あっという間に闇が空を覆った。  突然の異変に戸惑いつつも、オルカはアズラエルやノエルと共に駆ける。 「なっ、なんだなんだ!? 空が突然……ねね、オルカ! アズラエルも」 「ノエル様、落ち着きましょう」  オルカは頷きつつ、既に異界と化した遺跡平原を疾駆する。目指す先へと空の暗雲は吸い込まれ、向かう先で渦を巻いていた。  原理はわからないが、手負いの黒触竜ゴア・マガラとなにか関係があるのかもしれない。 「みんな、急ごう! エルグリーズに合流するっ!」  オルカは段差を一足飛びに乗り越え、走る脚をさらに速める。  仲間たちは二人とも、遅れを取らずその後に続いてくれた。  先程からオルカは、胸中に満ちる黒い霧が広がってゆくのを感じていた。虫の知らせとはよく言ったもので、腕に張り付いた猟虫のクガネも、先程から身体を震わせている。まるで怯えているようだ。  先を急ぐオルカは、周囲の不穏な空気が濃密になってゆくのを感じていた。  この先に、間違いなくいる……そして、近い。 「オルカ様、あれをっ!」  珍しく声を荒らげたアズラエルが、指差す先に闇が集う。  それは、何倍にも巨躯を膨張させた、ゴア・マガラの姿だった。そして、その足元で逃げ惑うエルグリーズが見える。  瞬間、クガネを解き放つと同時に印弾を発射し、オルカはさらなる加速で風となる。  オルカが走る先へと、まるで道案内のようにノエルが放った矢が突き立った。  そして、こちらへと向き直るゴア・マガラへと、オルカは渾身の力でジャンプする。 「これがゴア・マガラ……本性を現したってことかっ!」  オルカの目にも、豹変してしまったゴア・マガラの姿は禍々しく恐ろしい。  無貌だった顔には今、巨大な角が生えて眼光鋭い瞳が見開いている。そればかりではない、全身を覆う巨大な翼は副腕をなし、大地をえぐってひび割れさせていた。 「あっ、オルカ! よかったですぅ、エル死ぬかと思ってました!」  宙を舞うオルカは、見上げるエルグリーズの頭上を飛び越える。  狙うはゴア・マガラの背中だ。一度飛び乗ってしまえば、ペースを掴める。そのまま背中へとナイフを突き立ててれば、どんなモンスターといえども怯んで倒れる筈。  だが、渾身の一撃を空中から振り下ろしたオルカは、手応えのなさに臍を噛んだ。 「くっ、乗り損ねたっ! ……ゴア・マガラが、避けた?」  真芯を外した感触と同時に、着地するやオルカは回避に転げて身を投げ出す。  今しがたオルカが舞い降りた場所を、ゴア・マガラの強靭な尾が薙ぎ払った。 「オルカ様、今援護を。ノエル様!」 「はいはい、わかってますよっ! まーかしといて!」  ノエルの射る矢が雨と注いで、オルカを追い詰めようとするゴア・マガラの機先を制する。  態勢を立て直しつつ、オルカは先ほどの違和感を改めて思い返した。  以前はもっと、簡単にゴア・マガラに乗れていた。アズラエルが乗った時、ゴア・マガラはたやすく背を許したのだ。それが今は、まるで空からの攻撃がどういう意味かを知ってるかのように、身体を小さくずらしてオルカの一撃を凌いだのだ。  ――このモンスターは、学習能力がある。  オルカは改めて、背筋に冷たい汗が滲むのを感じていた。 「オルカッ、エルも手伝うです! ブレスに気をつけてください!」 「ああ! わかった!」  エルグリーズは錆びた大剣を手に、敢然とゴア・マガラへと踏み込んでゆく。振り下ろされる太刀筋はその都度、硬い副腕の爪に弾かれた。  どうやらあの副腕は肉質の硬い部位らしい。  それをゴア・マガラは、巧みに防御へ使ってハンターたちを寄せ付けない。  以前の獰猛性だけを爆発させる戦い方とは違って、今のゴア・マガラには知性すら感じられた。それは残忍な狡猾さで、周囲のオルカたちを蹴散らしながら暴れまわる。 「オルカ様、落とし穴を置きますので」 「でも、こいつは……」  不安な気持ちがなかなか収まらない。オルカは今、明らかにゴア・マガラの恐怖に呑まれていた。思わず手足が萎縮して、臆病という名の病魔が心の底へと浸透してゆく。  ゴア・マガラはやはり、古龍なのか?  それとも、以前戦った通り飛竜なのか?  落とし穴は効くのか、それとも破壊されてしまうのか。  迷う自分に迷い込んで、オルカは一時悩みつつも身体を動かす。 「オルカ、大丈夫ですか? いつものキレがないですっ!」 「あ、ああエル……その、君の記憶にはないんだよね、ゴア・マガラのことは」 「はいっ! さっぱりわからないです!」  ゴア・マガラの猛攻は続く。  降り注ぐ矢を意に介さず、防御を固めて前衛に立つアズラエルをあざ笑うようにサイドステップを繰り返す。暗黒の空を覆うほどの巨体が嘘のように、その挙動は速く鋭い。  ゴア・マガラは後ろ足で立ち上がったかと思うと、全体重を預けてハンターたちを圧殺しようと身を乗り出してきた。巨大な質量が大地を引き裂き、岩盤を砕いて屹立させる。  まさしく天変地異としか思えぬ脅威から、ひたすらにオルカは逃げ惑った。  そんな時、仲間の声が耳朶を打つ。 「オルカ様! 乗りを狙ってください。乗ってください!」  アズラエルだ。彼はどうにかゴア・マガラの脚を止めようと奮闘している。  見知らぬ行きずりの仲、一期一会のハンター同士なら不快でもある言葉が、今のオルカには自然と緊張感を振り払う清涼剤となる。本来アズラエルは実利にうるさい性格だったし、そのことを隠すような人間ではなかった。  乗りを期待されていることは、オルカの迷いを打ち払う。 「あーもぉ、矢が足りなくなっちゃう! オルカ、乗るなら乗って! 援護するから」 「今です、オルカッ! 乗ったら倒すか転ばすかしてくれればいいですぅ!」 「みんな……はは、軽く言ってくれるなあ」  苦笑しつつも回避を繰り返しながら、暴れるゴア・マガラへと印弾を発射してエキスを奪うオルカ。その身体に力が漲り、再び彼は空へと駆け上がった。  曇天渦巻く空へと舞い上がるや、眼下にゴア・マガラを見据えて急降下。  二連撃を見舞うと同時に、しっかりとその背にしがみついてオルカは張り付いた。  両手の握力を頼りに、絶叫に身を揺するゴア・マガラの背へナイフを突き立てる。 「みんなっ! 落とす、絶対に! ……今だっ!」  渾身の力でねじ込んだナイフが、その刃の切っ先がゴア・マガラを震えさせる。ひときわ甲高く鳴いたかと思うと、その巨体は音を立てて崩れ落ちた。咄嗟に飛び退き着地するオルカと入れ違いに、アズラエルやエルグリーズが走る。そのあとを追うように、矢が一点のみを狙って真っ直ぐに飛んだ。 「落とし穴を置きます」 「了解です! エル、なんだかわかってきました……このチャンスでダメージを蓄積させて、最後は落とし穴。ならっ、こぉですーっ!」  エルグリーズが力任せに振るう剣が、あっという間にゴア・マガラの触角を叩き折った。切れ味のない大剣は、その質量だけで何度も何度もゴア・マガラを強打する。地面でもがくゴア・マガラは、悲鳴を張り上げながら立ち上がろうと足掻いた。  その隙にもう、アズラエルが落とし穴を仕掛けてる。  阿吽の呼吸でオルカは、腰のポーチから捕獲用麻酔玉を取り出した。  そして、再度絶叫が迸る。 「やった、落とし穴にハマった! やっぱ……飛竜なんだね、あれ」  ノエルが感心した声を零しながらも、攻撃の手を緩めない。ここぞとばかりに強撃ビンから薬液を振り撒くや、濡れる鏃の矢を叩き込む。その間もずっと、エルグリーズは弾かれながらも剣を振っていた。  そして、オルカはアズラエルと目配せして、捕獲用麻酔玉を投擲する。  不意に空の暗闇が弾けて消え去り、あっという間に青空が戻ってきた。  大きく首を逸らして一声鳴くと、ゴア・マガラは動かなくなったのだった。