全身をバネに変えて、撓る操虫棍に跳ね上げられたオルカが天へと駆け上る。暗雲立ち込める暗闇の空で、重力に身を委ねながら彼は目を見開いた。  その真下に、長い首を巡らし吠える黒龍ミラボレアス。  真っ直ぐ、迷わずオルカは急降下で落ちてゆく。 「ミラボレアス……お前は、お前だけはっ!」  見上げる隻眼の巨大な顔へと、オルカは舞い降りた。冷たく燃えるような、熱く凍るような漆黒の甲殻と鱗が硬い。その足元を踏み締め、抜き放ったナイフの刃を突き立ててしがみ付く。  絶叫を張り上げ首を振るミラボレアスの、巨大な眼球が目の前にあった。  それは燃え盛る太陽を封じ込めたような、闇の深淵のように暗く深い光。 『おのれ、人間……人間ごときがっ! 我の身に傷をつけ、我の意思に逆らう。度し難き愚かさ!』 「なんとでも言えっ、ミラボレアス。俺たちの今という時代、既にお前たちは神話や伝承の存在……もう、お前が神として君臨した時代は終わっているんだ!」 『ほざけ、人間! 神をも恐れぬその蛮勇、死でもって贖え……汝の罪を我が裁こう!』 「俺は狩人、モンスターハンターだ! 竜を狩りて喰らい纏って、龍さえも倒して刃に変える……俺は、俺たちは! モンスターハンターなんだ! ――うわっ!」  激しく暴れるミラボレアスの動きに、疲労が蓄積したオルカの身体が浮き上がる。このまま振り落とされると思った、その時だった。  操虫棍を手放したオルカの手が、硬いなにかに当たった。  なにかを知覚して確かめる前に、オルカはそれを強く握る。  それは、エルグリーズがミラボレアスの片目に突き立てた封龍剣だ。 「落ちて、たまる、かあああっ!」 『グッ、ガアアッ! 忌々しきは封龍剣……主を失って尚、我に歯向かうのか!』  オルカは、突き立つ封龍剣の柄を必至で握る。  同時に、ミラボレアスの身をくねらせて吠える抵抗に耐えつつ、僅かな間隙に封龍剣を押し込む。マグマの用に赤い血が吹き出し、ミラボレアスとオルカを一緒に汚していった。  そしてオルカは、気付けば自分を信じて待つ仲間たちの声を聴く。 「オルカ様、無理なさらずに! 既に全員、武器を研いで体力を回復させました。十分です!」 「オルカ! もう降りといで! 無理だよ、もう……オルカ死んじゃうよ!」 「残りの爆薬でタル爆弾を……これが最後の一発だ。最大火力……倒れたところに御見舞してやる。信じているぞ、オルカ!」  いよいよ激しく暴れるミラボレアスの上で、オルカの意識が遠くなる。仲間たちの信頼を乗せた声援が遠ざかる。  薄れ行く意識の中に、オルカはあの日のような不思議な感覚を拾っていた。  それは、厄海で煉黒龍グラン・ミラオスと戦った時の記憶。名も無き封龍剣がくれた、旧世紀を駆け抜けた男たち……封龍士たちの魂の声だ。  エルグリーズが奮っていた封龍剣から、想いが幾重にも連なり重なって逆流する。 『遥か未来、我らが滅びた先の人類よ』 『斯様な災厄を後世に残した、我らの愚挙を許し給え』 『黒龍ミラボレアス……それは、祖なる白き龍より生まれた最強の破壊神。彼奴ら古塔の勢力、この星の龍脈と龍穴を支配する者たちが創った人造の神』  既に身体の感覚が失せゆく中で、オルカはかろうじて声を振り絞る。  それは、この星の今という時代を生きる、全ての生物を代表した言の葉だった。 「封龍士の、英霊……か。頼む、お願い、だ……決着は、俺が、俺たちが……今の、時代が……つけるん、だ。助けは、いらない……」 『またも我らを拒むか……その意気や良し!』 「俺は、狩人だ……狩人で、沢山、だ。俺たち、は……ただ、俺たちは。仲間を、取り返し、て……龍を、狩る。明日を、生きる、糧のため……ッ!」 『されば我ら一門、既にこの星に居場所を失い解き放たれた……同胞よ、天に還る時が来たのだ。後の事は後の人類に、人に託すべし! 既に我らは人にあらず……忌まわしき旧世紀の残滓に過ぎぬ。さらばだ、今という時代の戦士……否、狩人よ!』  急に身体が軽くなり、意思が鮮明になる。  同時にオルカは、全力で封龍剣を握り締めた。  その怪しく光る巨大な刃が、ずるりとミラボレアスの目から抜け出る。封龍剣を握ったまま、オルカは重力に引かれて落下した。その中で封龍剣が風にさらわれる。  頭の中に割れ響く哄笑が、下卑た響きでオルカを嗤った。 『愚か! さあ、我の力の全てで神罰を下そう……死を! 総滅を! 一切合切の殲滅を! 再びこの星を、我ら古塔の力で管理せん。新たなる時代の始まりぞ!』 「いや、いい……これで、いいんだ。だって、彼女も……あの娘も、俺たちの……この時代を生きる、仲間だから。そうだろ」  オルカはアズラエルとト=サンに受け止められた。既に身体が動かず、ただ運ばれるままに逃げる。殿に立ったノエルが矢を射掛けて、ト=サンの最後の爆弾が爆発する。火柱が屹立する中、激しい業火がミラボレアスを暗がりの中に浮かび上がらせた。  そして、オルカは目撃する。宙を舞い地に突き立った封龍剣に、まとわりつくようにして……まるで立ち上がる影のように、血塗れの少女が起き上がるのを。 「……黒龍、ミラボレアス……勝負、です。エルは、エルはぁ……うわあああっ!」  既に狩りから脱落して戦闘不能かと思われたエルグリーズが、その全身から焔を迸らせる。彼女は既に、その身を覆う鎧も砕けて肌も顕だ。背の翼は既になく、全身の傷から吹き出す血が燃えている。  紅蓮の炎そのものとなったエルグリーズは、封龍剣を抜くや走り出した。  その姿に振り返ったミラボレアスの片目に、驚きの色が輝く。 『なんと! まだ動く! その躰でなにができようか……小癪な!』 「エル、決めてるです! エルが、エルが……全ての龍を、狩り尽くす、ですぅぅぅっ!」  タル爆弾の爆発が呼んだ爆炎が、周囲を包んでシュレイド城を燃やす。焼け落ちる城の中央に、オルカは見た。封龍剣を振り上げ跳躍するエルグリーズの、その神が燃えて光っている。全身を炎の化身とかしたエルグリーズは、そのまま煌々と燃え盛ってミラボレアスへと吸い込まれていった。  そして、脱出する四人の狩人は、超新星爆発にも匹敵する爆縮を目撃する。  衝撃波が地上を薙ぎ払う中、満身創痍のオルカはアズラエルに抱き締められて守られた。轟音が響いて、ついに太古の王国が誇った難攻不落のシュレイド城は消滅した。  オルカはその時、瞼の裏にビジョンを見た。  そしてそれは、幻覚でも夢でもなく、現実となって近付いてくる。 「アズさん、みんなも……もう、大丈夫だ。ほら……エルが」  オルカの声に皆が顔をあげた、その先……四人の視線を吸い込む爆発の光の中に、一人の少女が浮いていた。背に巨大な封龍剣を背負い、両腕で小さな女の子を抱き上げる、その姿は―― 「エル様!」 「エルグリーズ!」 「エル!」  既に動けぬオルカを中心に、空を見上げる狩人たち。  そして、闇に閉ざされていた空が開き出す。暗雲を押しのけるようにして、幾重もの陽光が輝きの柱を屹立させた。ようやく光の戻ったこの惑星に今、エルグリーズがゆっくりと降りてくる。  だが、オルカは察した。  それはもう、エルグリーズであってエルグリーズではない。  遥か太古の昔、禁忌の科学が産んだ古龍の化身……正しく、灯火の破壊者エルグリーズ。  彼女は静かに、四人の狩人の前に降り立った。ぼんやりと光っているのは、彼女の身体が今、炎そのものとなって暖かな眩さで闇を切り裂いている。 「オルカ。アズも、ノエルも、ト=サンも。ミラを、お願いです」  よろよろと立ち上がったト=サンが、脱いだ兜を投げ捨て両手を差し出す。彼の胸に今、安らかな寝息を立てるミラが戻ってきた。ト=サンは誰もが初めて見るような表情で、その矮躯を抱き締める。  オルカは黙って、天使か女神のように穏やかな顔で微笑むエルグリーズを見詰めていた。  彼女はそっと手を伸べ、ミラの胸に触れると……その奥から、光り輝く球体を取り出した。まるで、肌から生まれて浮き出すように、握り拳くらいの球体が現れ、エルグリーズの手の中にある。  それを彼女は、ドン! と自分の胸の奥へと叩き付けて吸収する。  突然、エルグリーズの全身を漆黒の鱗と甲殻が覆い、背には禍々しい翼が広がる。 「……ミラから、ミラボレアスの因子を抜き出したです。これは、エルが連れてくです」 「エル、君は……」 「エルは……エルは、全ての古龍を狩り尽くすです。全ての古龍を倒して、復活できぬよう全ての因子を回収し……エルのような、ミラのような子がいたら、助けてあげるですっ!」 「そんなことを、したら……君は、どうなる……君は、遥斗の、隣に、は……」 「オルカ、アズ、ノエル、そしておとーさん。お別れです。エルがエルでいられる時間、もうちょびっとしかないです。エルは、行くです。征くです……だから、いつかエルに会いに来て欲しいです。全ての龍の因子を紡いで束ねたエルを……いつか、いつの日か、オルカたちの手で」  それだけ言って笑うエルグリーズの顔にはもう、巨大な角が長く伸びている。彼女は既に、体内に取り込んだミラボレアスの因子と同化し、ト=サンが身に纏う黒龍の甲冑よりも刺々しい姿へと変貌していた。全身から瘴気を吹き出し、ようやく戻った太陽の輝きさえ捻じ曲げるかのように光を吸い込んでいる。 「じゃ、あとは頼むです! オルカ、みんなも……またです、また! またですっ、約束です! また!」  それだけ言って、翼を翻すと……物理法則を無視するようにジグザグな軌跡を青空に刻んで、エルグリーズは飛び去った。それが、オルカたちが煉黒龍グラン・ミラオスの生体コア……後に紅蓮の魔女の名で世界を震撼させる、エルグリーズという少女を見た最後になった。  彼女が最後に残していった封龍剣だけが、落とした影のようにオルカたちの前に突き立っていた。