その狩場は、凍てつく空気が滞留していた。  時折吹き付ける寒風は、身を切るように肌を掠めて、その都度オルカの体温を奪ってゆく。  ――ここは、氷海。  この世の南の果てで、全てを凍らせ閉じ込めた氷の世界だ。 「全員、ホットドリンクは持ってるね? 忘れたら言って、俺のポーチに予備があるから」  オルカが仲間を見渡せば、ジンジャベルもアズラエルも開封した赤い瓶に口をつける。セルタスヘルムを脱いだ遥斗も同様だが、不思議と少しその顔はやつれて見えた。  これは寝不足だなとすぐに知れたが、オルカは口には出さなかった。オルカは。 「遥斗様、顔色がすぐれないようですが。なんでしたら、ベースキャンプでお待ちになってても構いませんよ? 体調管理もハンターの基本ですから」 「ア、アズラエルさん! こ、ここ、これは、その、エルが……や、僕も狩りに参加します」  それだけ言うと、遥斗はいかつい重甲虫の兜を被り直す。  苦笑をこぼしつつ、オルカは新調した竜姫の剣斧へ強属性ビンをチャージした。 「あれっ、オルカさん。今日はクガネを連れてこなかったの?」  支給品を配りながら、ジンジャベルがオルカの武器を見て首を傾げた。  だが、スラッシュアクスを畳んで背負い直したオルカは、さして驚いた様子もなく頷く。 「今日はベルと一緒だからね。乗りはベルに任せるよ」 「わっ、ボクの責任重大!?」  アズラエルが表情一つ変えず「そうですね」と言いながら歩き出す。  一同は揃ってベースキャンプを出発、先行している筆頭オトモのユキカゼを追いかけ始めた。ユキカゼの進む先で今、モンニャン隊のテムジンたちが立ち往生しているらしかった。  そのユキカゼから、凍えた空へと発煙筒の信号が上がる。 「ユキカゼから信号だ。赤が三つ……まずいな、大型のモンスターに遭遇したみたいだ!」 「では、急ぎましょうか。ベル様、遥斗様も。行きましょう」  あくまで落ち着き払っている、そういう自分を取り繕っての無表情だが……咄嗟に走り出したのはアズラエルだった。彼は強靭な脚力で、重いランスを背負いながら一目散に信号の上がった方へと駆けてゆく。後を追うオルカにジンジャベルが続き、背後を警戒しながら最後尾を遥斗が走った。  そうして十五分ばかり全力疾走を続け、流した汗が乾き始めた頃。  視界が開け、文字通り凍りついた海の上にオルカたちは出る。 「確か信号はこの辺で……!」 「オルカさん、あそこ! あそこにユキカゼたちが! お願い、クルクマッ!」  オルカが視認したのは、小さな氷片の上に追い詰められたユキカゼと、その背に庇われたモンニャン隊。そして、オトモアイルーたちの前にそびえたつ巨大な蒼い背ビレだった。  張り詰めた氷を突き破って、海からそびえ立つ背ビレ……それは、まるでオルカたちの到着を察知したかのように懐中へと没して消えた。 「旦那さん! テムジンたちは無事ニャ、トウフも一緒だニャン」 「トウフ!? 懐かしいな、元気かい? 久々だね、無事でよかった」 「オルカ様、今はそんな呑気なことを言ってる場合ではありません……来ますっ!」  突如、烈震が襲ってオルカの足元が激しく揺れる。思わず脚を取られそうになって、慌てて四人は四散するように身を投げ出した。  それは、今まで立っていた場所が木っ端微塵に割れるのと同時。  眼下の氷を突き破って、ソレは巨大な姿をオルカたちの前に現した。 「こっ、こいつは……!」 「化け鮫ザボアザギル!」  驚くオルカの声を、飛び出す遥斗の絶叫が追った。  彼が叫んだ通り、目の前に現れたモンスターは、巨大な両生類のモンスター、ザボアザギルだ。  だが、様子がおかしい。その目は暗く濁り、口元からは呼気の代わりに黒い靄を吐き出している。不自然に痙攣しながら、不規則なリズムで身を揺すって、ザボアザギルはオルカたちへと牙を剥いた。  先行して突出した遥斗の盾斧が、剣と盾とに分離した状態で交互に金属音を奏でる。  振りかぶった遥斗の一撃を、ザボアザギルは氷を纏って弾き返した。  同時に、全身から氷柱となって飛び出した氷塊が盾を金切り声に歌わせる。  のけぞる遥斗に入れ替わって、盾をかざしたアズラエルが全員へ視線を走らせた。 「正面は私が。遥斗様は側面を」 「すみません、アズラエルさん! ……このザボアザギル、もしかして」 「あっ、来るよ! みんな、気をつけて!」  ジンジャベルが猟虫クルクマを解き放ちつつ、空へと操虫棍で舞い上がる。  それは、氷上を滑るザボアザギルの巨体が迫るのと同時だった。  オルカは久々のスラッシュアクスを展開と同時に変形、剣モードですれ違いざまに一撃を浴びせる。  強属性ビンの力に輝く刀身が、氷の鎧を纏ったザボアザギルの表面を切り裂いた。  だが、ザボアザギルは痛みに怯むことなく、痛みすら感じた様子をみせない。ゆっくりと狩場の奥でターンすると、再びオルカたちへと迫った。  剣を盾へと装填、榴弾ビンをチャージする遥斗の声がこわばってゆく。 「やはり、狂竜ウィルス! オルカ、気をつけてください!」 「狂竜ウィルス!?」 「黒蝕竜ゴア・マガラを中心に広がる、謎のウィルスです。感染すれば」  ちらりと遥斗が視線を走らせる。その見据える先を向いて、オルカは察した。  常軌を逸したザボアザギルの挙動、そして圧倒的な攻撃力。まるでそう、病理の魔の手に操られているかのように、化け鮫は死に物狂いで襲い来るのだ。  だが、あくまで冷静にランスを構えるアズラエルが、平坦な声を投げかけてくる。 「事情はだいたいわかりました。私に考えがあります」 「アズさんっ、何かいい手が?」 「ええ」  アズラエルは、再びこちらへ突進してくるザボアザギルを見据えて、さらりと言ってのけた。 「極力触らないようにして、狩りましょう」 「……そんだけ?」 「ええ」 「……どうやって?」 「なるべく近付かないように。できるだけ触れないように」  そんな無茶をさらりと言って、アズラエルが脚を使い出した。  たちまち彼は左右に身をゆすりつつ、ステップでザボアザギルに近付いてゆく。ランスは元来、密着しての連続攻撃を主体とする武器だ。だが、遠巻きに皆が見守る中……不意に距離を測ってアズラエルは走り出す。  猛突進から地を蹴り、アズラエルが宙を舞った。  同時に、頭上を取って突き出したバベルが、深々とザボアザギルの背ビレを抉る。  それだけでアズラエルの猛攻は終わらなかった。 「モンスターに乗りました」 「お、おう……アズさん、さっき触るなって」 「出来る限り、の話です。……皆様は。私は、別に……さ、今のうちに攻撃準備を」  アズラエルは息を乱さずサクサクとハンターナイフを突き立てつつ、暴れるザボアザギルにしがみついている。  だが、アズラエルの拘束を振り切るように、暴れるザボアザギルがオルカの前に迫った。  慌てて回避しようとしたオルカを、鋭い牙の切っ先が掠める。 「うっ! ……なんだ、身体が。全身の傷が、痛みを……これは」 「オルカ、ウチケシの実を! それは狂竜ウィルス感染の初期症状です!」  遥斗の声に、慌ててオルカはアイテムポーチをまさぐる。だが、手の指が思うように動かず、揺れる視界が霞んで滲んだ。ペイントボールや元気ドリンコを落としながらも、どうにかウチケシの実を取り出し……しかし、それを摂取できずに取り落としてしまう。  気付けばオルカは、短い時間で受けた軽い傷が、重傷化してるのを感じた。 「落とします! ……オルカ様、大丈夫ですか?」  ザボアザギルの巨体がようやく、アズラエルの攻撃に屈してその場に崩れ落ちる。  だが、オルカはその場から一歩も動くことができなかった。