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 雨、あがる。
 村長への着任の挨拶を終えると、あてがわれた家で着替えを済ませてノジコは工房に急いだ。西シュレイド王国王立学術院の書士の正装は、すれ違う誰も彼もを振り返らせる。そんな村人達の好奇と歓迎の視線を拾い集めるノジコを、ソレは工房の裏庭で待っていた。
 小さなアイルー達が働く現場そのもののソレは、命尽きて尚小山のようにノジコを圧してくる。先にユクモ村に来た若きモンスターハンター達が、遭遇戦の後に捕獲したジンオウガ……それは今でも、物言わぬ死体となって素材を剥ぎ取られながら、見上げるノジコの喉をゴクリと鳴かせた。
「あら、本当にジンオウガ。……わたし達が見た個体よりでも、随分小さいですね」
 不意に声がしてノジコが振り返れば、全身を金属で覆った痩身が近づいてくる。旅の道連れにユクモ村へと来た、途中で巨大なジンオウガから共に逃げた仲……アウラだ。この顔どころか肌も見せてくれぬ女性が、ドンドルマの古龍観測所から来たと名乗ったのをノジコは思い出していた。
 隣に並ぶアウラは、背格好はノジコと同じくらいで、熱のこもった視線を目の前に注いでいる。
「私達が遭遇したのは、うん……もっと大きかった。圧倒的に」
「ええ。ジンオウガというのは最近ユクモ村近辺を荒らしていると聞いてますが」
「きっと一匹じゃないんですね。……でも、さっきのあれは、あの個体は特別」
 ノジコの噛み締めるような言葉に、無言でアウラも頷いてくれる。
 確かに姿形は、今目の前で解体されているモンスターと同じ。だが、その威容には圧倒的な差があった。アイルー達が丁寧に引き剥がしている甲殻や帯電毛は、蒼い稲光をまとって鬼神の巨躯を震わせていた。そう、まさしく鬼……そうとしか形容できぬ脅威だった。
「あぅあぅ、よー来たなぅ! 若いの、今日ついたハンターさんかぃ?」
 徐々に輪郭を失ってゆくジンオウガを眺めていると、背中でノジコとアウラは声を拾った。振り向けば誰もいなくて、自然と二人は目線を下げる。
 足元に小さな小さな老人が槌を手に二人を見上げていた。顔をシワだらけにクシャクシャに崩して、満面の笑みを浮べている。
「ジンオウガに襲われたそうだねぃ! うんうん……やはり一匹だけじゃないかねぇ」
「あ、はい。ええと」
「この工房を預かっとるモンだよぅ、お嬢ちゃん。この村で働くなら、いつでもおいでさぁ」
 思わずノジコは膝に手を当て、老人の目線へと屈み込む。屈託の無い笑顔にペコリと頭を下げて、うんうんと大きな頷きを拾っていると、
「ジンオウガは一定数いると推測されます。でも、渓流を荒らして暴れてるのは一匹ですね」
 アウラは装面を解かぬ非礼を詫びた、次の言葉には緊張感を含ませていた。
「実際少し戦ってみたのですが、あんなに好戦的なモンスターは、わたし初めてです」
「おぅおぅ、お嬢ちゃん……勇ましいこってのぅ。大丈夫じゃったかぃ?」
「こちらのノジコさんのおかげで。……多分、わたし達の遭遇した個体が、主ですね」
 ノジコは思わず「ぬし、ですか?」と立ち上がる。コクリと頷くアウラは尚も言葉を続けた。
「地域によっては剛種とも呼ぶんですけど。つまり」
「突出した、いわゆるオーバークラウンサイズと呼ばれる個体でしょうか」
「だと思います。きっと群れる習性はなさそうですけど。あれが多分、渓流の主」
 アウラは軽快な足取りでトントンと、目の前のジンオウガを登ってゆく。その背に立ってグルリと周囲を見渡し、屈んで手で直接触りながら、周囲で働いてるアイルーを彼女は呼び止めた。ノジコもまた、恐る恐る近付いて、そびえる巨体に手を添える。既に死体とは言え、先程自分達を襲ったモンスターだ。小さいとはいえその体躯は、並の飛竜と比べて遜色ない。
 そっと触れたジンオウガの甲殻は、パチン! と軽い電撃でノジコの手を弾く。死して尚、未だ雷を僅かに帯びたその身体は、人間への屈服を拒むよう。「痛っ!」と思わず零しつつも、再度そっとノジコは触れる。硬く、そしてしなやかな手触りは、上質な武具の素材を感じさせると同時に、今まで学んだことのない未知のモンスターを改めてノジコに伝えてきた。
「んー、これはそうですね。古龍……ではない、とも言えませんね。でも、うーん、どうだろ」
 ふと見あげれば、ジンオウガの背でアウラが腕組み立って天を仰ぐ。未だ雲が厚く垂れ込める空へと、鋭角的な流線型の兜が上を向いた。そのスリットから紫陽花色の眼光がぼんやりと覗いた。
 改めてアウラを見ると、嫌に細い、その肢体そのものが浮き出たようなシルエットだ。防具を着込んでいるのに細過ぎて、同性のノジコでもドキリとしてしまう。均整の取れたスタイルは今、考えこむ素振りをやめてノジコの隣に再び降りてきた。
「あっ、あの、アウラさん。古龍じゃないってことは……飛竜種のどれか、ということに?」
「そうですね、そうなるとノジコさんの専門になるかもしれません。書士さん、ですよね?」
 言うまでもなく今、ノジコは書士の制服をキッチリ着ていた。無言で身分を語るその容姿は、目の前のアウラと比較すると、ちょっとだけまだまだ未発達で。そういうとこも相応の年頃並には気にするノジコは、コクリと頷き胸に手を当てた。
「私、まだ新米で……でも、こんな飛竜見たことないです」
「キリンの例もあるから、古龍の線も捨てがたいですけど。ちょっと、断定できませんね」
「キリン? と、言うのは」
「ふふ、古龍って色々なんですよ? とりあえず分類不可能種は古龍……そういう感じです」
 フルヘルムの向こうでアウラが柔らかい笑みを投じてきた。それから、二人は同じ研究者として、探求の徒としての言葉を交わし合う。王立学術院と古龍観測所、立場は違えど求める物は同じだから。自然と意見の交換に熱がこもる。
 工房の老人やアイルー達が見守る中、ノジコは気付けば夢中で喋っていた。まだまだ経験の浅い書士ながら、自分が学術院の中で書物と格闘して得た、その心もとなくも大量の知識を総動員する。それが実体験を伴わないものでも、アウラは正面から検証して反芻し、真摯に意見を返してくれた。
 賑やかな一団がやってきたのは、ノジコがアウラとの議論に熱中している時だった。
「おじーちゃんっ! ねね、あたしの分の素材、剥げた? なんか作れそ?」
 蒼い髪の少女は、陣笠こそ被っていないがユクモシリーズのモンスターハンターだ。隣で豪奢な金髪を輝かせる者も同様で、二人の少女はどちらかといえば顔立ちはノジコには、同郷人を思わせる。向こうもノジコとアウラに気付いたのか、その片方がペコリと礼儀正しく頭を下げたが、
「あっ、新顔さんー! こんちわっ! あたしルナル! 今日からお仲間だねっ」
 グイと身を乗り出したかと思った、次の瞬間には少女はノジコの前で手を差し出していた。ツインテールを揺らすその姿は、矮躯と童顔も手伝って酷く幼く見える。
「あ、ど、どうも……はじめまして、ノジコです。西シュレイドから来ました」
 戸惑いながらも手を握ると、ルナルはその手に手を重ねてブンブンと上下に揺さぶった。
「ルナル、初対面の人にはもっと礼儀正しく……んもうっ! あ、わたしはミヅキです」
「あたしのお姉ちゃんっ! 同じモンスターハンターだよっ」
 戸惑いつつもノジコは、ルナルの姉ミヅキとも握手を交わす。大胆で積極的なルナルとは真逆に、ミヅキは几帳面で生真面目な印象をノジコに抱かせた。それは隣のアウラも同様のようで、
「お二人ともノジコさんと同じく、西の方からですか? わたし達、同郷っぽいですけど」
 それはノジコも感じたのだが、意外な言葉がミヅキから返ってきて驚く。
「あ、わたしは……その、シキ国人、です。ここで生まれて、ここで育ちました」
「お姉ちゃんはハーフなんよ、あたし達イボキョーダイ? とかって奴なんだー」
 ねー、と甘えるようにルナルがミヅキに抱きつき、ミヅキも小さく頷く。なるほど確かに、黒い髪に黒い瞳が当たり前のシキ国にあって、ミヅキの金髪碧眼は異質にも見えた。だが、ノジコは自分と同じ西方の顔立ちの中にも、どこか東洋の面影を拾って胸中になるほどと呟いた。
 その時、ノジコの視界に新たに、これぞシキ国人という風体の麗人が現れた。
「ルナル、報酬素材は一匹分だけではどうにもならないだろう」
 漆黒の蓬髪に黒い瞳、そして透けるような白い肌……ややシキ国人にしては白過ぎるが、長身の女性が現れた。彼女は頬を膨らませるルナルを軽くあしらうと、ノジコやアウラに気づいて足早に近づいてきた。
「私はサキネ、ミヅキ達と同じこの村のハンターだ。宜しく頼む、ええと」
「あっ、こちらこそよろしくお願いしますっ! 私はノジコ、西シュレイドから来ました」
「わたしはアウラです。こんな格好で失礼します」
 サキネと名乗った女性は、よく見れば竜人だった。そのノジコの注意深い冷静な、しかしどこか無自覚に見とれるような視線を拾って、「ん?」とサキネはノジコの華奢な肩に手を置いた。
「ふむ……ノジコ、実は先程のやり取りを聞いていたのだが。そう、アウラとの」
「は、はあ……あ、あの、何ですか? そ、そんな……別に、いいけど。何だろ、挨拶かな」
 妙にベタベタと馴れ馴れしいサキネは、真剣な表情でノジコの両肩をポンポンと叩き、
「ノジコは賢い娘だな。どうだ? 私の里に来て嫁にならないか?」
 ノジコは絶句してしまった。それがこのユクモ村の新しい仲間で、新しい環境で、新しい生活の一部だった。ともあれ、ユクモ村は若きモンスターハンターを迎え、害獣ジンオウガの狩猟を目的に日々を流れだした。

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