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 最近知り合ったばかりなので、オルカには詳しい人となりは解らない。解らないが、疑問に思うのだ。目の前で今、集会浴場脱衣所の大きな衝立に張り付いて、聞き耳を立てているキヨノブの姿を見ると。いったいアズラエルは、どういう経緯でこんな男と生活を共にしているのだろうか。
 件のアズラエルがキヨノブとは真逆に、淡々と着衣を脱いでいるので尚更だ。
「キヨ様、そんな格好でいると風邪を引きます。早くお湯につかりましょう」
「待て待てアズ、ちょーっち待て……うら若き乙女達の声がだな」
 ユクモ村に温泉は数あれど、ハンターギルドを兼ねる集会浴場は混浴だ。ただし、ギルドから支給されるタオル等でマナーが求められるが。当然、脱衣所は男女別である。
 オルカも昼の採取クエストで汗を吸った防具を脱いで、下着に手をかけた。
 既に準備万端のキヨノブはしかし、いい大人の癖に悪ガキのような笑顔で衝立から離れない。
「……ねえ、アズさん。キヨさんは」
「いつものことですから」
 アズラエルの穏やかな笑みは、まるで保護者のようだ。
 ますます不思議でオルカが首を捻っていると、衝立の向こうから弾んだ声が響いてきた。それは耳をそばだてなくても、勝手に鼓膜を揺さぶり思惟へと転がり込んでくる。
「キャシ子さんはお風呂入らないのかー、久々にドンドルマの話したかったのにぃ〜」
「キャシ子? ルナル、また変な呼び方して。失礼でしょ、まったく」
 姉妹のやりとりに、先日来た遠方の書士の「私も誘ったんですけどね、アウラさん」という、どこか申し訳なさそうな声音が入り交じる。気付けば無意識にオルカも、言の葉の間に挟まる衣擦れの音を拾っていた。何だか嬉しそうにキヨノブが肘で突っついてくるので、もはや苦笑を零すしかない。
「キャシ子、というのは……ああ、あの不健康そうなハンターか」
「そだよ、サキネっち。華奢ぃからキャシ子……見た? あの腰。こぉーんなに細かったんよ」
「や、アウラさんはそんなには……確かにあの、防具の上からでも痩せて見えましたけど」
 女が三人寄ればかしましいが、それに半分女なサキネを加えた四人は賑やかだ。
「いいなー、あたしもクビレ欲しいなー。お姉ちゃんもサキネっちも、ノジノジもスタイルいい」
「ノジノジ……あ、私のことか。いえでも私は……ミヅキさんに比べたら全然」
「ううん、わたしだってそんな――っ! いっ、いやぁぁぁぁぁっ!」
 不意に絹を裂くような乙女の悲鳴が鳴り響いた。ミヅキの突然の大声に、無関心なアズラエルですら首を巡らせた。何事かとオルカは思わず、キヨノブと顔を見合わせる。
 それは正しく、純情に過ぎたこの村の巫女の、恥じらいを込めた叫びだった。
「どしたの、お姉ちゃん。急に大声出して」
「そうだぞミヅキ」
「そうだぞ、じゃないですっ! ちょ、ちょっと、そんな堂々と見せないでくださいっ」
 そういえば確か、サキネは一応女性の容姿をしているが、両性具有の竜人族だったとオルカは思い出す。しかしそれにしても、ミヅキの変に強張った声は度を越していた。まるで初めて男を見たような……もしくは実際にそうなのか。
「わあ。えーと、うーん……まあ、そういう人もいますよね。竜人族も色々ですから」
「と、ノジノジは言ってるけど? お姉ちゃん、そんな初めて見たような……え? マ、マジ?」
「なんだミヅキ、そんなことでは嫁は務まらないぞ。はっはっは、可愛い奴だなあ」
 全く動じる様子も見せない声色はサキネだ。堂々とした物で笑っている。しかし、恐らくその姿に背を向けているであろうミヅキは、もはや言葉にならない声であうあうと呻いていた。
 お気の毒様、と呆れ半分、同情半分に溜息を零すオルカ。だが、次の瞬間には今度は、彼自身が絶叫を喉から迸らせることになった。
「解った解った、私はあっちに行くぞ。ふう、外界は難儀なものだな」
 不意に男側ののれんが揺れて、その奥から全裸のサキネが現れたのだ。
 キヨノブの口笛と、アズラエルの無言と、そしてオルカの素っ頓狂な悲鳴。三者は三様に、漆黒の蓬髪をかきあげる純白の裸体に反応を返した。
「ちょ、ちょっ……サキネさんっ! 隠して! 隠してくださいっ、タオルで! 隠して!」
「なんだオルカ、お前もか。ふむ……これでいいか?」
「よくないですっ! 上も、胸も隠してくださいっ!」
 現れたサキネは真顔で小首をかしげながら、腰元で結んだタオルを胸の上でなおした。それでどうにか、オルカが正視に耐えれる姿になる。胸を撫でおろすも、動悸はなかなか収まらなかった。
 確かに筋肉と女性の柔らかさが調和した豊かな起伏で、同時に立派なモノがぶら下がっていた。
「ふぅ……サキネさん、おどかさないでくださいよ。いろんな意味で目の毒ですから」
「それはすまんな、オルカ。さ、汗を流して湯につかるとしよう」
「お嬢ちゃん達も行ったみたいだしな。じゃあ俺等も、も、も……へーくしょぉい!」
 ようやく衝立から離れたキヨノブは、大きなくしゃみを一つ。片足を引きずる彼が鼻の下を指でこすれば、そばに影のようにアズラエルが寄り添った。
「キヨ様、足元滑りますので。気をつけてください。さ、オルカ様もサキネ様も」
 一連のちょっとしたハプニングにも、まるで動じた様子もなくアズラエルは微笑を湛えていた。ただ、その穏やかな目元から注がれる視線は、肩を抱いて支えるキヨノブに向いている。本当にオルカが見ていて感心するほど、アズラエルは献身的にキヨノブを世話して湯けむりの向こうへ消えていった。
「アズラエルは感心な男だな。うんうん、婿に来てくれればよいのだが」
「またそんなことばかり言って。ほら、俺等も行こうよ」
 腕組み頷くサキネを連れて、オルカも露天風呂へと足を踏み入れた。
 迎えてくれたのは、湯気に霞む渓流の絶景……言葉を失うほどに壮大な景色だった。思わずオルカは足を止め、感嘆に目を細める。サキネも「ほう」と言ったきり黙ってしまった。広々とした大浴場の向こうには、色彩豊かな大自然がどこまでも続いていた。
「おーい、オルカっちー! こっちこっちー」
「若様、一杯どうですかな? 先にやっておりますぞ」
 ふと我に返れば、向こうの洗い場ではルナルが小さな身体でピョンピョン跳ねながら手を振っている。ミヅキやノジコは髪を洗ったり、身体を流したり……その横では、湯船のコウジンサイに「おう」と返事するキヨノブが、アズラエルに背中をこすられ始めていた。
 危険と隣り合わせのモンスターハンターが集い、一時安らぐ憩いの場……それが集会浴場。
 子供のようにはしゃいでるルナルに、やれやれと手を振りオルカが歩を進めると、
「若いの、確かそう、オルカ。お主達、ジンオウガを捕獲するとはやりおるのう!」
 温泉につかって赤ら顔のコウジンサイが、杯を煽りながら声をかけてきた。その隣には例の、病的に白い少年がとっくりを手に立っている。酷く痩せたその身体は、肋骨が浮き出て手足もひょろりと細かった。
「……いえ、みんなのお陰です。それに、どうもあれが件の渓流荒らしじゃないらしいですし」
「カカッ! 謙遜するでない。まあしかし、先日来た娘達が調べておるから心配もなかろう」
 確かノジコと、それとこの場にはいないがアウラと。異国の学術機関から派遣されてきたハンター達は、狩りにもそうだが捕獲されたジンオウガの研究にも熱心だった。今では解体されて分配された、その素材の一つ一つにまで注意を払って探究心をのぞかせてくる。
 あれこれ二人に聞かれたが、オルカは狩果を語るのは悪い気はしなかった。
「それよりコウジンサイさん、いいんですか? その、こんなに呑気にしてて」
「無論、よくはない。よくはないがの、若いの……急がば回れ、ということよ」
「急がば、回れ……」
「とびきり凶暴なジンオウガを狩るには、それ相応の準備がいるという話よ!」
 コウジンサイが立ち上がると、見るも逞しい巨躯がオルカの前に屹立した。見事に盛り上がった筋肉の塊で構成された、巨漢の老ハンターは優しげな目でオルカを見下ろしてくる。そのマッシブな体躯に比べれば、傍らの少年など小人のようだ。
 何よりその全身に刻まれた古傷が、無言でコウジンサイの歴史を物語っている。
「兎に角今は英気を養い、武具を揃え……己を鍛えることぞ」
「……ですね。これからお世話になると思いますが、宜しくお願いします」
「カカカッ! なぁに、ワシも若いのが大勢来てくれて助かっておる」
 ズシリと湯船からあがったコウジンサイは、擦れ違い様にポンとオルカの肩を軽く叩いた。その背に続く少年も「それでは失礼します、オルカさん」と頭を下げ、脱衣所へと出てゆく。
 改めてオルカは、ユクモ村での狩猟生活と、打倒ジンオウガの日々が始まるのを感じて武者震いに拳を握った。そんなオルカの背を見詰めて、珍しくサキネが「明日からも共に頑張ろう」と、彼女にしてはまともな言葉を投げかけてくれた。

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