イサナ船の修理が始まった。  同時に、ハンターたちのチコ村での生活も幕を開けたのである。それはとても穏やかで、ともすれば旅団の冒険生活を忘れそうになるほど。あの団長ですら、唯一の人間である村長の老婆と、日がな一日ゆったり語らい、酒を酌み交わしていた。  村長は来訪者を拒むどころか歓迎し、オルカたちにチコ村の名所を紹介してくれた。 「ふーん、あの遥斗って人、エルの恋人なんだ? なるほどねー」  今、遠浅をぽかぽか島へと歩くオルカの隣では、ユキカゼと一緒にジンジャベルが腕組み頷いていた。一人と一匹に事情を言って聞かせているのは、アズラエルである。 「エル様はあえて遥斗様を遠ざけました。ですが、運命は再び二人を……泣くような話ですか? ベル様。ユキカゼ、貴方まで」 「ふえっ……? べ、別に! 泣いてない!」 「泣いてないニャ!」  オルカには、竹馬の友アズラエルが心底呆れてうんざり顔なのがおかしかった。この美丈夫の無表情から、そうした感情の機微が拾える人間は少ない。  ともあれ、淡々と語られるアズラエルの話に、ジンジャベルとユキカゼは涙ぐんでいるのだった。 「二人はじゃあ、今頃は感動の再会だね」 「再会ニャ!」 「よかったよかった……ん? あ、あれ? ねえ、オルカさん。アズさんも。あれ……」  潮の干いた海を歩けば、沖の島で手を振るピンク色のアイルーが一匹。  小さな小さなその島に上陸したオルカたちを待ってたのは、村長の言う管理人……もとい、管理猫の雌アイルーだった。 「どうも、こんにちは。村長さんの紹介でお邪魔しました。一言挨拶にと――」  オルカが身を屈めて挨拶をした、その瞬間の出来事だった。  ピンク色の管理人は、周囲の空気へと自分の体毛色を伝搬させながら飛び上がった。  そして、黄色い絶叫が響き渡る。 「あっ、あっ、あああ、貴方様は! 筆頭オトモ様ぁぁぁぁぁぁぁん!」  空中でじたばたもがいた管理人は、着地するやユキカゼに抱き付いた。  何が何やらで、オルカもジンジャベルも目を丸くする。アズラエルだけが、ただただ無表情にフラットな目で冷ややかに事態を見据えていた。 「フ、フニャニャ!? ななな、何でボクが筆頭オトモだと」 「見ればわかりますわ、筆頭オトモ様! その瞳! そのおヒゲ! レウス装備に炎剣ネコブレイド! 一流の筆頭オトモ様だと直感しましたのよ、ウキュー!」  管理人は感激極まって、改めてユキカゼを抱き締める。  ……むしろ、抱き絞めている、絞殺寸前に体を浴びせている。  ようやくオルカたちが我を取り戻すと、管理人もまたユキカゼを解放した。 「それで、筆頭オトモ様はどうしてこちらへ? あらやだ、もしかして……まあ!」 「そ、それなんだがニャア、その。先ずはボクの旦那さんたちが挨拶をと思って――」 「旦那さん? ああ、こちらの……オトモハンターの皆様のことですわね!」  再度、オルカは目が点になった。ジンジャベルも同じく。相変わらずアズラエルの目は線だった。三人は呆れ返っていたが、それでも管理人は勝手に「よろしくお願いしますわ、オトモハンター様」と、強引に握手してくる。  どうやらぽかぽか島の管理人はかなり猛烈なアイルーのようだ。  やれやれと頭をかきつつ、オルカも応対して言葉を続ける。 「それで、管理人さん。先ずは挨拶と、それと頼みがあるんだけども」 「ええ! ええ、ええ! いいですとも、筆頭オトモ様のお望みならば、なんなりと」 「ボクじゃなくて、ボクの旦那さんの頼みニャア」 「……あら、オトモハンターさんの? まあ、いいです、けど」  管理人は露骨に態度を変えた。  やれやれとオルカは疲労感にうなだれる。それでも、イサナ船修理の協力を要請、団長の言葉をどうにか伝え終えたのだった。 「疲れるネコですね、オルカ様。さ、戻ってイサナ船を修理しましょう」 「あいニャ! ボク、旦那さんたちを手伝うニャア! ……むむぅ!?」  とぼとぼと来た道を戻り始めたオルカの横で、突然ユキカゼが飛び上がる。  それは、一本の矢が飛来するのと同時だった。  一瞬の交差で、ユキカゼは空中の矢へと爪を振りかぶる。  そして、刹那の光が瞬いた。 「ニャンタッ! ……ふう、ナイスキャッチだニャン」 「ユキカゼ、刺さってますよ」 「フニャ!? だっ、旦那さん、抜いてニャア。直撃しただけだから大丈夫だニャ!」  アズラエルはむんずとユキカゼを掴み上げると、その脳天に……レウスネコヘルムに刺さった矢を抜いてやる。  それは、手紙を結びつけた矢文だった。 「まあ! 流石は筆頭オトモ様! ささ、矢文の内容を早く」  管理人に言われるままに、アズラエルが広げる手紙をオルカは覗き込んだ。ジンジャベルも精一杯背伸びをするので、アズラエルが若干、本当にすこーしだけ屈んでくれる。  三人が額を寄せあって覗き込む手紙には、つたない共用語が綴られていた。 「我、氷海ニテ救援ヲ待ツ……モンニャン隊? だそうです、オルカ様」 「わーっ、アイルーって共用語書けるんだ」  ジンジャベルの的はずれで呑気な反応に苦笑しつつ、オルカは手紙の文面を凝視する。この字は、どこかで見たことがあるような……?  その時、相変わらずユキカゼにベタベタしていた管理人が飛び上がった。 「んまあ、モンニャン隊! あのモンニャン隊ですの? どーしましょー、ウキュー!」 「フニャアア! いちいち抱きつかないで欲しいニャ! ……い、意識が、息が」  紫色になり始めたユキカゼを、しれっとアズラエルが管理人から引き剥がす。  だが、事態はどうやら急を要するようだ。  そして、ようやくオルカは見覚えのある字を思い出す。 「これ……ほら、アズさん! これ、チーフの文字だよ!」 「チーフ……ああ、サキネ様のオトモ、テムジンですね。そういえば確かに」 「フニャッ!? どれどれ、フニャフニャ、確かにっ! これ、チーフの文字ニャ」  なんと、助けを求めているのはどうやら旧知の友が連れていたオトモ、テムジンのようだ。彼はまだモンニャン隊として、旦那さんのために働いているらしい。  しかし、氷海とはいったい……?  その答は、管理人が箒片手に教えてくれる。 「氷海は恐ろしいところですわ。筆頭オトモ様なら大丈夫でしょうが、オトモハンター様では……ちらっ」  流し目でオルカを、アズラエルを見て、最後にジンジャベルを一瞥する。  なんだか微妙に慇懃無礼だが、今は氷海の情報が欲しい。それに、ここまでユキカゼに、筆頭オトモに心酔しているあたり、はやりアイルー社会では名誉ある地位なのだろう。 「あの、管理人さんっ! 氷海って」  身を乗り出すジンジャベルが、目線の高さを管理人に合わせる。  管理人は腰に手を当て胸を反らすと、もったいぶって喋りだした。 「ここよりずっと南に行くと、海が凍ってますのよ」 「えっ……南なのに寒いの!?」 「ええ。そこには凶暴なモンスターがわんさといますの。ああ恐い! けどモンニャン隊の皆様が……どうしたらいいんでしょう! ……ちらっ」  オルカは慌てて、グーを握るアズラエルを制した。  だが、どうやらチコ村にいる間も退屈はしないで済むらしい。 「行こう、みんな。モンニャン隊を……テムジンたちを助けに」 「しょうがありませんね。オルカ様が行くというなら、お付き合いします」  うんうん頷くジンジャベルの同意も得られたので、オルカは急いで支度するべく踵を返す。 「あっ、待ってニャア! 旦那さんたち、ボクを置いてか、ないで、ニャアアアア!」 「危ないことはオトモハンター様にまかせて……ささ、筆頭オトモ様ぁん」 「たっ、たた、助けてニャー!」  久々の新たな狩場に気持ちのそよぐオルカは、背中でユキカゼの悲鳴を聞いていた。