その日、おふくろさんの屋台では、奇妙な光景が人の目を引きつけた。  それは、裸エプロンで雇われ女給をやっていた美女が、裸で大酒をかっくらっている……そういう奇異な光景だった。無論、裸といっても最低限のインナーを着てはいるが、ともすればそれを脱ぎかねないくらいに泥酔している。  エルグリーズは酒に酔ってはおいおい泣きながら、めそめそとまた酒を飲むのだった。 「旦那さん、飲み過ぎだニャア〜」 「ユキカゼの言う通りニャ。無茶な飲み方してもワニャハイの仕事が増えるだけニャン」 「お二人の言う通りであるな、エル。小生、そんな娘に育てた覚えは、ニャフン!?」  荒れに荒れて飲みに飲み、肉と肉とを頬張り貪っているエルグリーズ。そんな彼女の今の相手は、筆頭オトモのユキカゼと執事ネコのアルベリッヒ、そしてニャンコ先生。だが、三人を同時にがばりと抱きしめたエルグリーズは、涙と鼻水と涎でベトベトな顔でわめき続ける。 「うわーん! 遥斗が、遥斗があ……う、ううっ……ひっく! ……びえーん!」  迷惑そうな三人のアイルー&メラルーの顔が、少し離れた席のオルカにもはっきりと見えた。  オルカもまた、一人で静かに酒を飲んでいた。目の前には今、満たした酒の減らぬもう一つの盃がある。それを持って乾杯を交わすべき弟分を偲ぶ酒は、珍しくいくら飲んでもオルカに酔いを招くことがない。 「遥斗……どうして無茶を。再会の約束を俺に破らせるのかい? ……遥斗」  珍しく口をついで独り言が溢れる。  語りかける相手が永遠に失われたかと思えば、目の前にその幻影をみてても独り言でしかない。こんな時は一人が堪えるが、一人でいることがありがたくもある。親友アズラエルやキヨノブは、ジンジャベルの面倒を引き受けてくれて、さりげなくオルカを今夜孤独にしてくれたのだった。  だが、それも気遣いならば、あえて声をかけてくるのも気遣い。  オルカが手にとった本日何本目かのボトルに、そっと手が伸び掴んでくる。これ以上はグラスに注ぐなと言わんばかりに、その腕はオルカが振り払おうとしても、ぴくりともしない。 「オルカ、それ以上はやめておけ」  その声は、ト=サンだった。彼は今、静かにオルカからボトルを取り上げると、向かいの席へ座ろうとした。 「……そこは、遥斗の席です。すみません、ト=サン。今夜は、今夜だけは――」 「はやまるな、オルカ。付き合って日も浅いが、俺にはわかるぞ……お前は利発に富む男の筈だが? 気持ちはわからんでもないが、気が早すぎるというもの」  ト=サンの言葉に憮然としたが、それでも声を荒らげたりしないのがオルカだった。そして、酒で重くとも酔の訪れぬ頭は、ト=サンの言葉の意味をちゃんと飲み込み理解しはじめている。  ト=サンは遥斗に捧げられた杯と席をよけ、その隣に腰掛けた。  そしてそのまま、ボトルに直接口をつけて喉を鳴らす。たちまちオルカが飲むはずだった酒は半分になった。 「ふぅ。美味い酒だ。しみったれた飲み方をしてはもったいないくらいのな」 「……何が言いたいんです、ト=サン。いや……何かが言いたくて俺に?」  黙ってト=サンは頷いた。 「もしお前が大事な者を亡くしたのなら……俺もまた共に泣き、共に弔おう。だが」 「だが? ……遥斗は、弟みたいな奴でした。兄と姉、妹しかいない俺にとって、弟そのもので、それ以上だったかもしれません。でも」 「でも? でもなんだ、オルカ。しっかりしろ、頭を働かせて気持ちを落ち着かせるんだ」 「……すみません、今は……まだ」  だが、ト=サンは椅子に脚を組んで再びボトルの中身を飲むと、口元を手の甲で拭って言葉を続ける。そして、向こうのテーブルで暴飲暴食に荒ぶるエルグリーズを一瞥して溜息を零した。  その顔はいつもの冷静沈着な表情で、ともすれば冷徹な沈黙すら連れてきそう。  だが、黙ることなくト=サンは喋り続けた。 「あのノエルって娘は、腕利きだな……イャンガルルガを前に仲間を逃して撤退するなんて、なかなかできる芸当じゃない。彼女は? 見当たらないようだが」 「旅団長と何か話してるみたいだった……彼女も辛いはずなのに」 「そうか、そうだな。……俺も今のお前を見ているのは辛いさ。俺程度の仲でもな」  それでオルカは、ハッと顔をあげる。  自分を気遣ってくれたアズラエルやキヨノブにとって、今の醜態がどのように見えるだろうか。その目にどう映るか、そのことすら失意の中に失念していた。  そのことを恥じる気持ちをしかし、次の言葉が吹き飛ばす。 「しっかりしろ、オルカ。ノエルが言うには、その遥斗というハンターは消息不明で連絡を絶った、帰ってこなかったそうだな」 「ええ……それがどういう意味か、あなたにもわかるはずです。俺たちモンスターハンターが狩場から帰らない。それはすなわち」 「そう、モンスターハンター遥斗は死んだ。……そう考えるだろうな、普通なら」  ビクン! とオルカの身が震える。  だが、構わずト=サンは話を続ける。 「だが、お前もモンスターハンターだろう、オルカ! ……モンスターハンターが一番に信じるものはなんだ? 仲間が語った言葉を信じるのもいいだろう。だが、それだけでは駄目だ」  オルカは顔をあげた。  そこには、自分をじっと見詰めるト=サンの姿がある。  そして、そこへと応える言葉が胸の奥からせり上がってきた。熱く熱く燃えたぎる言葉が今、静かに口から滑り出る。 「モンスターハンターが一番に信じるもの……自分で見聞きしたこと」 「そうだ。オルカ、お前の目の前で遥斗は死んだのか? 違うだろう」 「でも、それでも」 「この目で見たものが真実、この耳が拾ったものが現実だ。そのことを確かめない奴から、この世界では死んでゆく。遥斗はでは、そういう未熟なハンターだったか?」  ト=サンの言葉がずしりと胸に突き刺さる。 「いえ……彼は俺の教えに忠実でした。そうか……教えた俺がそのことを忘れては、駄目だ。駄目なんだ」 「そうだ、オルカ。俺は遥斗とやらのことは知らんが、お前のことなら少しはわかる。ならば、あとはハンターとハンターの言葉で語るしかできない。それだけだ」  そう言ってト=サンは立ち上がった。  ついつい後を追って、オルカも腰をあげる。 「ト=サン! 俺は、なんて……礼を言わせてください」 「いいさ、立場が逆ならお前もそうしただろう? そういうことでいい」  ト=サンはそれっきり、酒瓶を手に振り返らず行ってしまう。  その背が見えなくなる前に、慌ててオルカは叫んだ。 「その言葉を、エルに、エルグリーズにも! あの娘は……俺以上に」 「それは、お前の役目だ。オルカ……再び前を向いた者だけが、誰かに前を向かせられるのさ」  そう言って手を振ると、ト=サンはふらりと夜の闇に溶け消えた。  月明かりの中でオルカは、再び奥のテーブルへと振り返る。 「エル、こらエル! 離すのである!」 「フニャア、この旦那さん……めっちゃ酒癖悪いニャア!」 「あっ、ユキカゼ! オルカの旦那さんがこっちに来るニャ……助けてもらうニャ!」  オルカの脚は、自然と向かう先へ歩いていた。  それが当然であるかのように。  そこには、三人のネコを抱いて泣きじゃくるエルグリーズの姿がある。 「うわーん! はるとー、はるとはると、はーるとー! う、ううう……」  悲しみにくれるエルグリーズの後ろに、そっとオルカは立った。  この女性が、本当にモンスターハンターの道理を理解しているのか、それはわからない。ただ、自分が理解していることを伝えたいし、それを自分たち二人で共有したい。  遥斗はまだ死んではいない、そのことを信じる気持ちを分け合いたかった。  この目が遥斗の死を見つけて、この耳が心音の止まるのを聞くまで、ずっと。