遥斗のツテで借り受けた気球艇から、アズラエルは身を躍らせる。  眼下では今まさに、三人の狩人が黒触竜ゴア・マガラに追い詰められていた。  ズシャリ! と着地するや、アズラエルは背のランスを抜槍、割りこむように最前線に立った。すぐ間近で見るゴア・マガラは、光を吸い込む暗黒の闇……目も鼻も耳もない異貌が、不気味なまでに恐ろしい。  だが、不思議とアズラエルの身体が恐怖に縮こまることはなかった。  数々の死線をくぐり抜けてきた身は今、怯える心を切り離す術を心得ているのだった。 「オルカ様、ト=サン様も。ここは私とユキカゼが引き受けます。御三方を!」  そう叫んだ直後、かざした盾に衝撃が走る。  ビリビリと周囲の空気を掻き乱して、ゴア・マガラの咆哮が響き渡った。  だが、その程度で萎縮するアズラエルではない。 「ユキカゼ」 「はいニャ! ボクがオトモつかまつるニャア……旦那さん、一緒にゴア・マガラを!」 「勘違いはいけません、ユキカゼ。時間を稼ぐだけで結構ですので……死なないように」 「は、はいニャ!」  そうしてチラリと、肩越しに背後をアズラエルは振り返る。  そこでは、緊張の糸が切れたのか、グシャリと突っ伏したクイントが動かない。その腹の傷は再び出血しており、処置を急がなければ命も危うい。オルカが駆け寄り、手持ちの薬を飲ませているが、急いだ方がいいだろう。  そして、ト=サンは冷静に背後の岩盤を見上げるや、背負った大タル爆弾をおろした。 「アズラエル! 今からここを発破で吹き飛ばす。退路を確保するまで、頼む」 「承知しました。では……面倒ですが、やってみましょう」  そう言い終えるや否や、アズラエルは地を蹴った。  それは、ゴア・マガラがぬめるようなステップで飛び込んでくるのと同時。  接触と同時に巨大な盾が金切り声を歌い、アズラエルの両の脚が地面へとつま先をめり込ませる。圧倒的なパワーを正面から受け止め、いなしつつ、彼は冷静にゴア・マガラを観察した。  どんな狩りも、相手の動きや容姿、特徴を探ることから始まる。  それは、モンスターハンターの基本中の基本だった。 「ふむ、突進力はさほどでもありませんね。しかし、あの顔には目がない……閃光でハメ殺すのは無理でしょうか。面倒極まりないですね、本当にもう」  冷静に愚痴を零していると、不意に風圧がアズラエルを包む。  ふわりと宙に舞ったゴア・マガラは、風圧で身動きが取れぬアズラエルへと、その口から漆黒の息吹を叩きつけてきた。黒い魔弾がアズラエルへと吸い込まれ、炸裂する。 「っ! なかなかに小賢しいですね。風圧はレウスやレイア相当、しかしこのブレスは……!?」  その時、アズラエルは初めて経験した。  先日、オルカが身を持って教えてくれた、狂竜ウィルスへの感染を。  今、アズラエルの周囲には瘴気が滞留して身を包み、その端正な表情を歪ませる。肉体を蝕む狂竜ウィルスは、あっという間にアズラエルの全身へと浸透してきた。  言い知れぬ気だるさと、凍えるような寒さ……不快な倦怠感がアズラエルを支配する。 「アズさん! ウチケシの実を!」  オルカの声が叫ばれて、同時にウチケシの実がアイテムポーチごと放られる。  だがアズラエルは、オルカの厚意を受け取るよりも、目の前の牙を回避することを選んだ。  鋭い牙がガキン! と空を切り、今までアズラエルが立っていた場所で空中のアイテムポーチを噛み砕く。  同時に、サイドステップで避けたアズラエルは、渾身の力でランスを繰り出した。 「……ふむ、肉質的に硬いのは背中側ですか。ですが、他は特に。ということは」  そのまま重い体に鞭打って、アズラエルはステップと突きを繰り返す。  ゴア・マガラの周囲を時計回りに移動しながら、手当たりしだいにアズラエルはランスを扱く。強力な突きがゴア・マガラを削って貫き、黒く濁った体液が地面で湯気を立てた。  そうして一進一退の攻防を繰り返す内に、アズラエルの肉体にも変化が起こる。 「……なるほど、これが克服現象。へっ、上等じゃねえか糞野郎っ!」  言葉尻が自然と、自分にしかわからぬ郷里の方言になった。  北海言語が自然と溢れてしまう、共用語を忘れてしまうほどの興奮がアズラエルの身を包む。身に宿した狂竜ウィルスの侵食を克服したことで、身体が燃えるように熱い。  猛り逸る血潮の限りに、気付けばアズラエルは雄叫びを上げていた。  その漲る覇気に呼応するように、ゴア・マガラが翼を広げて吠え荒ぶ。 「むう、あれは! ラケル殿、オルカも。見ろ、ゴア・マガラの翼が」 「ホントだ……四肢と別に、完全に独立した翼。あれは、やはり古龍?」 「でもイサナ兄さん、あれは翼というよりも……まるで、鬼の腕」  アズラエルの雨に今、悪鬼羅刹の如き豪腕を振りかざすゴア・マガラの姿があった。  流石に分が悪いと見たのだろう、ラケルとイサナにクイントを任せて、オルカが隣に立ってくれる。だが、今のアズラエルには不思議な高揚感が心地よい。 「アズさん、見て。ユキカゼが背後に回りこんでる。連携してこいつを……アズさん?」  オルカの声が耳に入ってくる。  だが、頭の中に響いてこない。  今、アズラエルの肉体を純粋な攻撃衝動が支配していた。 「へっ、ブッ潰してやる! ……失礼、オルカ様。やってしまいましょう。今が好機です」 「そうか、アズさんは今」 「はい。どうやら感染した狂竜ウィルスを克服できたようです。これなら!」  言うが早いか、アズラエルは駆け出すと同時に跳躍した。普段に倍する跳躍力で、瞬く間にゴア・マガラの頭上を制して、槍を突き出す。唸る豪腕が繰り出されたが、それを空中で身を捩って回避しつつ、アズラエルは漆黒の背に舞い降りた。  そのまましがみつくと同時に、腰のハンターナイフを引き抜く。 「モンスターに乗りました。さて……適当に転がすので、その隙に」 「わわっ、いきなり乗った!? え、ええと、ビンは……圧縮オッケー! いつでもいいよ、アズさん!」  暴れるゴア・マガラの背で、必死にしがみつきながらアズラエルはハンターナイフを突き立てる。ちらりと見やれば、オルカはスラッシュアクスの強撃ビンをチェックしながら、位置取りを考えて走り出していた。  アズラエルは絶叫するゴア・マガラの背で、両の手に握りしめたハンターナイフを、思いっきり真っ黒な背中へと突き刺した。 「これで、終わりです!」  刹那、痛みに悶え苦しむゴア・マガラの背から放り出される。  転げまわって周囲の木々を薙ぎ倒す黒触竜は、震えながら大地へと身を横たえた。  今が好機と、すかさずオルカがスラッシュアクスを変形させ、その属性を解放させた。  間髪入れずに立ち上がったアズラエルはその時、大量の火薬が炸裂する爆破音を聴く。振り返れば、道を塞いでいた岩盤は吹き飛ばされ、その奥へとクイントを引きずりながら、仲間たちが撤退するところだった。  ならば、深追いは無用と思いつつも、ゴア・マガラへの攻撃は止まらない。 「オルカ様、尻尾を! どうせなら素材を欲張りましょう」 「あ、ああ……凄いね、アズさん。よくそんな余裕が!」 「狂竜ウィルスのせいで気が大きくなっているだけです。それと、元より私は強欲な人間ですよ」  地面に突っ伏したゴア・マガラは、二人のハンターに攻撃を受けつつ、よろよろと立ち上がる。だが、肉質は柔らかいのにどこも部位破壊できぬまま……恐るべき黒触竜は一声鳴くと、大空へと舞い上がった。  突進から繰り出したアズラエルのチャージアタックが、ぎりぎりで空を切る。 「逃げた? のか?」 「逃しましたね」  見上げる空に小さくなってゆく漆黒を認めて、アズラエルは武器を仕舞う。  だが、その時意外な声が二人の耳朶を打ち据えた。 「だっ、旦那さぁぁぁぁぁん! ボ、ボク、降り損ねたニャアアアアアアッ!」  それは、ゴア・マガラの背に乗って攻撃していた、ユキカゼの声。  ユキカゼを背に乗せたまま、ゴア・マガラは遠くの空へと飛び去ったのだった。