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 ユクモ村へとハンターが持ち寄る荷物は少ない。基本的に根無し草、無宿無頼の生業もまたモンスターハンターである。暖かな我が家を出たオルカは当然、同道して村の一員になった明日からの仲間達も一緒だった。
「一通りの道具は揃ってるけど、流石に空き家だけあって酷いね。さ、片付けちゃおうよ」
 村長より割り当てられた家の扉を開けて、オルカは僅かに乾いた匂いを吸い込む。一歩踏み込めば、埃を敷き詰めた床に足跡が刻まれた。苦笑しつつ彼は、本来のこの家の新しい主達を振り返る。
「いやぁ、悪いなあんちゃん。何から何まで世話になっちまってよ」
「でも、よろしいのでしょうか? オルカ様も自宅の方を今夜からお使いになるのでしょう」
 杖にしどけなく体重をかけつつ、野放図な頭をバリボリ掻き毟りながら笑うのがキヨノブ。その隣で無表情を無表情なりに僅かに翳らせているのがアズラエル。つい先程この村に、オルカ達と共に辿り着いた者達だ。
 他にも少女が一人いたのだが、急ぎの用があるとかで、柳の社なる祠を聞き出すなり行ってしまった。
「や、明日から……今日からお隣さんだし。それに、そっちは早く腰を落ち着けたいでしょうしね」
 言うが早いか、ぐるり室内を見渡すオルカ。午後の日差しが夕焼け色に染まりかけて、僅かに赤くほうきから長い影を引き出していた。それを手に取り作業を開始すれば、たちまちもうもうと埃が舞い上がった。
「そりゃ、俺ぁありがてぇけどよ」
「脚、悪いんですか? あ、いや、すみません……その、怪我してるなら、って」
「はは、片っぽオシャカさ。でも助かるぜ、今日は色々あって疲れた……少し、な。疲れたよ」
 日の差し込む玄関に立ち尽くして、キヨノブは遠くへ視線を投じて黙ってしまった。
 オルカはハンターとしての心得か気構えか、あるいは生来そういう気質なのか。無用な詮索はしない性質だった。そのくせ、親切とおせっかいの真ん中あたりをいつも披露してしまう。
 だから、訳あり風の二人組が新しいお隣さんでも、楽しくやっていくつもりでいた。たとえその片割れが異人でも。シキ国は冴津に来た今は、自分も同じ異人なのだから。
「お水をくんできました。オルカ様、床は一度水洗いしてしまいましょう。ええと、ブラシは」
 不意に背で声がして、忙しく床をはいていたオルカは驚きの声をあげそうになった。怜悧な澄んだ声は抑揚に欠け、そのくせ真っ直ぐな響きがあって鼓膜に浸透してくる。なのにその主、アズラエルには全くと言っていいほど存在感が欠けていた。今もそう、気配を察知させもせずいつの間にか井戸へ行き、また戻ってきた。それも、オルカのすぐ背後に。
「あ、ああ、そうだね」
「オルカ様は家の方はよろしいのですか? せめて覗いてくるくらいは」
「俺は独り身だからね、気楽なもんさ。二人で掃除すれば、日が落ちる前にかまどが使えるよ」
「それはありがたいのですが」
 頭半個以上背の高いアズラエルの、その端整に整った顔をオルカは見上げる。思わずまじまじと眺めてしまう。嫌に細いシルエットも手伝って、大男という印象はない。むしろ、どこか線の細さを感じさせた。
 そんなアズラエルは、精緻な作りの顔とは裏腹に、大雑把にバケツの水を床にぶちまけた。
 オルカが何か違和感を感じて肘を抱くも、アズラエルは隠れていたデッキブラシを持ち出し、淡々と床を磨き出した。ふむ、と押しかけ手伝いを再開したオルカは、マントを脱いだアズラエルの背中を改めて見る。無駄のない筋肉だけで構成された、引き締まった肉体だった。
 が、そんなことよりもオルカが気にしたのは、
「あのさ、アズラエル……さん」
 多分、年上だと思うから。アズラエルの瞳は凍れる宝石のようなのに、どこか老成していた。
「何で俺のこと、様付けで呼ぶの? 同じハンターじゃんか」
 オルカの声に顔をあげて、ふとアズラエルは手を止めた。それから天井を一時見上げて考えこみ、ニコリと薄く笑う。
「お嫌ですか? 私はどなたにでもそうなのですが」
「ヤだね、ちょっと」
 即答。語尾にかぶせるようなオルカの一言に、アズラエルははなじろんだ。初めて表情らしい表情を見たとも思えたが、その変化は微細でともすれば見逃していただろう。しかし、確かにアズラエルは意外そうに「まあ」と一言だけ小さく零した。
 同時に、ピシャリと膝を叩く音と笑い声。
「ハハッ! まあ、みたとこ同世代だしな。様はいつもやっぱりおかしいぜ、アズよう」
「でもキヨ様、他所の方に呼び捨ては気安いです。……やはり、駄目でしょうか」
 別にオルカとて不快に思うわけではない。不快ではないが、面白くもないというだけで。オルカ様などと小奇麗な顔で臆面もなく言われると、なにかこうむずがゆいのだ。
 そして一つオルカは気付く。アズラエルは道中を共にした少女、ルナルに対しても様付けだったが(ルナルは大いに気を良くしていたようだった)キヨノブを呼ぶ時だけは少し違う。声色が弾んで僅かに彩りを帯びるのだ。そこには形式ばったものではなく、敬愛の念が見て取れる。逆を言えば、アズラエルが他者に対して様付けを使う時、オルカには込められた気持ちが感じられなかった。
「なんだろ。壁、作ってんのかな」
「? 何かおっしゃいましたか? ……ええと、しかし困りましたね」
 アズラエルは再び手を動かし始めた。オルカもほうきを片付けデッキブラシに持ち替える。
 物腰は穏やかで丁寧なのに、オルカはアズラエルに確かな距離を感じていた。そして不思議なことに、そのアズラエルが寄り添うキヨノブには逆に、妙な親近感を覚える。二人と出会ってまだ半日と経っていないのに。
「ま、そのうちなんとかしてよ。明日から狩りの仲間なんだしさ」
「はい」
「その、俺なんて、あれだよ。オルカ様、だなんて言われるような偉い人間じゃないし」
「ええ」
「……あ、ああ、そこは否定しないんだ。うん、まあでも」
 頑固な汚れと格闘しながらも、二人は取り敢えずは互いの間にある溝を無意識に確認した。おそらくはアズラエルから作られた溝。その深さや幅を測って、オルカは焦らず付き合い方を模索する。
 オルカはこと対人関係に関しては、友好関係に利こそあれ、その逆に得があるとは思わない人間だった。
「おお、若! 本当に帰っていらしたのですなあ。姫より、あ、いや、殿より聞いております」
 不意に大げさな声が轟いて、オルカはアズラエルとそろって再び玄関へと振り向いた。
 そこでは、筋骨隆々たる初老の大男がキヨノブの両肩をわっしと掴み、酷く嬉しそうに瞳を輝かせていた。禿げ上がった頭や口髭とは真逆の、童子のような目の光だった。
「おっ、テンゼン! いやあ、懐かしいなあおい。あれから何年だ?」
「随分経ちます。数えるのも忘れる程に……若が国を出られてより――おお、それよりも」
 テンゼンと名乗った巨漢の老人は、まだ掃除の済んでない部屋へ入るやぐるり周囲を見渡した。
「我が屋敷においでください、若。難しい話は姫に、殿に任せておけばよろし」
「いや、その若ってのはもうやめねぇか? テンゼン」
「今は隠居しましてな、ハンターの真似事なんぞやってコウジンサイと名乗っておりますわい」
「お、おう。……その、全部任せっぱなしでよ、こんなとこで湯治してていいのかねえ」
「ハル姫様は、キヨハル様は名君ですぞ? なにせこのワシが帝王学を叩き込みましたからな!」
 オルカは首を捻った。この、どこか武人然とした好々爺が若と呼ぶキヨノブ、その正体とは?
 そのキヨノブは僅かに顔をしかめて苦笑いを噛みしめつつ、見つめるオルカに気づいて拝むように片手をかざした。
「まあ、その、なんだ。俺ぁ、ここの殿様の……縁者なんだな。それで」
「カカカッ! しかし若も粋ですなあ。家中にもよき者を連れておられる。異人ですなあ」
 無遠慮な視線はしかし、どこか無邪気で咎めることもできない。おずおずと目礼を返すオルカはその時、初めてアズラエルの声音が跳ね上がるのを聞いた。それは僅かに、小さく、少しだけトーンが上がった。
「オルカ様はキヨ様の家来ではありません。……私は、私は――」
「おお、そうか。それはすまなんだ。いや何、そっちのボウズは兎も角、お主は少し、のう」
 瞬間、コウジンサイと自らを称する老人の目付きが鋭くなった。視線がアズラエルへと吸い込まれる。
「……まあよいわ。では若、夜の歓迎会でお待ちしてますぞ。村総出で大宴会ですわい」
「か、歓迎会? いやぁ、お忍びの身だしよ。それに身分は捨てたし、いやぁ参ったなこれは――」
「ハンターの歓迎会ですぞ、若? カカカッ、まあよい! 楽しい日々になりそうだのう!」
 オルカはこの時、初めてアズラエルと同じ認識を共有した。大いに呆れて困りつつ憎めない……そういう老人がこの村で今まで唯一のハンターだと知るのは、もう少し後のことだった。

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