樹海はどこまでも鬱蒼と茂り、その奥へと人類を誘う。  まるで試すように、そして飲み込むように。  久々に奥の手の防具を着込んで歩くイサナは、隣の小さな仲間を見下ろし零した。 「遥斗殿、あれは……放っておいていいのか?」  重甲虫ゲネル・セルタスの全身鎧に身を固めた遥斗は、イサナを見上げて「ええ」と小さく笑った。どうやら、本人はなにも気にしていないらしい。鈍いというか、天然というか、だがイサナとて人のことが言えた義理ではない。  愛する妻が時々チクリと言ってくる自分の至らなさは、外からだと今の遥斗のように見えるのだ。 「遥斗にいいとこ見せるです! クイントどくです、エルが先頭を歩くのですー!」 「にっしっし、駄目ッスー! ここはリハビリがてら、自分が前を歩くッスよぅ」  デカイ女が二人、我先にと前を歩いている。  エルグリーズは市販のハンターシリーズを身につけているが、その隣のクイントは珍しい金色の戦装束に身を固めている。あれはイサナの記憶が確かならば、非常に高価で珍しい防具だ。金獅子ラージャンの体毛を編み込んだ、世界に十着とない防具……怒れる金獅子の力を具現化した戦衣は、ハンターの膂力と胆力を何倍にも増幅させる。  クイントはもともとは大老殿のお抱えハンターで、腕だけは確かだ。  彼女くらいの腕ともなれば、メンバーによってはラージャンすら倒せるということだろう。  だが、エルグリーズは隣にそんな伝説級の防具が歩いてるとはつゆ知らず、ずんずかと大股に歩く。 「だいたいなんですか、クイント! そのキンキラキンの服! ……ちょっと、羨ましいです……凄く、格好いいです……けど! けど、遥斗はもっとかわいい服が好きなのです!」 「焼くな焼くな、焼いても駄目スよエル。しっかし、自分がこれを使う日が来るとは思わなかったスよぉ」  それはイサナも同じだ。  イサナは今、東洋の技術で作られた甲冑を全身に身に纏っている。その名は暁丸……その強化型だ。巨大な古龍である老山龍ラオシャンロンの甲殻と鱗を用いた、高い防御力を誇る逸品だ。だが、それを身に纏ってすら、これから戦う相手を思えば武者震いが込み上げる。  今日のイサナたち四人の相手は、恐るべき凶暴性を誇る黒狼鳥イャンガルルガだ。  一般的にイャンガルルガの目撃例は極めて少なく、一生お目にかからぬままに現役生活を追えるモンスターハンターも少なくない。怪鳥種の亜種だが、青いイャンクックや紫のゲリョスとは違い、滅多に狩場へは現れないのだ。  その生態も含めて、謎に包まれたモンスターなのだった。  だが、それだけに素材が手に入れば高く売れ、作れる防具の性能は怪鳥種とは思えぬ強靭な防御力を発揮するという。イサナにとっては、実利も兼ねた探求の旅になりそうだった。 「それはそうと、クイント……研磨剤、まだですか? エル、研磨剤が貰えればあとはどうでもいいです。そもそも、自分からあの攻逐種に向かうなんて、人間はおバカさんです」 「なに言ってるスかあ、エル! モンスターハンターたるもの、愛しさと切なさと心強さと! 俺より強い奴に会いに行く! くらいでないと駄目ッス。ぐふふ、イャンガルルガ……これを狩ればバルバレで有名人になるッスよ……毎夜毎晩宴会を開いて、かわいいコを呼びまくれるッスよぉ!」  動機が酷く不純で、思わずイサナは笑ってしまう。先程から隣では、小脇に兜を抱えて歩く遥斗も微笑を零していた。欲望丸出しのクイントが、いっそ清々しかった。 「まったく、クイントはおバカさん過ぎるです……エルが言うんだから、そーとーにバカです」 「わっはっは、言うな言うなッスよぅ。照れるじゃないスか」 「……褒めてないです。ぷぅ! ……親の顔が見てみたいです」 「んー、ママは普通の人ッスよ? 今もドンドルマ郊外のサナトリウムで暮らしてるッス」  そういえばとイサナは思い出す……ドンドルマで一緒の時、クイントは定期的に何処かへ稼ぎを送金していたようだった。それが恐らく、母の暮らすサナトリウムなのだろう。病気で療養してるのかとも思ったが、わざわざ根掘り葉掘り聞き出すこともはばかられた。  考えてみれば、この豪放にして豪胆な女傑が、自分のことを話し出すのは初めてだ。 「ママは自分を生む前後から、ちょっと気持ちが病気なんスよね。でも、優しいママだったスよ」 「ママさん……いいですね、やっぱ人間は羨ましいです! ママさんとパパさんが、クイントみたいな娘にもいたんです!」 「なんか引っかかる言い方スねえ、グフフ。……まあ、パパはいないんスけど」 「ほへ?」 「だから、パパはいないんス。なんか、パパは誰だかわからないんスよ……もしかしたら、人じゃないって話もあるッスから。ほら、自分の田舎は山にラージャンが出ることで有名な、あの寒い地方なんスよ」  クイントは獣道で生い茂る草を掻き分けながら、気にする様子もなく滔々と語り出した。  昔、とある寒村に美しい娘がいた。だが、その村は山が哭く冬には、生け贄を捧げるしきたりとなっていたのだ。今まで生きて帰った者はいないが、その娘が生け贄に選ばれ、山の社へと運び込まれた。後日、その娘は帰ってきた……人ならぬなにかの子を身篭って。 「それがクイントなんですか?」 「そゆ話もあるってだけスよぅ。っと、そろそろお宝エリアだったスかね? エル、ピッケルは持ってきたスか?」 「バッチリです! エル、虫あみとピッケルだけは忘れたことないです!」  そうこうしていると、目の前が開けた広場になった。そこだけ木々の中で空白地帯となっており、草も生い茂っていない。よく見れば地面は、風化した石畳のような人工の床が広がっている。遺跡平原と同じく、嘗て存在した旧世紀の文明の残滓が色濃く感じられた。  見渡せば敵意はなく、広場の向こうへ微かに道は続いている。  だが、その時イサナの鋭敏な聴覚は、空気を震わす風鳴りの翼を聴きつけていた。 「クイント殿、エル殿も! なにか……降りてくる!」  その時、突如として強烈な突風が四人を襲った。  まるで、地面から人間を引き剥がそうとするかのような暴風。  そして、木漏れ日の中へ風圧を叩きつけながら、黒と紫に彩られた巨躯が舞い降りた。  全身から発散する殺気と闘気も顕に、ついにイャンガルルガが現れたのだ。 「あちゃー、お宝エリアの前に出てきちゃったッス。イサナん、準備はいいスか?」 「承知! 遥斗殿はエル殿を。ここは私がクイント殿と」 「了解です、エルッ! 僕から離れないで……生半可な防具じゃ、イャンガルルガ相手に無謀は厳禁だよ」 「うー、遥斗ォォォォォ! エルを守ってくれるですね!? エル、感激です!」  身構えるハンターたちを見つけて、真っ赤に充血した瞳を向けてくるイャンガルルガ。その口から耳をつんざく絶叫が迸った。聴くもの全てを戦慄に凍らせる、怒れる黒狼鳥の咆哮だ。同時に、地を蹴るイャンガルルガの突進が四人を襲う。 「チィ、先手を取られたか! しからばっ!」  固まっていた四人は散り散りに避けながらも、四方に散って体勢を整える。  背の太刀を抜刀すると同時に、イサナは素早くクイントとは逆側に回り込む。共にドンドルマでは長らく狩りを共にした仲、突然の遭遇戦でもフォーメーションは阿吽の呼吸である。尻尾側へと位置取りを変えて回り込むイサナは、挑発に吼えるクイントの声を聴いた。  クイントはイャンガルルガの正面に陣取ると、巨大な蒼火竜の蛮刀を抜き放つ。 「さあこいッス、ガルガル野郎! 黒狼鳥だかコケコッコーだか知らないスけどねえ、こちとら大老殿にその人アリと言われたクイント様ッスよ! お前なんかけちょんけちょんにやっつけて、素材売りまくって酒池肉林するッス!」  煽るクイントに反応したのか、イャンガルルガがクチバシを繰り出してにじり寄る。  その連続攻撃を巧みなステップで避けるクイントは、流石は大老殿ハンターと言うべき実力の片鱗を見せつけてきた。  同時に、イサナは尻尾の切断を試みるべく、手に握る太刀を引き絞って足音を殺す。  ヘルムを被った遥斗はチャージアックスを剣モードでサイドに陣取り、エルグリーズはポーチの中をまさぐりながらあたふたとその周囲をチョロチョロしていた。  正面で真っ向勝負に出たクイントの剣が、イャンガルルガのクチバシと激しく火花を散らす。  そのさなか、巨大な黒狼鳥の足元へ無謀にもエルグリーズが走り出す。 「エル、知ってます! こゆ時は……落とし穴ですっ!」  モンスターハンターの中でも、持ち込んだアイテムを惜しむ者は生き残れない。それが狩りの鉄則だが、果たして落とし穴は……? イサナは噂にしか聞いたことのないイャンガルルガを相手に、自分もあとで閃光玉等を試そうとは思っていた。  だが、そそくさと落とし穴を設置して逃げるエルグリーズへと、イャンガルルガは振り返る。  猛ダッシュで逃げるエルグリーズのがら空きの背中へと、その口から火球が迸るのだった。