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 春の木漏れ日が僅かに差し込む、薄暗い図書室の最奥。その少女はキッチリと、西シュレイド王国王立学術院書士の真新しい制服を身につけ、付箋が並び踊る資料を読みふけっていた。
 時折自分に何かを確認するように顔を上げては独り言を呟き、再度紙面に視線を落とす。
「やあ、いたいた。バルケッタさんの言った通りだ。……どう? 少しは納得がいったかい?」
「あ、ジスカ先輩」
 フランツィスカ=フランチェスカことジスカが声をかけると、件の少女は立ち上がり振り返る。
 短く刈り揃えた薄荷色の髪が僅かに揺れた。
 うららかな午後、学術院の一角で二人は向き合った。片や先日書士になったばかりの新米、対するジスカは大ベテランの熟練書士だ。そのジスカが気にかけてる少女の名は、ノジコ。
「うちの弟分が初めて育てた書士なんだからね、ノジコは。だからまあ、アレコレ融通するけども」
「この資料、凄いです。私みたいな新人じゃ本来、絶対に読めないレベルの物ですよね」
「まあ、大したことが書いてる訳じゃないけど……それのお陰で今、みんな駆り出されてる訳さ」
 大げさに肩を竦めてみせるジスカ。心底呆れてる様子の彼女に、ノジコは師の面影を見出し微笑んだ。どこかあどけなさが残る頼りない顔がほころび、歳相応の柔らかな表情が目を細める。
「ヴェンティセッテ先輩も忙しいみたいですよね。私、放り出されちゃいました」
「あれこれ教えるんだって張り切ってたんだけどね。まあ、上の命令ならしかたないさ」
 立ち話もなんだとノジコに椅子へ戻るよう促し、ジスカ自身はテーブルの上にしどけなく腰を下ろした。
「実際エフィも、エフェメラ様も頑張ってるんだけどね。この国の大臣連中ときたら」
「噂の魔女様でも、困ることってあるんですね。ヴェンティセッテ先輩も笑ってました」
 先程まで熱心に読んでいた資料を、その分厚い紙の束をノジコは指でなぞる。
 言葉とは裏腹に今、王立学術院の書士達は笑ってもいられない事態に直面している。もともと王立学術院は知的探求機関であり、西シュレイド王国を守る務めはあくまで裏の顔である。よって書士達は普段、世界各地に散らばり知識を集め、学術院の膨大な資料の編纂や整理に明け暮れているのだ。
 その本来あるべき姿を今、歪めている者達がいる。
 自らの利の為、それが国益と謳って書士達を使っている国の重鎮達をジスカは憂いているのだ。
「資料、全部目を通しました。凄いですね……専用の迎撃施設を用いず、あの老山龍を撃退するなんて」
「先日あっちの連中がケースDの認定を通知してきたよ。一方的にね」
「あっちの連中? というのは」
「古龍観測所の奴等さ。ドンドルマの。前例がないだけに、一年も経ってからの認定って訳」
 そう、今ノジコが綺麗な手を置く分厚い資料……そこに綴られた真実の数々は、そのどれもが前例のない珍事だった。結果から見れば、偉業と言ってもいいかもしれない。
 ――ココット村、老山龍の撃退に成功。
 それは一年経った今でも、西シュレイドのあちこちで語り草になっていた。当然、当事者でもある王立学術院としては、詳細なレポートを纏める必要性にかられた。その結果が今、ノジコが手にする膨大な資料である。
「ケースD……確かに、王国でも砦での防衛を計画してたぐらいですから、当然ですよね」
「まあね。でも流石に古龍観測所の連中も泡くったんじゃないかな。まあ、会ったら聞いてみるよ」
「先輩、ドンドルマに行かれるんですよね。……私、心配です。あまりいい話聞きませんし」
「ありがと、ノジコ。まあ正直、わたしもノジコと一緒……関わり過ぎて飛ばされたって感じかな」
 西シュレイドの重鎮達は、王室の意向とは別に必死だった。全てはとある強大な力の為に。そして件のケースD……老山龍撃退に関するココット村での事件について、深く首を突っ込みすぎた二人を待っていたのは、左遷にも等しい調査行だった。
 ケースD、それは恐るべき災厄を示す言葉。未来の同胞への、無力な人間の精一杯の警告。Dは"DRAGON"のDであり、"DISASTER"のD。古龍と呼ばれる天災クラスの分類不可能な攻性生物に対する、人類達の抵抗を記した血涙の記録でもある。
「真実の、その結末に関しては私、納得しました。……常識の範疇を超えてますけど」
「うん、わたしもまあ、そういうものかって思うしかないな」
 ただ龍脈を辿って周遊する、巨大な古龍……老山龍。その進路にある物は全て、破壊と消滅から逃れられない。……本来ならば。しかしココット村は僅かなモンスターハンターと驚くべき奇策、そして奇跡で破滅から逃れてみせたのだ。
 その奇跡の力が今、ここ王都ヴェルドで老人達を血眼にさせているのだ。
「この記録には、一人の少女が古龍を退けたとあります。先輩達の話を、私は信じます。けど」
「うん。わたしだって可愛い弟分が言うんだ、話は信じる。けど、その後がどうにもね」
 モンスターハンターの聖地、ココット村を守り抜こうとした者達の想いが、祈りと願いが奇跡を呼んだ。超常にして異能の血を顕現させた、蒼髪の少女によって恐るべき龍は退けられたのだ。事件が集束した後、救世主は金髪の少女と共に姿を消したという。老人達が必死に探しているのは、その奇跡の残滓。
「確かに件の血筋は古い家柄です。そのルーツは、これから行くシキ国にあるんですけど」
「一国の政治を担う連中が、よってたかって女の子を……わたしは好きじゃないな、そゆのは」
「ですよね。……私もそう言ったんです。そしたら、初めての現地調査が」
「遥か東方、シキ国に飛ばされた、と。わたしだって睨まれてる、だからドンドルマに」
「ジスカ先輩、本当に心配です……ドンドルマはきな臭い場所だって」
 西シュレイド王国の実権を握る王室は兎も角、実際にまつりごとを行う御老人達の権力闘争にはお互い辟易していたところだ。人間というのは、こうも強欲になれるものかとさえ思う。
 しかし、一介の書士風情が下手に手を出せば、権力という物は牙を剥き爪を唸らせてくるのだ。
「ドンドルマ……大老殿が仕切り古龍観測所を置く、対古龍用に建造された要塞都市、かあ」
「先輩、ワクワクしてる場合じゃないですよ。ホントに私、不安なんですから」
 恐らくこの世界で今、ドンドルマほど混沌とした場所はないだろう。一説には、地の底を流れる龍脈同士が交わり注ぐ、龍穴の上にその城砦然とした厳つい街はそびえているという。西シュレイド王国も自治を認める、秘密主義の謎の街……古龍と戦うことを前提に作られた、人類の最前線。
 ジスカは気づけば、自然と溢れる好奇心が零れてノジコに伝わっていたことに苦笑する。
 悪意を込めた人事はしかし、同時にジスカを未知の冒険へといざなっていた。
「人のことよりノジコ、自分のことを心配しなよ? 不安なのはこっちの方さ」
「私は大丈夫、だと、思います。なんかまだ、書士になった実感ないだけかもしれないですが」
「見知らぬ辺境の地に、訳の解らない新型かつがされて飛ばされるんだ。気をつけてお行きよ」
「だっ、大丈夫ですっ! 頑張りますから。これも、先程説明書を熟読しました」
 ちらりとノジコは視線を落とし、テーブルの脇に寄せられた盾と対の精緻な機械槍を見やる。
「ドンドルマでは一足先に実用にこぎつけたから、アイザーマン主任も流石に焦ったのかね」
「ガトリングランスを真ん中からぶった切って作った、って言ってました。……大丈夫かな、これ」
 工房試作銃槍……ここ最近の技術で新たに作られた、ガンランスと呼ばれる武器だ。ここ王都ヴェルドは愚か、ハンターの街ミナガルデでさえまだ馴染みが薄い。その最新鋭の武器が件のドンドルマでは一般的に普及しているという。書士達の武具を一手に引き受ける学術院の技士は、急いで試作品を作り上げ、その運用試験をノジコに託した。
「……二人は、無事に逃げられたんでしょうか」
 ふとノジコは、陽光差し込む窓辺へとまなざしを逃がす。
 手に手を取って、異能の少女は消えたという。ただの普通の、ハンターの女の子と一緒に。それがココット村を襲った老山龍と、その撃退にまつわる逸話のエピローグだった。
「捕まったって話は聞かないからね。まだ逃げてるんだと思う。ってか、逃げてて欲しいかな」
「先輩?」
「ん……人と少し違う奴だってさ、生きて生きて、精一杯生き抜きたいんじゃないか、ってね」
 ノジコの見詰めるジスカの目元が、ふと寂しげに、柔らかく優しく緩んだ。まるで、身近な親しい人間がそうであるかのように彼女は語る。
 最後にノジコは立ち上がると、足元のガンランスを背中に背負った。同様に纏めた荷物も手に持てば、既に旅支度は完了である。旅立ちの時刻がきたのだと悟るや、ジスカもテーブルから飛び降りた。
「それじゃノジコ、いってらっしゃい。気をつけるんだよ、シキ国ってのは未だに戦国乱世らしいし」
「……本音を言えば、不安なんです。自分がどうして書士になったのか……その気構えというか――」
 まだ、ノジコの中にその答はない。自分でもどうして、王立学術院の書士になったのか解らない。ライフワークとするような研究テーマも持たず、探究心や好奇心に駆り立てられた訳でもない。学術院で蔵書の整理をする仕事をしながら勉強していたら、気付けば書士になっていたのだ。
「大丈夫、見つかるさ。きっと必ず、多分絶対ね。さ、胸を張って行っておいで」
「は、はいっ! じゃあ先輩、私行きます……先輩もお気をつけて。また、会えますよね? ううん」
 ――またここであいましょう。
 そう言い残して、ノジコはシキ国へと旅立っていった。見送るジスカもまた、ドンドルマへ向かうべく図書室を出る。
 全ては遥か遠くの異国に、新たな狩人達の物語が紡がれる前日談に過ぎなかった。

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