《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》

 祭から一夜明けた早朝。薄荷を溶かし込んだような空気は、朝もやで霞んでユクモ村を包む。適度に涼しい払暁の中、ハンター達は村長の前に集まっていた。誰もが皆、狩りの用意も万端である。
「じゃあ、わたしが渓流を一通りご案内しますね。今日は採取や採掘、釣り中心でいきましょう」
 この村ではコウジンサイに次いで、先任のハンターとなるミヅキ。彼女が生真面目そうに言うので、アズラエルは別段不満もなく従うことにした。もっとも、彼にとって狩りは生きる術そのもの……わざわざ手を引いて貰うまでもなく、異国であろうとお構いなしの生業だったが。
 だが、同業者同士の和を乱す利もなく、黙って一行に加わる。
 朝も早いことも手伝って、見送りの人影はまばらだった。
「アズ、気をつけていけよ。この辺りはミナガルデとは、結構違うからよ」
 杖を片手に、キヨノブがあくびを噛み殺す。昨晩は遅くまで、コウジンサイの邸宅に招かれていたようだ。アズラエルは祭が終わった後も、当面の新居で寝ずに帰りを待っていた。もっとも、いつの間にか寝ていたらしく、朝起きた時には毛布がかけられていたが。
「大丈夫です、キヨ様。無茶はいたしませんから」
「おう。怪我しねぇで帰ってこいな? メシ作って待ってっからよ」
「キヨ様がそんな――」
「俺ぁそれくらいしかできねぇからな。美味いモン作って待ってるぜ、アズ」
 今日からの仲間達が各々、自分の持ち物を点検したり、村長にクエストの内容を確認したりしている。そんな中、アズラエルは見送りに来てくれたキヨノブをつい見つめてしまった。飄々としたもので、アズラエルの視線を不思議そうな顔で受け止め、キヨノブはにこりと人懐っこい笑みを浮かべる。
「しかしアズ、得物変えたのか? ランス、いけるのかい」
「ボウガンは弾代がかかるので」
「生活費なら気にしなくていいんだぜ、アズよう」
「働かざるもの食うべからず、ですよ。それにランスは昔習いましたから。……そう、遠い昔に」
 今日のアズラエルは、支給されたユクモ一式の防具に、これまた家の道具箱に収まっていた古いランスを担いでいる。ミナガルデではガンナーがメインだったが、その他の武具にもアズラエルは覚えがあった。とりわけランスは、まだ幼い頃……キヨノブと出会う頃に仕込まれたことがある。
 その思い出は今、本当なら懐かしいはずなのに……何故かアズラエルの胸の奥で凍りついていた。
 自分の前を多くの人間が通り過ぎ、知識と経験、そして思い出だけが残ってゆく。それに何の感慨も抱けず、ただアズラエルは自分が少し感傷的になっていることに無自覚でいられるのだった。
「アズさん、おはよ。キヨさんも」
「ああ、オルカ様。おはようございます」
「おう、あんちゃん! 朝からお疲れさん」
 昨晩の宴で既に打ち解けたのを思い出して、しかし様付けはやめられないアズラエル。その能面のように怜悧で玲瓏な無表情をしかし、気にした様子もなくオルカはにこやかに二人の前に並んだ。昨日の酒は残っていないようで、背にはスラッシュアクスを担いでいる。防具は同じ、ユクモ一式だ。
「ミヅキさんが今日は、色々教えてくれるって。新しい狩場だし、アズさんも一緒にいくだろ?」
「ええ。ご厚意に甘えようと思います」
 三人で振り返れば、この村唯一の社の巫女は、一人だけハンターシリーズのガンナー防具に身を固めていた。弓を背に、腰の矢筒を時々鳴らしている。その隣ではまぶたをこすりながら、自分達と同じユクモ一式の女の子がぽてぽてと寝ぼけていた。
「まだ眠いよぅ、お姉ちゃん……あたし、朝弱いんだもん」
「ほらルナル、しゃきっとして。昨日、一緒に行きたいっていうから起こしたのに」
「ふあぁぁぁう、ふぅ……ベースキャンプで寝てていい? 笛、最初だけ吹くから」
「こーらっ! ルナル? あなたもハンターでしょ、しっかりしなきゃ」
 微笑ましい姉妹のやりとりを見ていると、アズラエルはポンと背を叩かれた。同様にオルカも叩かれ、二人揃って振り向く。そこには、浴衣の寝間着姿でサキネが立っていた。
「あ、サキネさん。おはよ」
「おはようございます、サキネ様」
「うん、おはよう! 狩りに出るのか? 気をつけて行くのだぞ」
 どうやらまだ怪我が完治していないようで、今日はサキネは狩場にはいかないようだ。
 そのサキネが、真剣な表情をことさら強ばらせてキリリと引き締めると、
「アレに……ジンオウガに遭遇せねばいいのだが。あれは雷神、いや鬼だ。用心しろ」
 ジンオウガ……それがこのユクモ村を昨今悩ませる、渓流の主。ギルドの方でも確認は取ったが、今まで過去に遭遇例のない新種だという。その猛威はアズラエルにも、サキネの身をつつむ包帯から察することができる。彼女とて隠れ里では一人前のハンターだったのだ。それが突発的な遭遇とはいえ、こうも簡単に。
 だが、アズラエルには不思議と、未知なるモンスターへの恐怖はない。
 ただ己が弱ければ死に、強ければ狩るだけ……あまり深い考えはない。とはいえ今は昔と違って、前者を避けるためならばいかなる労も厭わない気持ちがある。生きてまた、会いたい人がいる。
「ご忠告ありがとうございます、サキネ様」
「うん、お前達は見込みがあるからな。婿候補が初日に二人もそろって死なれては困る」
 平然と、堂々と言い放つサキネに思わず、アズラエルはオルカと顔を見合わせて。
「いえ、その件は改めてお断りします」
「ってか、まだ諦めてなかったんだ……」
 アズラエルはつい、無意識に突き放すような声音になったが、サキネは別段気にした様子もない。彼女はまだズルズルと姉にすがりついて寝ぼけてるルナルを一瞥して、それに手を焼くミヅキにも声をかける。やっぱり嫁だなんだという話をしてるようで、アズラエルは僅かに口元を緩めた。
「めずらしいな、アズ。お前さんが笑うなんて」
「あ、笑ったんだ、今の」
 キヨノブとオルカに言われて、自分でも笑みを浮かべたことに気づくアズラエル。彼はしかし、再度凍れる無表情に戻ると、武器としては心もとない古びた槍を担ぎ直した。
「まあ兎に角、あんちゃんもアズも、気をつけてな。一狩りしたらよ、一緒に温泉でもいこうや」
「あ、それいいですね。ユクモ村は温泉、有名なんですよね」
 ユクモ村は秘湯の湯治場でもある。きっとキヨノブの脚の怪我にも、何か効能があるかもしれない。
 そうして男三人、気も早いもので午後のことを話してると、ルナルを引きずりミヅキが近づいてきた。
「とりあえず、今日の目的はドスファンゴの狩猟ですけど、皆さん大丈夫ですか?」
 ドスファンゴは牙獣種の典型的なモンスターで、あまり危険とはされていない。どちらかといえば初心者向けの、狩るのが容易いモンスターだ。とはいえ個体差があるので、時には巨大で獰猛なドスファンゴを前に命を落とす者も少なくない。それが狩りであり、モンスターハンターの習いだった。
 おそらく地元のミヅキが気を使ってくれたのだろう。彼女は他にも、今日は地形を覚えたりすることや、採取等を優先してもらって構わないと言ってくれる。細々としたことまで気の回る先任ハンターの、その豪奢な金髪を朝日が輝かせ始めていた。
「さて、それじゃ行きましょう。お昼には戻れると思います……ほらっ、ルナルッ!」
「はうう〜、眠い。ベースキャンプにつくまで寝ていい?」
 半分とはいえ、血が繋がってるとは思えぬ二人の姉妹。その微笑ましくも頼りない姿に、やれやれとサキネが肩を竦めている。苦笑を零しつつオルカもその輪に加わり、出発の準備は整ったようだ。
「ではキヨ様。お昼には戻ると思いますので」
「おう、しっかりやんな。……でもな、アズ。あのな」
 大きな盾を手に、アズラエルも一行に加わろうとする。
 その背におずおずと、キヨノブが引き止めるような声を発した。
「無理して働かなくてもいいんだぜ? さっきも言ったけどよ、その、危ねぇし……」
 もじもじと俯き、何かを確認したようにキヨノブが顔をあげた。
「俺も側にいてやれねぇし、もうユキカゼの奴もいねぇ。お前一人で、その、俺ぁ心配だ」
 杖に身をもたれて、キヨノブがアズラエルを見詰めてくる。
 その時アズラエルは、自分でも不思議に思えるほど自然に微笑むことができた。
「私は一人ではありませんよ、キヨ様。オルカ様や、他の皆様がいてくれます。それに――」
 抑揚に欠く冷淡な声が、僅かに熱を帯びる。
「キヨ様が側にいてくださらなくても……待っててくださいますから」
 それだけ言って、キヨノブの大きな戸惑いがちの頷きを拾うと。アズラエルは颯爽と踏み出し、ハンター達に混じってユクモ村を出発した。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》