オルカを異変が襲っていた。  身体は凍えるように熱く、同時に燃えるように冷たい。二律背反の中に今、狂竜ウィルスの影響下でオルカは悶えて苦しみのたうち回る。  ザボアザギルへ乗っていたアズラエルも、他の仲間達の声も今、たわんで聞こえた。  巨体を喘がせ転げまわるザボアザギルも今、揺れる視界に反響して見えるのだ。 「くっ、はぁ……こ、これが、狂竜ウィルス」  両の手を凍った大地につけて、崩れ落ちるように呼吸を貪るオルカ。  その間も仲間たちが身体を揺すって声をかけてくれるが、まるで見えない壁に遮られているかのように何もかもが遠い。  それでも立ち上がるオルカは、地面に突き立てていた剣斧を杖に、よろけながらも天を仰いだ。  次の瞬間、身の内より湧き上がる破壊衝動が総身へ巡って縛り上げてくる。 「ぐうううっ! がぁっ! はぁ、はぁ……おおおおっ!」  見えない獄鎖に吊られたように、オルカが千鳥足で走り出す。  慌てて後を追ってくる仲間たちを引き連れ、オルカは無我夢中でザボアザギルへと斬りかかった。その太刀筋はデタラメで、体を浴びせるように暴力的な剣を振りかぶる。  背後では冷静な声が追撃を放っていた。 「どうやら、狂竜ウィルス感染個体の攻撃、牙や爪が危険なようですね。空気感染はしないみたいですし、触れた私も大丈夫でした」 「アズラエルさん! 冷静な分析はいいですからオルカを!」 「そうだよっ、もうっ! アズさんは変なとこでのんきなんだから」  遥斗やジンジャベルの声も、オルカの猛攻に合わせて隙をカバーしてくれる。  それでも体勢を立て直したザボアザギルは、再び狂竜ウィルスに汚染された巨躯を向けてくる。だが、肩で呼吸を貪るオルカは、自分が正気を取り戻しつつあることに驚いていた。  身体の自由がきくばかりか、以前にも増して力が沸き上がってくるのだ。 「なんだ……これは、どういう」 「オルカ! よかった、狂竜ウィルスを克服したんですね」 「克服? ウィルスをかい? 遥斗」 「はい、狂竜ウィルスの副作用です! 感染個体からの感染者は、その個体への接触を続けることで重症化しますが……逆に身体能力を向上させることもあるんです」 「それを、克服と」  遥斗の説明には、不鮮明な部分が多い。  だが、今のオルカの身体に起こった変化は、それを裏付けるものだった。  感染後に自分が凶暴化するのも感じたし、攻撃性に支配されるままに剣を振るった。そのことで感染は極限に高まり……逆に克服状態へと至ったのだという。  こういった体質は稀だが、モンスターハンターには多いらしいのだ。 「まあ、オルカ様は昔から健康で頑丈な方でしたから」 「ま、まあね……アズさん、それ褒めてる?」 「褒めてますよ。偉いです、凄いです、素晴らしいです」  真顔でうんうん頷くアズラエルは、再びランスを構えると、ザボアザギルへと正対した。他の仲間たちも武器を構え直せば、猟虫クルクマが印弾を追いかけ飛び出してゆく。  オルカはいつにない高揚感に心身を高ぶらせながら、スラッシュアクスのビンをチャージした。 「とにかくっ! みんな、注意して。できるだけ無駄な被弾は避けて。それでももし、攻撃を受けたら」 「ウチケシの実を摂取するか……一か八かに賭けて、克服すべく破壊衝動に身を任せるか」 「危険ですが、その二つしか助かる方法はありません! ……こんな狩りは、早く終わらせなきゃ」  再びハンターたちが四散して四方へ駆け出すと同時に、ザボアザギルが襲い来る。  その巨体が通り過ぎたあとを、オルカはポジション取りに気を配りながら走った。  先ほどアズラエルが乗りを決めたからか、すでにザボアザギルの背ビレはボロボロに破壊されている。あとでギルドが回収した際には、きっと追加報酬が期待できそうだった。  だが、それも無事に狩り終えればの話でしかない。  そして今、狂竜ウィルスを身に宿す危険な化け鮫は、巨体を翻して迫っていた。 「僕がスタンを狙いますっ! 榴弾ビン、フルチャージ……行けるっ!」 「あっ、待って遥斗! オルカも、アズさんも!」  ジンジャベルの声を振り切り走る遥斗が、ザボアザギルの眼前で盾に剣を合体させる。  たちまち巨大な盾斧が、チャージされた榴弾ビンの唸りをあげて振りかぶられた。  だが、ザボアザギルはその強烈な斬撃に怯んだ瞬間、とんでもない変貌を見せるのだった。 「なっ、スタンしない……失敗!? この僕がっ」 「それより、な、なにあれーっ!」 「ふむ……周囲の冷気を呼吸器に取り込んだようですね」  遥斗の焦り、ジンジャベルの驚き、そしてアズラエルの冷静な解説が続いた。  なんと、目の前でザボアザギルが大きく丸く膨らんだのだった。  そして、巨大な肉塊となって身を揺するザボアザギルが、球形になったその肉体を転がし迫る。納刀と同時に四人のハンターは、一目散に走り出した。  全てを押し潰すザボアザギルが、ゴロゴロと轟音を響かせ背後に迫った。 「っとお! アズさんっ、早く逃げ……アズさん!?」 「私はガードでやり過ごしますので」 「あっ、ずるい! 遥斗、ベルも! ……ベル?」 「ベルなら上です、空です!」 「くっ、なんかずるいぞ! みんなーっ!」  オルカは逃げ遅れた遥斗と二人、転がるザボアザギルにせかされるまま走った。  アズラエルはランスの巨大な盾でやり過ごしたし、ジンジャベルは操虫棍の利を活かしてジャンプで避けたのだ。それを実直にオルカはずるいと感じ、世の不条理を噛みしめるのだった。 「オルカ! あの、僕思ったんですけど!」 「なんだい遥斗!」 「緊急回避でっ!」 「それだ!」  同時に、オルカは宙へと身を躍らせる。一緒に飛ぶ遥斗のすぐ後ろを、ザボアザギルが通り過ぎていった。どうにか逃げおおせたかに思えたが、ザボアザギルは球状の自分を上手く転がしてターンを決めてくる。再び近づく肉の壁に、今度は逃げずにオルカは腰を落とした。  今ならできる、自分が高鳴る……狂竜ウィルスによって強化された肉体に覇気が満ちる。  呼吸を落ち着かせてスラッシュアクスを変形させると、オルカはそのままビンの属性を解放させた。  真正面から剣斧を突き立てられたザボアザギルは、膨らんだ腹の中で属性解放突きを爆発させられると……そのままオルカを押し潰すギリギリ手前で動かなくなる。同時に、ザボアザギルの巨体が冷気を放ちながら急激にしぼみ始めた。 「ふぅ……やった、か。遥斗? あれ、遥斗は」 「オ、オルカ……ここです、た、助けて、くだ、さい……」 「あっ、遥斗!」  ギリギリで遥斗は、ザボアザギルの下敷きになっていた。  あわてて物言わぬ化け鮫の下から、大事な弟分を引っ張りだすオルカ。  やれやれとようやく緊張感をとけば、アズラエルやジンジャベルといった仲間たちに続いて、オトモたちも姿を現した。  そしてオルカは、懐かしい面々と改めて再会する。 「旦那さぁぁぁぁぁん! 会いたかったニャ!」 「お久しぶりだニャン!」 「トウフ! それにテムジンも。懐かしいなあ、元気だったかい?」  ユキカゼの背から飛び出た二匹のアイルーが、オルカの左右からべたりと張り付いた。それは、かつてユクモ村でオルカと苦楽を共にしたオトモアイルーのトウフと、その時仲間だった人のテムジンだった。  こうして苦戦しつつもオルカたちは、モンニャン隊の救出に成功したのだが……迫り来る狂竜ウィルスの脅威を、この時はまだ一大事と考えられずにいたのだった。