嵐は過ぎ去り、イサナ船は白い砂浜へと打ち上げられた。  大きな破損こそ免れたものの、ところどころ浸水して船体は傾き、今や陸に上がったクジラも同然である。それでも、オルカは団長や仲間たちと無事を確かめ合い、揺れない地面に降り立つ。 「ふう、ただでさえ揺れたのにあの嵐……胃袋の中身がひっくり返るかと思った」  だが、見上げる太陽の高さと熱さは、悪くない。  振り向けば、同じ船室を這い出た友も同じ感想のようだが、 「ちょっとオルカ! アタシにばかり背負わせないでよ……エルってば、重いっ!」  小さなノエルが、長身のエルグリーズを背負いきれずに引きずりながら大地に舞い降りた。彼女は渚の感触に少しだけよろけたが、そこは鍛えぬかれたハンターである。危なげなく砂の上にエルグリーズを寝かせた。  先ほどの嵐の中、謎の黒い魔物と戦ったエルグリーズは、気を失っているのだった。  そう、まさしく魔物としか形容できぬ黒衣の襲撃者は、どうにか撃退できたのだ。エルグリーズでさえも歯が立たず、突如現れた断戟の鉄狩人が助けてくれなければどうなったことか…… 「そういえば、あのセルタス防具のハンターは……?」 「ああ、それならほら、あそこ。……あの剣、よく見つかったねえ」  首をコキコキ鳴らしながら、ノエルが波の寄せる浜の先を指さす。  浜の向こう、森になっている場所から、無数のアイルーたちを連れて重装甲のハンターが歩いてきた。その肩には、先ほどの戦いでエルグリーズが失った、巨大な風化した剣を担いでいる。  重甲虫ゲネル・セルタスの防具一式で全身を覆った男は、重い足取りで近づいてきた。  その背には、ト=サンがチャージアックスと呼んだ不思議な武器が背負われている。巨大過ぎる盾の形をしているが、嵐の中でオルカは確かに見たのだ。対となる剣と合体することで、戦斧へと姿を変える武器。  その破壊力は、属性解放の一撃で黒き魔手を振り払ったのだった。 「おーイチチ……痣になってやがるぜ、ちょっと見てくれやアズ」 「大丈夫ですよ、キヨ様。大したケガではありません」  気付けば背後に、キヨノブとアズラエルも降りてきた。  甲板上ではト=サンがジンジャベルと忙しく後片付けに追われていた。  そんな中、どんどん重甲冑のハンターは近付いてくる。 「よぉ、誰チャン? 知り合いか、アズ」 「いえ、私は……ただ、あの武器はト=サン様が言ったように、チャージアックス」 「チャージアックス?」 「最近ドンドルマで開発された、スラッシュアックスと対を為す武器です。変形機構の剣斧に対して、合体機構を持つ盾斧……まだ開発途上で、出回ってる数も限られてる筈ですが」  そういえばオルカも、操虫棍と一緒にスラッシュアックスを使う身として、噂には聞いたことがある。片手剣の機動力を持ちつつ、破壊力に重点を置き合体機構をもたせた新型武器の話を。ドンドルマではもう、実用化も間近ということだろう。 「それにしても、空からズドン! と参上だぜ? ったく、派手に登場してくれちゃって」 「でもキヨ様、それで我々が助かったのですから、儲けものですよ。誰かは存じませんが、借りれる手は借りれるだけ借りておけばいいかと」 「はは、ちげえねえ! けど、礼くらいは言わねえとな」  そして、遂にオルカたちの前に謎のハンターが立った。  彼は肩に担いだエルグリーズの剣を下ろすと、一同を見渡す。  その時誰もが思っただろうし、当然オルカも思ったのだが……敢えて口には出さなかったことがある。キヨノブ以外の誰もが、全員。 「なんだ、助っ人さんは随分とチビ……っと、小柄じゃねえか」  そうなのだ、防具で着膨れしているにもかかわらず、オルカよりも若干背が低い。それが、ゲネル・セルタス素材の厳つい防具とあいまって、奇妙な違和感を醸し出していた。  本人も気にしているのか、無表情の兜の奥で、苦笑めいた空気が漏れる音。 「おっとすまねえ! 命の恩人に失礼だったな。ありがとよ、ハンターさん! 俺ぁキヨノブってんだ。こっちが連れのアズ、アズラエル。んで、オルカにノエルちゃんだ」  キヨノブは杖を突いて前に歩み出ると、ハンターの手を取り勝手に握手を交わして上下させる。そのまま面々を紹介して、しまいにはハンターの肩を抱いて強引に輪へと加えてしまった。  そういうところがあるのがキヨノブの人柄で、しかしそれが自然で不快に感じないから、オルカもアズラエルと顔を見合わせるしかない。互いに溢れる、笑みと笑み。  その時、以外な声がオルカの耳朶を打った。 「キヨノブさん、相変わらずですね。それにアズラエルさんも」  そう言ってハンターは、重々しい兜を両手で脱いでみせた。  そして、意外な顔が現れオルカは絶句する。 「お久しぶりです、オルカ。ノエルさんも。僕です、遥斗です」  現れたのは、懐かしい弟分の顔だった。  驚きのあまり言葉を失ったオルカは、次の瞬間には彼が本物の遥斗で、幽霊でもなんでもない生きた人間だと冷静になる。冷静にはなるが、興奮と感動は抑えられない。  思わず手を伸べ、抱き寄せようとしたその時。 「はっ、はははは、遥斗ぉぉぉぉぉぉ! こらっ、どこに行ってたんだよもぉぉぉぉぉぉ!」  真っ先に遥斗に抱き付いたのは、ノエルだった。  当然だ、彼女はモガの村とタンジアでの大激闘のあと、遥斗と一緒にドンドルマに渡ったのだから。オルカが遥斗の兄貴分なら、ノエルは姉貴分といったところだろうか。  そのノエルが珍しく、感極まった様子でバカバカを連呼しながら遥斗にしがみついていた。 「すみません、ノエルさん。連絡できなくて。大老殿の極秘任務で、緊急クエストを受けていたんです。その性質上、僕が動いていることを伏せる必要があって」 「ううう、心配したんだぞ? アッ、アア、アタシは、べっ、別に……そう、エルがね!」  その時、もみくちゃにされる遥斗を見てオルカは気付いた。  兜を脱いだ遥斗の顔には、大きな大きな火傷の痕が残っていた。それは顔の半分を覆って、首から下へと伸びている。  ――それは、恐るべき煉黒龍に勝利した勇者へ、刻まれた聖痕。  蘇りしグラン・ミラオスの黒き炎に焼かれた痕は、今も痛々しい。  だが、遥斗の笑顔は昔のままで、でも少しだけ大人びたようにも見える。 「そうだ、エル……エルは! ……よかった、気を失ってるだけみたいだ」  遥斗はそう言うと、屈んでエルグリーズを軽々抱き上げる。そうして、今来た道をアイルーたちと一緒に歩き出した。そして振り返ると、オルカたちにもついてこいと言う。 「この先にチコ村があります。村長が滞在を許可してくれました。船が直るまで、少し身体を休めてください」 「チコ村? それは――」  その時、背後で声が上がった。 「チコ村じゃとおおおおおお!? ニャンたるか! 小生の記憶が確かならば……チコ村とは!」  クワッ! と目を見開いたまま、ニャンコ先生が甲板から転げ落ちてきた。慌ててあとから追ったユキカゼが、砂に落下寸前の尻尾を引っ張り上げる。宙ぶらりんになりながらも、ニャンコ先生は鼻息も荒く語り出した。 「チコ村、別名を迷子の村……行こうとする誰もが到達できない、不思議な不思議な村と聞いておる。小生、まさか生きてるうちに辿り着けるとは……ここはそう、アイルーたちの楽園」  逆さに宙吊りなニャンコ先生の言葉に、誰もが「迷子の村……」と固唾を飲んだ。  そう、この場所こそが新たな冒険の舞台、孤島の集落チコ村。  そして、エルグリーズと遥斗の運命が再び交わる場所だった。 「ふむ、じゃあとりあえず行ってみっか? そのチコ村とやらによ」 「ええ。行きましょう。……オルカ様? どうかなさったのですか?」  めいめいに歩き出す中、ふと脚を止めたオルカが振り返る。  イサナ船を見やれば、舳先に一人の少女が立って、海の彼方を見つめていた。  そんなミラも、ト=サンが抱き寄せてやれば、その腰に抱き付いて船を降りてくるのだった。  オルカも自然と、ミラが見つめていた先……謎の黒き魔物が消えた海をぼんやりと眺めた。