天空山での騒動から一夜明け、我らが団のハンターたちは団長の前に勢揃いしていた。そして、この土地に一番詳しいという村人が一人、顔を出してくれている。彼は普段は畑仕事をしている農民で、初めてエルグリーズたちが来た時に出迎えてくれた男だ。  エルグリーズは改めて、どこか知的な雰囲気が隠せない竜人の青年を見やる。  彼は団長やギルドとの連絡員の看板娘に促され、慎重に言葉を選ぶや喋り出した。 「そうか……狂竜ウィルスが天空山に。そして、感染個体をまだ正気の飛竜が」  青年は腕組み俯くと、重々しい口調で呟く。  そう、エルグリーズもト=サンたちから聞いていた。このシナト村が見上げる人類最後の秘境、天空山にも狂竜ウィルスの魔の手が及んでいたのだ。そして最大の謎はただ一つ、どうして黒蝕竜ゴア・マガラを狩猟し終えたのに、この地へ狂竜ウィルスが蔓延してるのか……そればかりは、太古の彼方より生きるエルグリーズにも、全く理解が及ばない。  皆が重苦しい沈黙に閉ざされていると、アズラエルがアイテムを整理しつつ口を開いた。 「合理的に考えると、ゴア・マガラには別の個体……我々が狩猟したのとは別の二体目がいるのではないでしょうか」  その言葉にジンジャベルが「あ、そっか!」と手をポンと打った。  それはエルグリーズには、彼女の単細胞な脳味噌には瞬かなかった閃きだった。思わずジンジャベルに習って同じく手をポンと打ち、ついには二人でポポンと手を叩き合ってしまう。そんな二人の女ハンターを冷たい視線で撫でて、それっきりアズラエルは黙ってしまった。 「なるほどです! エル、考えてもみなかったです! そもそも、考えてなかったですし!」 「いやいやエルさん、少しは考えようよ……でも、ボクもびっくり。そっか、二匹目かあ」  だが、一同の輪に加わりつつ切り株に座っていたキヨノブが、すかさず言葉を挟む。 「でもよ、アズ。おかしかねえか? 二匹目がいるならどうして、ゴア・マガラは常に一箇所に一匹、同じ時間にどこかで一匹しか確認できなかったんだ?」  今度はキヨノブの言葉に「なるほど」とオルカが考え込む。足元にしがみつくミラを気遣いつつも、ト=サンも静かに唸った。言い得て妙な話で、あの遺跡平原の死闘でゴア・マガラを捕獲するまで、各地に現れた個体は一匹だった。そして、同時刻に二匹以上のゴア・マガラが出現したという話は聞かない。  これは、どういうことだろうか?  エルグリーズにはもはや、難し過ぎて頭が回らない。  脳裏にはピヨピヨと飛び回る小さなゴア・マガラが、何度も彼女の思惟を行ったり来たりするだけ。こんな時、最愛の遥斗が居てくれればよかったのだが。聡明で思慮深い少年は今、筆頭ハンター代理の三人と一緒にバルバレに残っている。  彼はドンドルマの古龍観測所に所属する、一種特別な任務を帯びたモンスターハンターでもあったから。 「よしっ! わかりました、エルは遥斗にお手紙を書いてみるです!」 「あ、それは名案だね。どっちにしろ、俺たちが捕獲した個体がどうなってるか、問い合わせるのはいいと思う。団長、鳩をあとでお借りしていいですか?」  オルカの言葉に団長は破顔一笑で承知する。  団長が個人的に飼ってる鳩は、各地の仲間との情報交換に使われている優秀な通信手段だ。どんなに遠く離れていても、遅くとも半月以内には返事が届く。鳥類が持つ野生の方向感覚は、時としてコンパスを覗き込む人間たちの航路よりも正確だ。  一方で、ただ手紙の返事を待つだけでは能がないとも言えたし、もとよりそのつもりもない。  今からエルグリーズは遥斗へ伝えたいアレコレで頭が一杯で、ともすれば肝心のゴア・マガラについての問い合わせを忘れそうだが……彼女だって我らが団のハンター、ちゃんとこれからのことも考えていた。つもりだ。と、思いたい。気がする。感じがしたのだった。  当面はこのシナト村にて、天空山が主な生活の狩場になるのだ。  その天空山に不穏な空気が満ちているとなれば、シナト村のためにも原因の究明が急がれる。こういう時にこそ地域のために働けるのが、真に一流のモンスターハンターと言えた。 「とりあえず、今後はギルドから来る依頼や村人の依頼をこなそう。今まで通りな」  ト=サンの言葉に誰もが頷く。  そのことにエルグリーズも異論はない。 「ハイ! ハイハーイ! せんせーい、提案なのです! エル、提案があるのです!」 「……なんだ、エル」  ト=サンは「俺は先生ではないが」と断りを入れつつ、エルグリーズに発言を促す。  オルカやジンジャベル、アズラエルにノエルといったいつもの面々の注目がエルグリーズへと集まった。仲間たちの視線に期待を感じて、エルグリーズは思わず身を乗り出す。 「せんせーい、じゃなくて、おとーさんっ! エル、思うんですけど」 「……お父さんでもないが、なんだ」 「えっとですね、天空山には今、狂竜ウィルスが蔓延してるかもです! だから、みんなウチケシの実を持ち歩くことです! それで、感染個体に会ったら、ふよーいな戦いを避けるです」  みんなが真顔になった。  目を丸くして、「えっ」と開いた口がそのままになった。  ミラだけが、硬直してしまったハンターたちや団長といった大人たちをぐるりと見渡す。  誰もが皆、エルグリーズの発言に驚いていた。  その、あまりにも常識的で、まるで一人前のハンターのような提言に驚愕していた。 「オルカ、今……今、エルがまともなことを言った!」 「待って、落ち着こうノエル。ええと、エル? なにか変なものを食べたとかは」 「嘘だろおい……あ、いや、オルカ様。あのエル様でも時には稀に珍しく真っ当なことを言うものですよ」 「いやだってアズさんさー、でも……調子狂っちゃうな、ボク」 「……それほどの事態だということか」  ノエルはわたわたと落ち着かなく、それをなだめるオルカは変な笑みを必死でかみ殺している。呆然とするジルの横では、相変わらずの無表情でアズラエルが辛辣に締めて、ト=サンも神妙な面持ちで頷いた。  エルグリーズだけが大きな瞳をぱちくりと瞬かせて、団長たちをぐるりと見渡す。 「あ、あれ? エル、変なこと言ったですか?」 「いや、変なことは一言も」 「凄い真っ当、常識的」 「それが逆に変で、不安なの」  酷い言われようだが、エルグリーズには馬耳東風、馬の耳に念仏だ。  馬並み美女エルグリーズには、馬よりも小さな脳味噌しか入っていないのだ。だから、自分が真っ当なことを言ったという自覚も、周囲が失礼だとは思いつつ驚いてるというその意味も、さっぱりわからないのだった。 「とにかく、だ。みんなぁ! 最後の秘境シナト村と天空山にゃあ、どえれえ冒険が待ってるな! ガッハッハ、それくらいが面白いじゃねえか」  そう言って笑う団長だけが、周囲のオルカたちに笑みを伝搬させてゆく。  エルグリーズもなんだかよくわからなかったが、とりあえず愉快な気持ちになってきたので笑った。このことは遥斗への手紙に書こうと思ったし、団長の言う通りの謎と冒険が待っていると思えば、不思議と胸の奥がワクワクドキドキした。 「おっとそうだ、あんた! ……この鱗に見覚えはないかい? 俺ぁ、この鱗の謎を求めて世界各地を冒険して、最後の最後にここへと流れ着いたんだが」  団長は帽子を脱ぐと、その中から一握りの光を掴み出した。  それは、白金に輝く不思議な鱗だ。  誰もが団長に一度は見せられていた、いうなれば団長の夢そのもの。  この鱗の謎を解き明かすべく、団長は我らが団を結成して世界を旅し、エルグリーズたちモンスターハンターを招いて集め、共に道連れとしてくれたのだ。  そして、ここは世界の果ての果て……秘境中の秘境、シナト村。  ここまで数多の村々を巡り、無数の国境を超えてきた団長にはもう、謎の答を聞く相手は竜人たちしかいない。  だが、今まで聞き続けてきた答が、竜人族の青年からも返ってくる。 「……うーん、ちょっとわからないな。ただ、大僧正様ならなにか知ってるかもしれないね」  そう言うと村の奥へと振り返り、長く伸びる吊橋の先へと青年は目を細める。  シナト村の民へ平安の祈りを捧げる、一族の大僧正がいるという祠がその先へあった。  そして、どこか青年の口ぶりは、その大僧正ならばなにかを知っている、そのことが確かであるようにはっきりとした断言にエルグリーズには聞こえた。  ともあれ、天空山に狂竜ウィルスの脅威を感じつつ、エルグリーズたちのシナト村での本格的な狩猟生活が幕を開けたのだった。