風化して朽ちた封龍剣を蘇らせる、その道具の名は研磨剤。  研磨剤を求めて遺跡平原の奥地を探索するべく、エルグリーズは単身バルバレへと戻ってきていた。定期航路のある村まで団長にイサナ号を出してもらい、そこからは船と竜車を乗り継いでの旅だった。  しばらくぶりに戻ったバルバレは、いつもと変わらぬ砂海の港町特有の活気で出迎えてくれた。熱砂の砂漠から吹く乾いた風が、エルグリーズの緋髪をたなびかせる。  彼女は迷わず、真っ先にギルドの施設へ遥斗を訪ねていった。  門をくぐって廊下を走り、部屋のドアの前まで来て鼓動が高鳴る。 「遥斗、エル帰ってきたです……一人で。遥斗と、二人になるために! エル、エルは……エルはーっ!」  バン! と扉を開いた、次の瞬間には両手を広げていた。  薔薇色の再会を夢見ていたエルグリーズは、遥斗が借り受けて暮らしている部屋へと飛び込む。空気の匂いが遥斗、近付く呼吸と鼓動が遥斗、部屋の雰囲気が遥斗……全身全霊で愛する遥斗の出迎えを受けるべく、だらしない笑みをゆるゆるに緩めてエルグリーズは踏み入った。  だが、そこに待ち受けていたのは意外な光景だった。 「あ、エル! 団長さんの鳩が先に来ててね、待ってたよ。よく戻ってきたね。バルバレに」 「遥斗ぉぉぉぉぉっ! 遥斗、遥斗、遥斗っ! エル、帰ってきたです! ……ん?」  机の前で振り向き椅子から立ち上がるのは、小柄な少年だ。  今日は事務仕事なのか、彼は平服だ。サテンのシャツは少し大きいのかブカブカで、半ズボンが見えないくらいに丈が長い。それでも笑顔で迎えてくれた、それが嬉しい。  それなのに、嗚呼それなのに。  そんな二人の甘い再会を邪魔する声が、ベッドの上から響き渡った。 「遥斗ー、お酒がなくなったッスー! おつまみも……なんかないスか?」  ガシリと遥斗と抱き合った、その豊満な胸の双丘に遥斗の頭を抱きしめ埋めた、次の瞬間にエルグリーズはギギギと首を巡らせる。  手狭な遥斗の部屋で、ベッドの上に半裸のデカい女が寝っ転がっていた。  しかも、周囲には空の酒瓶が散乱しており、アレコレ食い散らかした跡が広がっている。  この大女は誰だと、エルグリーズは自分の身長を棚に上げて眉根を釣り上げた。 「遥斗! この人、だれですか! エルというものがありながら!」 「ん、ああ、この人はクイントさん。我らの団の筆頭代理チームの一人だよ。今、以前の黒触竜ゴア・マガラとの戦いで負傷して、休養中なんだ」 「違うです、遥斗! エルが聞きたいのは、どーしてエル以外の女の子がここにいるですか!」 「え? あ、いやあ……どうしてだろね。いつもここでお酒飲んでるけど」 「なんで裸なんですか!」 「や、インナーは着てるし、包帯も……あ、でもエルが言う通り裸だね。わ、ちょっとこれは」  遥斗は、鈍い。天然で鈍感で、生まれと育ちの良さがそれを増長させている。  エルグリーズが言えた義理ではないが、彼女の愛する少年は、とてつもなくド天然なのだった。そんな二人が抱き合う中、もそもそと面倒くさそうにクイントがベッドから身を起こす。 「あれ、えっと……そだ、エルグリーズだったスか?」 「はい! エルとお呼びくださいです! そして、遥斗のベッドから降りるです!」 「ニハハ、かわいいスねえ……まあ、一杯どスか? って、お酒は切れてたッス、トホホ」 「いいからまず、遥斗のベッドから降りるですー!」  遥斗を放したエルグリーズは、ベッドの上であぐらをかいてるクイントの二の腕を掴んだ。  自分以外の女が遥斗のベッドに座ってる、それってなんだが……エルグリーズはこの感情を表現する語彙に乏しいが、要するにニラニラするのだ。  だが、ニヤニヤと笑って楽しそうにクイントは寝っ転がる。 「自分、いっつもここで遥斗を見ながらお酒飲んでるスよ? 休養中ッス。それ以外も、それ以上もしたかもしれないッスねぇ〜」 「むぎーっ! いくら遥斗がかわいくて素敵で凛々しくてかわいくて、もひとつかわいくても、それは駄目なのですーっ!」 「遥斗と一緒に寝た夜もあったスかねえ? 裸と裸で、ムフフ」 「グヌヌ、うがーっ! そゆのは駄目です、エル許せないです!」  遥斗が間に入って、ようやくエルグリーズは引き下がる。  ベッドにしどけなく横たわるクイントは、下はインナーを履いてるがほぼ全裸だ。体中アチコチ包帯だらけだが、とりわけ腹部の傷が大きいらしく、そこだけ入念にテーピングしてある。  だが、エルグリーズにはそんなことは意識の埒外だ。  エルグリーズが見ても、クイントは見た目が美しいとか、絶世の美女だとかいうタイプの女ではないことはわかる。顔はどちらかというと幼いくらいに無邪気で、しかし警戒感を全く相手に抱かせない表情がエルグリーズに警鐘を鳴らさせる。体つきもむっちりと肉付きがよく、モンスターハンター特有の筋肉質ながら女性らしい丸みを帯びてとても魅力的だ。  ベッドでゴロゴロするクイントは、半男半女のエルグリーズが見てもイイ女である。 「でもでも、駄目です! 遥斗はエルとイチャラブなのです。クイントは出てくのです!」 「んー、でもそれって説得力ないスよねえ? 遥斗はどう思うッスか〜」 「え? 僕かあ、そうだなあ……とりあえず、そろそろお昼の時間だし、三人で美味しいものでも食べようか。エルとは久々にゆっくりできそうだし、シナト村の話を聞きたいな」  遥斗はマイペースを貫くことしか知らず、ほんわかと話す。  昼食と聞いて、エルグリーズはクイントと一緒に飛び跳ねてしまった。食欲が旺盛に過ぎる彼女は、突然の恋敵を前にしてもそれを諌めて収める術を知らない。 「遥斗! エルはお肉が食べたいです、バルバレ名物の丸焼きガーグァとか食べたいです!」 「ああ、いいスねぃ! 自分もそれ、賛成ッス! エル、わかってるッスねえ」 「当たり前です! エルはこう見えても食べ物にはうるさいのです」 「そうと決まれば行こうッスー! ガーグァ料理ならいい店知ってるスよぅ!」  食欲と食欲が二人を結びつけて、ベッドから飛び降りたクイントとエルグリーズはハイタッチ。だが、慌ててはしゃぐ自分に気付くと、彼女は慌てて遥斗の背中に隠れて身を縮める。  まるで借りてきた幼竜のようにグルルルと喉を鳴らしながら、エルグリーズはクイントを睨んだ。だが、クイントはわははと笑って一向に気にした様子がない。  そればかりか、半裸のままで部屋のドアへと向かって振り向いた。 「そういや、エル……話は聞いてるスけど、研磨剤を探してるッスか?」 「そです! エルは遥斗と、平原遺跡の奥で研磨剤を見つけるです」 「んー、それならちょうどいいクエストがあるんスけど、一緒にどうッスかねえ。遥斗と二人きりだと、流石に平原遺跡の最深部は危険スから」 「うー、それはー、そうなんですー、けどー……ぐぬぬ」  研磨剤もそうだが、珍しい太古の文明の利器を得るためには、かなり深くまで分け入らなければならない。それは当然、危険なモンスターが跳梁跋扈する樹海の奥に進まなければならないことを意味していた。  エルグリーズの計画していた、遥斗とのイチャラブ二人旅は、根底から間違っていたのだ。  ニッコニコのクイントを前に、エルグリーズは背中から抱きしめる遥斗をちらりと見る。 「イサナさんとラケルさんにも声をかけてみて、なるべく四人で行こうか、エル。それに……クイントさんの言ってたクエスト、僕も興味があるんだ」 「うー、遥斗がそう言うなら……でも、クエストって」 「ギルドクエスト。特別危険なモンスターを狩るために、受注制限を設けてるクエストなんだけど。最近、平原遺跡の奥に出るらしいんだ……とてつもなく大きい、黒狼鳥イャンガルルガが」 「ガルルガ、ですか?」  イャンガルルガ、それはエルグリーズにとってよく知れた存在だった。嘗ては、天敵だったと言ってもいい。太古の旧世紀、二つの人類が古龍と飛竜を互いに繰り出し争っていた時代……飛竜を駆る者たちは、怪鳥種を極限まで遺伝子チューンした決戦特化型駆逐種を創りだした。それが、イャンガルルガだ。 「わかったです、ガルルガが相手なら大勢の方がいいです。……エルでも、それくらいわかるです」 「よかった。じゃあ、クイントさん。あと一人はイサナさんかラケルさんを」 「任せておくッスよ! ところで……エルは今夜、宿のあてはあるんスか? なんなら、今夜一晩自分と、どスかねえ? ぐふふ、エルみたいなむちむち娘、自分結構タイプなんスよ」  舌なめずりするクイントの申し出を断りつつ、エルグリーズはまたも遥斗の背の影に隠れる。見境なしの色情魔のようなこの女が、果たしてどれほどの腕のハンターなのか……それがまだわからない程度の力量しかエルグリーズにはなく、簡単には力量を見せないほどにクイントの本気の腕前は確かなのだった。