その廃墟の名は、シュレイド城。  嘗て栄華を極めた、人類の黄金時代を彷彿とさせる巨大な王国がここには存在した。機械科学文明を失って尚、シュレイド王国に人は満ち、政の理は正道、王道をもって民を豊かに支えていた。今の世界で根幹をなす多くの技術が生まれ、遥か太古の昔……人竜大戦と呼ばれた忘却の時代に失われた奇跡の御業すら、多くが復活して国を豊かにしていた。  だが、シュレイド王国と呼ばれた楽園は突如、歴史から姿を消す。  そして、その時を境に現代の人類は、未熟な文明で戦う宿命を背負わされたのだ……シュレイド王国を滅ぼし、定期的に空より降臨する黒き古龍と。傭兵団《鉄騎》や西シュレイドの騎士団、多くのベテランハンターすら歯牙にも掛けず暴虐の限りをつ尽くす、古龍の中の古龍。その名は……黒龍ミラボレアス。  漆黒の災厄との因縁の地、シュレイド城の廃墟を流星が穿つ。  暗雲垂れ込める空より、輝く光が落下し、巨大な爆発で周囲を照らした。 「グッ、ガアアアッ! ……ハァ、ハァ……ウッ! うううー、うわーっ!」  巨大なクレーターから吹き上げる白煙を纏って、爆心地からよろりと一人の女が歩み出た。全身を異形の鎧で覆い、背には左右一対の翼を広げる醜悪な姿……手にした巨大な封龍剣を引きずる、彼女の名はエルグリーズ。古龍の核として造られた生命だ。  エルグリーズはよろりと片膝を突いて屈するや、全身から溢れる血を広げてゆく。  灼け爛れたドス黒い血が広がり、ジュウ! と荒れた土地を殺してゆく。  大きく全身を上下させながら、エルグリーズは呼吸を貪っていた。  そして、彼女の頭上に神威にも似たプレッシャーが舞い降りてくる。 『愚か……煉黒龍グラン・ミラオスよ、その核たる哀れな残滓よ。汝の愚劣極まる抵抗は、我に傷一つ付けること能わず。攻躯を既に失いし汝は、無力と知れ』  巨大な翼を羽撃かせ、澱む暗黒を結晶化させたような醜悪美が浮いていた。  黒龍ミラボレアス……それは、人類にとっての摂理、そして真理。  あらゆる全ての生命の頂点に君臨する、大自然の権化である古龍の更に上位に位置する存在。旧世紀の古塔を奉ずる民が生み出した、人造の神である。  そのミラボレアスを見上げる、エルグリーズは、辛うじて立ち上がった。  その背から、片方の翼が腐って落ちる枝葉のようにずるりともげる。その傷跡から、失った比翼に代わって鮮血が吹き出し天を衝いた。  だが、エルグリーズは両手で封龍剣を構えて曇天を見上げる。 「ミラ、ボレ、アス……ふーっ! ふうううぅ……! エル、負けないです。お前なんかに……負けて、やらないです!」 『グラン・ミラオスの核よ、紅蓮の魔女よ……何故、抗う? 何を贖う? 汝の流す無駄な血を持ってしても、我が下した裁定は覆らぬ。既に我らが創造主は滅び、今の世に満ちる人間は星滅の御業を忘れた』 「そうです! エル、わかる、です……嘗てこの星に降り立ち、惑星管理システムを構築し、二つの勢力に分かれて争った人間……皆、死に絶えた、です! 今のこの星は、オルカとか、アズとか、みんな……遥斗とか! みんなの星、ですっ!」 『されど人は愚か、そして無知。愚劣故に再び同じ道を歩み、やがて天の海へ出て母星を汚し、今度こそこの星を搾取し尽くすであろう。人間とは、我を生み出した人間とは、この宇宙に広がる病原菌。銀河が息づく生命の宇宙へ、次々と感染してゆく邪悪な病』  エルグリーズの目の前に、ミラボレアスは降り立った。  暴風が大地を薙ぎ払って、ともすれば吹き飛ばされそうになるエルグリーズ。だが、彼女は目を手で覆って守りながら、指と指の間に見やる。  既に全身は、活性化させて覚醒に目覚めた龍の因子に満ち満ちている。  傷付き崩壊してゆく肉体は、それでもまだエルグリーズの生命を吸い上げ、恐るべき速度で再生し続けていた。それでも、ミラボレアスへの勝ち目は万に一つもない。  だが、エルグリーズにとっては、勝機が那由多の彼方に閃く一瞬の輝きでも、構わない。人が遺伝子で連なる、血を残してゆく生物ならば……それを見守り、母星たるこの惑星との媒をなすのが本来の龍だ。だから、エルグリーズは戦う……自ら神と悟って暴走し、連理の果てに呪いを忘れたこの時代を守って戦う。 「みんなは、バイキンなんかじゃ、グ、ガッ……ヒギッ! ハァ、ハァ……バイキン、なんかじゃ、ないですうううううっ!」  エルグリーズの全身から吹き出す鮮血が、真っ赤に燃えて炎となる。  漲る焔の化身となって、逆立つ緋髪を紅蓮を纏う。 『まだ抵抗するならば……既に攻躯を失い、我ら眷属の誇りすらなくした汝を処分する。人と心を通わせ、惰弱な情愛に溺れた汝に裁きを下そう。この我が自ら!』 「うっさいです! お前なんか、怖くないです! お前のかあちゃんデベソです! バーカ、バーカ! ……あ、エルと同じお母さんでした。でも、負けないですっ!」  巨体を揺るがし、ミラボレアスが口から巨大な火球を無数に繰り出す。  エルグリーズは既に、手に持つ必殺の対龍兵器……封龍剣をまともに持てず振るえない。徐々に死に始めている肉体は、巨大な滅龍の刃を引きずりながら走った。  無惨な姿で血の轍を大地に刻んでエルグリーズが走る。  転げて這い回り、立ち上がっては転びながらも、走る。 『惨めなり……醜い! グラン・ミラオスよ、そうまでして我に逆らい、たかが人間のために戦うというのか。既に裁定は下された。人間への裁き、それは母なるこの星の消去。蛇王龍ダラ・アマデュラの目覚めは、この星を喰らい無に帰す』 「そんなことには……そんなふうには、なら、ないっ! ですっ!」  烈火の如く爆炎が舞い散る中、エルグリーズが跳躍する。  最後の力を振り絞り、高々と封龍剣を振り上げる。  背に広げる比翼を、吹き出す鮮血が燃える炎となって対に象る。エルグリーズの死力を振り絞る覇気に、真っ赤に燃える封龍剣の刃が輝き出した。 『人間にダラ・アマデュラを止めることなどできぬ。彼の者は絶対の力、終焉を司る星喰いの王。我ら古龍の眷属は人類を裁く。存在自体が罪である人の子から、罰としてこの星そのものを奪う』 「そんな理屈ぅぅぅぅっ! エルにはっ、わっかんない、ですぅぅぅぅっ!」 『むう! 封龍剣……歴史に消えし烈一門! 我にまだ歯向かうか……龍の子が滅龍の刃を振るうなどと』 「エルは、エルは……みんなにニコニコ、して、欲しいん、ですっ!」  長い首をもたげたミラボレアスの頭部へと、エルグリーズは業火をかいくぐりながら舞い降りる。既に周囲を煉獄とかした炎邪が、群れなす無数の毒蛇となってエルグリーズを襲った。  だが、ミラボレアスが広げる裁きの炎では、紅蓮の魔女は灼けない。  自ら炎の化身となって生命を燃やすエルグリーズの、その血を沸騰させる灼熱の力は焦がせない。  エルグリーズは血塗れになりながらも、ミラボレアスの片目へと剣を突き立てる。  絶叫を張り上げ嘆きを歌う封龍剣、その名は烈一門……遙かなる太古の昔、封龍士たちの一派として古龍と戦った者たちの怨念が満ちる一振りだ。名さえ忘れられ、存在すら抹消されていた一撃が、ミラボレアスの片目を深く深く抉った。 『グアアアッ! お、おのれ……グラン・ミラオスゥゥゥゥゥ!』 「そんな名じゃないです! エルは、エルは……エルは、エルグリーズです!」 『我の体に、邪悪なる穢れた刃を突き立て……貴様っ!』 「ああっ! 封龍剣がっ!」  激しく身を揺すって首を翻すミラボレアス。  全力で封龍剣を左目に捩じ込んていたエルグリーズは、ついに振り落とされて地面に転がった。ビシャリ、と濡れた音が響いて、何度もバウンドするエルグリーズが斑色に大地を血に染める。  古龍の黒い血が煙をあげながら、シュレイド城の広大な庭を赤く染める。  嘗て楽師の歌に満ち、騎士たちや学者たちの声で満ちていた場所だ。  国の未来を語り、民の明日を願った場所も今は昔……広大な空き地とかし、周囲の城壁や一部の城塞が残るに留まるシュレイド城は、誰も訪れぬ廃墟だった。  そう、誰も来ない……エルグリーズは知っていた。  誰も助けには、来ない。  それでも、きっと来ない誰かのためにエルグリーズは戦い続ける。  その生命は既に燃え尽き始めて、精根尽き果てようとしていた。よろよろと立ち上がって血を吐くエルグリーズを支えるのは、記憶に残る仲間たちの笑顔だ。そして、その中心で微笑む少年の表情だ。  だが、ずるりと腹から溢れる臓物を手で抑えるエルグリーズが見上げる先に……憤怒に燃え滾るミラボレアスが迫っていた。その左目に突き刺さった封龍剣が、エルグリーズを呼ばうように風の音を拾って吠えている。 『眷属としての情け……最期は苦しまぬよう、塵芥になるまで燃やし尽くしてくれよう。滅せよ、グラン・ミラオス……滅せよ! 紅蓮の魔女エルグリーズ!』  ミラボレアスが天地に開いた顎門の奥から、巨大な光が込み上げる。今までの連射される火球ではない……威力を抑えて速射性を高めた連撃でさせ、シュレイド城は火の海だが、今度は違う。  宇宙開闢のエネルギーに匹敵する超新星爆発レベルの一撃が、繰り出されようとしていた。恐らく今の瀕死のエルグリーズでは、周囲数十キロのあらゆる物質と同時に蒸発、消滅してしまうだろう。  だが、破滅をもたらすミラボレアスの吐息は、飛来した矢に阻まれた。  突如、風鳴りの音を引き連れた矢がミラボレアスの左目に……深々と突き立つ封龍剣の広げた傷に殺到した。ミクロン単位での精密な射撃に、激痛が走ってミラボレアスを吠えさせる。 『グアッ! おのれ……来たか、人間! 弱き定命の者たちよ。汝ら人間が、下等な虫けらであること、思い知りにきたか!? 我の怒りを受けよ!』  そして、自分の流した血の中にペタンとへたりこむエルグリーズは見た。  シュレイド城の城壁に並ぶ、四人のモンスターハンターを。  それは、エルグリーズが守りたかった者。  エルグリーズをいつも守ってくれた者たちだ。 「エルッ! 助けに、きた!」 「原初の恐怖がなんだってんだい! オルカもアズも、ト=サンだってやる気だよ!」 「ト=サンの新調した防具を見て思いました。これは高値で売れるな、と。稼ぎますよ、エル様」 「……ミラ、絶対に助け出す。古龍の核とはいえ、同じ状況から戻ったエルがいる。ならば、同じことが再現できると思うのが道理だ。行くぞ、みんなっ!」  四人は同時に城壁から舞い降り、走り出した。  それを見やるエルグリーズもまた、再生の痛みの中で気付けば立ち上がっていた。