸裂音が鳴って、晴れた空に発煙信号が舞い上がる。赤い色はパーティのリーダーを示す色で、今この近くで狩りを行っているのは、仲間のオルカたちしかいなかった。  続いて上がるアズラエルやト=サンの信号に、自然とジンジャベルは意味を読み取る。 「あー、狩りが終わったみたい。ほら、やっぱりいるじゃん、イャンクック」  うんうんと頷きつつ、ちょっと残念な気持ちが込み上げる。  そんな彼女を慰めるように、腕から飛び立った猟虫が頭に乗った。その光沢に艶めく背中を撫でながら、自然とジンジャベルは言葉を交わす。 「ん、まあ、確かに残念かな。え? うん。ボクだって、クック先生を間近で見たかったよ」  返事をするように羽音で応えて、再び猟虫は定位置の腕に戻ってくる。  気付けばジンジャベルは、目を輝かせて自分を見詰める視線に気付く。  大きな瞳をことさら大きく見開いて、エルグリーズがジンジャベルにまた顔を近付けてきた。 「ベル! ベル、ベル、ベル! ベルは、虫さんとお話できるですか?」 「え? あ、ああ、うん。そんな気がして言葉を交わす、ってくらいだよ」 「それでも凄いです! いいなあ、虫さん。エル、うらやましいです!」 「……ちょっと、触ってみる?」  褒められ気を良くしたジンジャベルの一言に、エルグリーズは満面の笑みを輝かせた。  そっと差し出す腕の上に今、ジンジャベルは相棒を差し出してやる。  おそるおそるエルグリーズが手を伸べた、その時だった。 「あ、あれ? おーい、クルクマー? あ、この子の名前ね……おっかしいなあ」  まるで逃げるように、ジンジャベルの相棒、猟虫のクルクマは飛び去ってしまった。  人の使役する虫として、一部の地方で珍重される猟虫……その生態は未だ、謎に包まれている。卵は遺跡から発掘され、操虫棍を作る職人たちに預けられるというが。だが、成長ではなく進化する不思議な虫で、どうして人間に懐くかも解明されてはいないのだ。  それ以前にジンジャベルは、クルクマが拒絶する人間を初めて見た。  慌てて飛び去るクルクマを追いかけ、ジンジャベルは走り出す。 「ごめんね、エル。ちょっと待って、今――」  その時、ジンジャベルは見た。  今まで童女のようにあどけなく笑っていたエルグリーズの、その表情が凍るのを。 「……やっぱり、エルではダメですよね。古龍の……血と炎の臭いが、染み付いてるから」  聞き取れない呟きを耳にした、その瞬間にはエルグリーズはいつもの笑顔になる。  不思議に思いつつも、クルクマを追おうとした瞬間、 「わっ! な、何? 今の影……飛竜? ううん、今の形は」  ジンジャベルは不意に、巨大な空飛ぶ影に包まれた。  僅か一瞬の出来事だったが、独特のその形をジンジャベルは見逃さない。  なぜならそれは、ジンジャベルがこの平原遺跡で見つけた姿に酷似していたから。 「クック先生? もう一匹いたんだ……でも少し。ううん、わかった! 噂に聞く亜種かな!」  次にはもう、駆け出していた。肩越しに振り返ってエルグリーズを呼ぶ声も置き去りにして。 「エル、今の! クック先生だよ、怪鳥イャンクック!」  追いかけてくるエルグリーズが、珍しく神妙な面持ちで何かを叫んでいる。  だがもう、ジンジャベルの耳にその名は届いてはいなかった。  エルグリーズが口にした名は、怪鳥イャンクックとは似て非なるものだったのだが。 「待つです、ベル! それは、違うです……ちょっと凄く危険が危ないです!」 「大丈夫だよっ、見るだけ……やっぱりボク、この目でもう一度確かめたいし!」  思えば、クルクマはエルグリーズから逃げたのではない。現れたイャンクックを察して飛んだのだ。やっぱり心は通っていた……相棒がイャンクックに後ろ髪を引かれてると知るや、クルクマは飛び出したのだ。 「クルクマ、優しい子……そうだよね、エルもいい人だし、逃げる訳ないよねっ」  走るジンジャベルは、追い付いてきたエルグリーズに笑みを向ける。  だが、エルグリーズがいつもの人懐っこい笑いを返してくることはなかった。そのことにすら気付けぬほど夢中で、ジンジャベルは遺跡平原の奥へ奥へと身体を押し出していった。