惨劇から一週間、シナト村はどうにか平穏を取り戻しつつあった。  だが、誰もが暗い目で日々を過ごしている。  皆、知っているのだ……既にこの世界に、この惑星に平穏などありはしないということを。解き放たれた災厄は、今にも世界全土を飲み込んでしまうのだ。  終わりが始まった時、どこが最初かなどは意味のない話だ。  最終的には全て、定められたシステムという名の運命に飲み込まれてしまうのだ。  そのことを今、筆頭代理チームを束ねるラケルは痛感していた。 「つまり、例の黒蝕竜ゴア・マガラ……天廻龍シャガルマガラが、スイッチだったと?」  鍛冶屋で武器の手入れをするイサナの言葉に、ラケルは大きく頷いた。自身もボウガンを肩に立てかけ、弾薬の調合を行ってゆく。通常の狩りで使うような弾ならば、店で一通り売っているが……レベルの高い麻痺弾や睡眠弾、そしてなにより滅龍弾は別だ。  龍殺しの実を調合しつつ、イサナの問いにラケルは応える。 「つまり、遥か昔……旧世紀文明を滅ぼしちまった戦いで、さ。全て仕組まれてたんだ。そして、それを仕組んだ連中が死滅しても、システムだけが数千年も生きていたんだ」 「それが、天空山の禁足地……そこにかつてあった古塔と、シャガルマガラ」 「そゆこと。シャガルマガラはゴア・マガラという飛竜に擬態して敵勢力に潜り込み、狂竜ウィルスをばら撒きながら情報を収集する。そして一定周期が経つと――」 「収集したデータをアップデートするため、天空山に帰ってくる。シャガルマガラへと脱皮して。シャガルマガラと天空山の古塔は、古龍を使役する勢力の唯一にして絶対の情報保管庫だった。……古龍観測所では、そう結論づけてますな。そして」  そう、そして……この大昔の狂気を孕んだシステムには続きがある。  かつてこの星がラグオルと呼ばれていた時代、人類を二分した大戦の中で、古龍を操る勢力は恐るべき計画を進めていた。祖龍と呼ばれし原初の源、母にして父なる龍を中心とした世界回路の裏返し……この星で理想が実現できなかった場合の、最終安全装置。  それが今、動き出した。  情報を統合して巡らせるサーバだった、シャガルマガラが討たれたことによって。 「既にもう、千剣山に派遣された連中は異変を捉えているらしいよ。さっき、遥斗が言ってた」 「千剣山……?」 「大陸奥地の秘境に聳え立つ絶界の霊峰さ。まー、今まで古龍観測所とハンターズギルドの管轄で、絶対に立ち入り禁止にしてたんだけどね。その訳が、これって訳」  このシナト村より離れること、遥か先……飛行船でも一週間は掛かる大陸奥地。そこに、人知れず巨大な山が空を引き裂いている。連なる峰々が剣のように切っ先を天へ向けていることから、その山は千剣山と呼ばれた。  そこで今、終焉を呼び込む最悪の災禍が動き出した。  そのことはすぐに、伝書鳩を通じて我らが団の団長に届けられた。  どうやらあの男、団長は以前はどこかの国の研究機関にいた人物らしい。だが、その詮索よりも先にしなければいけないことがある。 「蛇王龍ダラ・アマデュラ……それが災厄の名」 「そう、この星そのものを消滅させ、収集不可能な大戦を当事者ごと消し飛ばすためのシステム。シャガルマガラと天空山の、千年単位の営みが断たれたことによって……大昔の馬鹿共が残した最終兵器が動き出したって訳」 「……笑えない話ですな。さて、我が弟は、オルカはどうするやら」 「え? 今更それ? やだな、イサナ……わかってるくせに」  鍛冶屋から太刀を受け取り、イサナは僅かに口元を和らげ笑った。  彼は口数こそ少なく科目だが、家族を大事にして任務に忠実な一流の狩人である。そうでなかった時期を知るからこそ、その中で己を鍛えて家族を労り、いかなる時もハンターらしく自らを律してきたこの男の全てをラケルは知っている。仲間だから。 「そういう訳で、シャガルマガラを倒したせいでダラ・アマデュラが起動し、呼応するようにミラボレアスも復活した。どう? 世の終わりっていうの、信じる?」  ラケルのおどけた問いかけにも、イサナは真面目に表情を引き締める。 「私が信じるのは己と仲間のみ……そのどれもが、世界の終わりを望んではいません、が」 「んー、まぁねえ……ただ、状況は軽く見積もっても絶望的なんだけど。……ん?」  その時、ラケルは気配に振り向いた。  視線の先で、既に包帯の取れた一人のモンスターハンターが鍛冶屋へやってくる。彼の名は確か、ト=サン。我らが団に迎え入れられた、爆発物の扱いに長けた片手剣使いの男だ。  ト=サンはラケルやイサナに一礼して、それから鍛冶屋の男に声をかける。  なにか注文していた物があるらしく、鍛冶屋の主は奥へと一度引っ込んだ。 「やあ、ト=サン。他のみんなはどう? あたしたちはもうすぐ出発するけど」 「出発、というと」 「あたしとイサナ、んでクイントで、千剣山にいく。だから、これが最後かもね」  ラケルは自分でも意外な位、気軽に笑えた。そう、最後になるかもしれない……千剣山へと出向けば、生きて帰ってはこられないかもしれない。  ダラ・アマデュラに関する資料は、ハンターズギルドにも古龍観測所にも少ない。  ただ、星を砕く為に生まれ、星の深部へ潜ってゆく存在とだけ知られている。  正直、そんなバケモノを相手に勝てる気はしない……だが、やらねばならない。今回シナト村で復活したミラボレアスは、どうやら世界各地で主要都市を襲っているらしい。そちらの方へと戦力が割かれているので、自然と動けるハンターが少ないのだ。  古龍観測所もハンターズギルドも、現状で支援も補充もできない旨を通知してきた。  どこも苦しいのが実情だし、それだけ世界は危機に瀕しているのだ。 「……遥斗は、彼は」 「あー、うーん、まあ……今、クイントが付いててくれてるけね。……つまみ食いしてなきゃいいんだけど。でも、遥斗は置いてくかなって。あいつは、ミラボレアスを追うと思う」 「そうか……そうだな」  ラケルの言葉にイサナも大きく頷いた。  あの少年は恐らく、ミラボレアスを……それを追って飛び去ったエルグリーズを探しに行くだろう。世界が終わる最後の瞬間に、悔いを残してはいけないから。彼にとっては、この星の明日と同じくらい、緋髪緋眼の少女は大事な存在だったから。  そうこうしていると、鍛冶屋の主が奥から鎧を持ち出してきた。  恐らくト=サンが修理に出していたものだが、それを見てラケルもイサナも絶句する。 「ト、ト=サン殿! こ、これは」 「なんだこれ……え、これを? ト=サン、あんたが……ま、待って! やばいよ、これは!」  それはレウスシリーズの面影を残した、ト=サンが以前から着ていたものだ。だが、ミラボレアスとの戦いで大破した防具は、驚くべき方法で蘇っていた。  今、鎧を織り成すのは漆黒の鱗と甲殻……闇が澱むような暗黒が光を吸い込んでいる。  間違いない、ミラボレアスがエルグリーズと戦って零した、僅かな素材を惜しみなく使って修繕されたものだ。否、修繕というよりは大改造、そして豹変……まるで、目の前の防具は意思ある生き物のような脈動すら感じられる。  ト=サンは代金を払うと、迷わずそれを着ようとし始める。 「ま、待って! 待ってよ、ト=サン。なにか、こう……おかしい、変だよ! これ」 「左様……私にもわかる、これは人ならざる念が渦巻いている。古龍素材は希少で高価、高性能。されど、あのミラボレアスの素材……異様な雰囲気を感じる。怨嗟と憎悪、殺意」  だが、ラケルの言葉もイサナの忠告も、ト=サンは聞き入れなかった。  そこに気持ちだけを受け取って、ト=サンは篭手を外すや振り返る。 「すまんな、二人とも。ありがとう、だが……もはや手段を選んではいられない。俺は、ミラを……あの娘を取り戻す。いや、俺の元になど……ただ、自由にしてやらねば」 「ト=サン……」 「しがない炭鉱の街で、発破師の息子に生まれた。狩りと火薬と硝煙と、そういう暮らしだったが……このような俺でも、守ってやりたい者がいるのだ」  それだけ言うと、ト=サンは手始めに漆黒のガントレットを左腕に装着する。  次の瞬間、ト=サンは電流に打たれたように仰け反り、その場に崩れ落ちた。右手で握る左腕が、黒一色に覆われて震えていた。まるでト=サンを飲み込むように包んで、食いちぎらん勢いで食い込んでいる。 「ト=サン!」 「……大丈夫だ、問題ない。すまん、次のパーツを取ってくれるか」 「この防具は、ミラボレアスの素材は危険過ぎる。今からでも遅くない、ト=サン殿……今なら私の持ってきた予備の防具も。性能は折り紙つきかもしれぬが、この異様な邪気は」  だが、イサナの言葉をやんわりと拒否すると、ト=サンは笑った。  ラケルはただただ戦慄に凍えつつも、次々とミラボレアスの鎧を分解し、そのパーツを渡してやるしかできなかった。