永遠にも思える時間の堆積で、その中に埋もれて沈んだような錯覚をト=サンは感じた。  だが、狩りが始まってからまだ五分と経っていない。  ただ対峙するだけでも集中力が消耗され、目を合わせれば恐怖がこみ上げて精神力を削いでくる。目の前にいる巨大な火竜リオレウスは、そういう相手だった。  狩人と獲物である両者は、どちらがどの役割を演じれているのだろうか?  空の王、王の中の王はただ静かに唸ってじっとト=サンを見詰めてくる。背にジンジャベルを庇いつつ、睨み合いが永遠に続くかに思われた。 「……来るかっ!」 「えっ、来るって? やるってこと!?」  すっかり気圧されたような、それでも精一杯に勇気を振り絞るジンジャベルに、ト=サンは肩越しに頷いてやる。  それは、リオレウスが怒号で緊張感を臨界へと高めるのと同時だった。  吠え荒ぶリオレウスの絶叫が、あっという間に身体の自由を奪ってゆく。 「くっ……なんて覇気だ。先ほどの余裕といい、並のリオレウスじゃないな」  ト=サンの背筋を、冷たい汗が落ちてゆく。  だが、怖気づく訳にはいかない。そして、怖気づいてもいられない理由が背後から飛び出した。その声は震えていたが、強張りながらも合わない歯の根をガチガチ言わせて小さく吠える。 「やっ、やろうよ、ト=サン! やっちゃおう! この天空山で狩りを続けるなら、きっと避けて通れない相手……だって、このレウスは山の王だから」  ジンジャベルは腕の猟虫クルクマを解き放つと、操虫棍を身構える。  ありったけの勇気を総動員した少女の決意に、ト=サンも不思議と恐怖が薄れていった。代わって身の内からこみ上げるのは、言い知れぬ雑多な感情。熱さを持った好奇心と挑戦心、そして闘争心。  それこそがモンスターハンターをハンターたらしめている、自分の中にしか見つからない最後の武器だ。 「無茶はするなよ、ベル! 乗りも無理しなくていい。まずは……ペースを掴むっ!」 「りょーかいっ! 援護しつつ乗りも狙って、クルクマと二人で撹乱するよっ!」  二人のハンターが同時に地を蹴った。  二手に分かれて円の動きで、中心へとリオレウスを閉じ込めるようにト=サンとジンジャベルが走る。リオレウスは交互に両者へ目配せをしながら、巨大な翼を翻した。  羽撃き一つであっという間に、ト=サンたちの脚が殺される。  だが、風圧に抗い舞い上がる砂塵の中に獲物を捉えて、ト=サンは手近な段差へ駆け寄った。三角飛びの要領で、レウスシリーズで身を包んだ自分を空へと持ち上げる。  全身をバネに駆け上がるような跳躍力が、あっという間に飛び上がるリオレウスへと肉薄した。 「叩き落とすっ! ベル!」  咄嗟の瞬発力で上を取ったト=サンの、その手に光るポイズンタバルジンが唸りをあげた。  リオレウスは首を巡らし吠えながらも、雄々しく羽撃き空中で向き直る。  迎え撃つ牙へと向かって、ト=サンが剣を振り上げた時には、 「任せて、ト=サン!」  操虫棍を弓なりにしならせ、それ自体を巨大なバネにしてジンジャベルがト=サンの更に上をゆく。彼女は得意の軽業を駆使して宙で反転し、リオレウスの背中めがけて急降下した。  ト=サンの刃が牙と火花を上げた、その瞬間にジンジャベルがしがみつく。  背中に少女を載せたまま、リオレウスが空中で藻掻いて動きまわった。  だが、必死でナイフを突き立て食らいつくジンジャベルは、暴れ回るリオレウスの動きを、そのリズムをよく読んで耐えながら攻撃を続けていた。  ト=サンは確信を持ってシビレ罠を設置しつつ、祈るような気持ちで空を見上げる。  低空で背中の見えない敵に吠えるリオレウスは、ついに屈するように降りてきた。そう、降りてきた……狩人を載せたまま飛び続けることも異様ならば、落ちずに自ら降りるのも異常だ。それでもリオレウスはジンジャベルを振り払うや、おとなしく罠へと誘導される。  雷光虫の力を封じた罠は、短時間だが空の王を大地へと縛り付けた。 「乗って、成功した? ボク……なんか手応えが、変だった、けど」 「その話はあとだ、いくぞ」  ト=サンは狩りの道具を惜しまない。得意分野のタル爆弾もたっぷり持ち込んでるし、消耗品だってチャンスを見て要所要所で使っていく。普段から採取等をこまめにして、この手のアイテムは欠かさず補充しているト=サンだった。  そして、閃光玉をリオレウスの鼻先に投げると同時に、ト=サンは斬撃を振りかぶる。  強靭な甲殻と鱗は鈍い手応えで、ト=サンの切っ先を受け止める。思うように攻撃が通らず、二発三発と連撃を浴びせるも、ト=サンは奇妙な焦りを感じた。  シビレ罠の拘束時間はあまりにも短く、先ほどの閃光玉が効いているとはいえ危険は大きい。  そして、足元のシビレ罠を蹴り破って、とうとうリオレウスは動き出す。  その巨大な瞳が怒りで充血して、ハンターたちを見失いながらも空の王は怒号を張り上げた。 「大丈夫、閃光玉が効いてるよ! ボクがこのまま尻尾を」 「待てベル、迂闊だっ!」  奇妙な違和感に、思わずト=サンは警戒心が膨れ上がってゆくのを感じた。攻めれば攻めるほどに、危機感だけが大きくなって焦れる。乗られれば降りてきて、罠にも入って目も回した……ここまでは普通のリオレウスと変わらない。  だが、ハンターたちのペースで有利に進んで見える狩りの中で、リオレウスから言葉にできぬ余裕を感じるのだ。  そしてそれは、パートナーへのピンチとなって顕在化した。 「わわ、くぁっ! ……ッチチ、うう。今のは、効いたぁ」 「大丈夫か、ベルッ!」  尻尾側に回りこんだジンジャベルを、リオレウスは長い尾の一撃で薙ぎ払った。見えなくとも構わぬとばかりに、点ではなく面での一掃……その直撃を受けたジンジャベルが、辛うじて受け止めた操虫棍ごと倒れる。すぐに起き上がって無問題をアピールする彼女だったが、ト=サンには足元が少しふらついて見えた。  そして、あまり攻撃のチャンスを与えないままに、リオレウスの視力が回復する。  次の瞬間、突風が吹き荒れト=サンはジンジャベルごと吹き飛ばされた。 「なんと、風圧だけでこれだけの……ベル、一度下がるっ!」  腰を落として踏ん張るト=サンは、じりじりと地面から引き剥がされる。風圧だけでハンターの機動力を削ぎ落としたリオレウスは、空中を舞うように飛びながら火球の雨を降らせてきた。  ト=サンがジンジャベルを庇いつつ、盾をかざして逃げまわる。  優位性があっという間に失われた狩場には、ただただ空の王が睥睨する地獄が広がっていた。 「ご、ごめん、ト=サン!」 「大丈夫だ、ミスではない。ミスではないのだ……この相手は!」  歯噛みに唸るト=サンの頭上を、危険な弾道で幾重もの焔が擦過する。どれも触れれば火だるまは免れない、まさしく降り注ぐ地獄の業火だ。流星雨の中を逃げ惑う二人が、どんどん追いつめられてゆく。  上空を高速で行き来するリオレウスは、確実に地形を見ながら攻撃を繰り出していた。 「くっ、どうすれば……なにか反撃の、いや……立て直す機会を――!?」  盾の向こうに翼を見上げて、荒れ狂う嵐の中で火柱に照らされて、ト=サンは見た。  この鉄火場と化した区画に、一人の男が飛び込んできたのだ。  その男は、背負ったスラッシュアクスを抜刀するや、空を睨んで大上段に振り上げる。 「ト=サン、ベルッ! 無事かい」 「オルカッ!」  それは、仲間のオルカだった。だが、一緒だったアズラエルの姿はない。  単身急降下してくるリオレウスの射線上に踊りでたオルカは、真正面から剛斧の一撃を振り下ろす。それは、リオレウスの口から灼熱のブレスが迸るのと同時だった。  激しい衝撃音と爆発音で、一瞬ト=サンの視界がフラッシュアウトする。  その眩しく白い闇が去って視界が戻ると、飛び去るリオレウスの翼が今は遠い。  そして、半身を真っ赤な血で濡らしたオルカが片膝を突いた。 「流石に、叩き落とせないか……でも、当たった。奴も生物、空の王とて一匹の飛竜だ」  オルカの獄狼竜を紡いだ防具は、返り血で濡れているのだった。  放たれた火球とすれ違いざまに、オルカは地面すれすれまで降りてきたリオレウスに一撃を見舞ったのだ。だが、それがさらなる王の怒りを掻き立てることになるとは、この時は三人とも考えもしないのだった。