信じられない突然の天変地異に、オルカは慌てて家を飛び出していた。  シナト村に滞在する際に借りた小屋を出れば、西に傾いた太陽の光さえ奪うような輝きが天上にある。それは、見る間に強くなって辺りを煌々と照らしていた。 「なっ、なんだ! ああ、エル! これは」  天廻龍シャガルマガラ討伐の戦勝祝いから、エルグリーズも飛び出してきた。  両手に肉と盃を持っているが、エルグリーズは空を見上げて言葉を失う。  ハンターたちだけではない、村人も誰もが家の外に出て空を見上げる。その先で光は、ますます強くなりながら……空の一点へと真っ直ぐな輝きを発射した。  光の矢が軌跡を引きながら、空の彼方へと投じられる。 「おいおい、なんだ? なんの騒ぎだありゃ……」 「あの光……な、なんだか、見てると、心が……震えが、涙が!」 「ど、どうしちまったんだ? なんでオイラは、寒くもないのに」  村人たちの樣子も明らかにおかしい。見渡すオルカ自身、自分の異変を敏感に感じ取っていた。鼓動が高鳴り収まらず、心臓は今にも胸を食い破って飛び出しそうだ。呼吸は落ち着かずに空気を求めて貪る中で、オルカはなんとか自分を二本の足で立たせている。  ふらつく自らの足を見れば、自然と視界が二重に滲んで霞んだ。  明らかに体の様子がおかしい、そしてそれは他の者も同じようだ。  倒れそうになったオルカを、咄嗟に隣のエルグリーズが支えてくれる。 「大丈夫ですか、オルカ!」 「あ、ああ……エル、君は……平気みたい、だね。身体がなんだか、おかしいんだ……」 「それは……それは、ですね、それは……」  エルグリーズはオルカに肩を貸しつつ、空に浮かぶ巨大な光球を見上げる。  その横顔には、いつになく真剣な険しさがあった。ともすればあどけないエルグリーズの美貌が、まるで苦悶に痺れるような歪みを見せている。  オルカは自然と、事の重大さを察した。  そして、エルグリーズは躊躇った末に、怪現象の正体を説明してくれる。 「オルカ、よく聞いてください。今のオルカは……人間たちは勿論、竜人たちは、遺伝子レベルで刻まれた原初の恐怖に蝕まれているです」 「原初の、恐怖?」 「そうです……あれを皆が知っているです。遥かな太古の昔、この星を灼いた龍の記憶を。人が忘れても、遺伝子が覚えてるです!」 「遺伝子? 忘れた記憶を、覚えてる? だって?」 「遺伝子は、親から子へと紡がれる血の継承……その人がその人であったという、種です。それを皆、遠い昔から引き継いできたです。あの時代、竜と龍とが戦う地獄の世界から」  人はそれを、竜大戦と呼んだ。  数千年も昔、星の海より降りて地に満ちた人類は、程なくして完全にこの星へと根を張った。しかし、すぐに人類は同じ人間同士で争い、その中で恐るべき禁忌の技術を発展させ続けたのだ。その結果が、龍脈と龍穴を利用した古塔であり、その防衛システムとして生まれた古龍。さらに、古龍から作られた反撃の刃……飛竜。  長きに渡る戦乱は、人類が文明を全て滅ぼし忘れるまで止まらなかったのだ。  その時の記憶を遺伝子が覚えている。  地上最強の絶対摂理、古龍の中の古龍を覚えているのだ。  エルグリーズは、誰もが見上げる空の光を指差した。 「見るです、オルカ! ……あれは、エルと同じです。そう、同じだったんです、あの子は」 「あれは……ま、まさか! いや、そんな。でも……ミラ!」  苛烈な光を放つ球体の中心には、我らが団の最年少メンバーが浮かんでいた。小さな小さな女の子だ。ト=サンになついて一生懸命に働き、皆にかわいがられていた、その名はミラ。そのミラが今、渦巻き輝く光の中に閉じ込められている。  そして、ミラから発する真っ直ぐな光が……恐るべき災厄を天より呼び込む。  突如として、その場の全員に直接囁くような叫びが響き渡った。 『我は降臨す……星の海より攻躰本体は来たれり。愚かなる定命の者よ、滅びの頸城を解き放った汝らに裁きが下る。この星の終わりよ、始まれ!』  同時に、頭上に何かが降りてくる。  輝くミラを包むように、渦巻く雲を吹き飛ばして……巨大な古龍が姿を表した。  それは、ミラが放つ真っ直ぐな光を吸い込む漆黒の龍。世界各地の神話や伝承に名を残す、滅びの御使……暗黒そのものが翼を広げたような巨体だ。 『我はミラボレアス。祖なる母より生まれ、紅の子を持つ龍の中の龍。塔による惑星管理を拒む者たちよ。汝らに死、あれ!』  空気が縮退するように爆ぜ狂った。  あっという間に周囲で悲鳴と絶叫が巻き起こる。  ミラボレアスが一声吼えただけで、シナト村は恐慌状態に陥った。  オルカもエルグリーズが支えてくれていなければ、恐らく恐怖に負けて叫び転がっていただろう。実際、今も身体の自由が効かない。  オルカのハンターとして鍛え上げた肉体が、主よりも太古の恐怖を選んだのだ。  だが、それでもオルカはエルグリーズを下がらせ、ふらふらと歩み出る。 「あれが……あんな古龍が! このままでは、村が!」 「オルカ様! 武器を……咄嗟でしたのでスラッシュアクスですが」  オルカへと武器を投げつつ、ヘヴィボウガンを展開するアズラエルが現れた。普段から怜悧な無表情を凍らせている彼が、今は流れる汗も顕に頬を痙攣させている。弾薬を装填する手は震えていた。  だが、それでもオルカがそうであるように、アズラエルも戦うつもりだ。  そして、原初の恐怖と戦っているのは二人だけではなかった。 「だだだ、だいじょーぶっ! オルカ、へーきだよ、へーきぃ! ……ジルはイサナ号に逃がした、最悪船長が船を出すけど逃げきれるかどうか。あばば、や、やばいじゃん? これさ」 「……なにがあった、ミラ。どうして……クッ! 身体が思うように……ミラッ!」  ガクブルに震えるノエルも、どうにか鎧を着込んだト=サンも長子が悪そうだ。とてもじゃないが、目の前の光景を前に正気が保てない。オルカとて、ともすれば発狂しそうな程に恐ろしい。  あまりの恐怖に理性が暴走して、あらゆる感情が爆発しそうだった。  だが、それをねじ伏せるのは己に宿るハンターとしての矜持、尊厳……そして人としての誇りだ。目の前に今、脅かされている人間がいるなら戦う。それが飛竜でも古龍でも関係はない。例え大自然を相手にしたとて、知恵と勇気で戦うのがモンスターハンターだから。 「オルカ。アズにノエルも。俺は……ミラを助けたい。助かるものならば……いや、必ず助けてみせる」  用意がいいことで、ト=サンは既にフル装備で巨大なタル爆弾を背負っている。聞けば、ミラは看病中に小屋を吹き飛ばして天へと昇ったという。それで慌ててト=サンは、なにかあると狩りの準備を……戦いの準備を整えてきたのだ。  ノエルはアズラエルより酷くて下着姿だが、弓と矢筒は装備しているようだった。 「エル! 俺たち四人になにかあったら……団長たちを守って出港を! 村人たちを全員イサナ号に避難させて!」 「だ、駄目です……オルカ! 駄目です、それ駄目です! ……死んでしまいます」 「やってみなきゃわからないさ! ……はは、震えが。こら、俺……しっかりしろよ」 「人間であるかぎり、原初の恐怖には……遺伝子には勝てないです!」  そんな難しい話は、オルカにはわからない。  オルカに、そして仲間たちにわかっていることはただ一つ。たった一つのシンプルな理だ。  すなわち、狩るか狩られるか。  そしてオルカたちは、今日のパンと明日への寝床のために生命を狩る、モンスターハンターなのだ。這うようにしてオルカが、アズラエルが、ノエルが……ト=サンが進もうとした、その時だった。不意に背後で、小さな呟きが零れる。 「……わかったです。でも……エルは、みんなに死んで欲しくないです。勿論、ミラも……なら、エルが……エルがやるです! エルが……全ての龍を狩り尽くす、ですぅぅぅぅっ!」  突如、オルカが振り向く背後に火柱が上がる。真っ赤に燃える業火が逆巻き、天の光を突き破った。そして、その中に……翼を広げる紅蓮の魔女の姿があった。 『……ほう? 貴様は……我が眷属、煉黒龍グラン・ミラオス。我より生まれし災禍の縁。本体は、攻躯はどうした? ……何故』 「エルは、エルです! みんなと同じモンスターハンター、エルグリーズ! その名の通り、災の焔を打ち砕くです。……例え、もうみんなと一緒じゃなくなっても……ッ!」  何かがオルカの視界を掠めた。  それは、飛来して真っ直ぐエルグリーズへと吸い込まれる、封龍剣。  そこでオルカの意識は、真っ白に塗りつぶされる炎の視界に溶け消えていった。