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 突然の出来事だった。ノジコやアウラに合流した直後、オルカの背筋を冷たい衝撃が突き抜ける。同時に背後で、獣の咆哮が大気を震わせた。
 素早く身を大地へ投げ出しながら、オルカは突如現れた敵意へ目を向けた。
「これは……どういうことでしょうか。何か妙な雰囲気ですね」
 既に抜槍して構えたアズラエルが、小刻みなステップでオルカをフォローする位置取りに立つ。その顔はいつもの無表情だったが、ふと疑問を零して小首を傾げていた。
 多分、自分の顔にも同じ驚きが浮かんでいる……鋭く肌を焼くような殺気を感じながらも、オルカは落ち着いてスラッシュアクスを展開させた。カキン! と小気味良い音を立てて、長柄の斧がその刀身を現す。
「あっ、オルカさん。アズラエルさんも」
「気をつけてください。……もしかして、罠? そんな、クルペッコにそんな知能が、でもっ」
 合流したノジコの顔にも、凍れる戦慄が張り付いていた。フルヘルムで見えないが、おそらくアウラも同様ではないかとオルカは思う。四人は四人とも背中を合わせるように集まり、互いに目配せして新たな脅威とクルペッコとを交互に牽制した。
 クルペッコの声に呼ばれるように現れたのは、巨大な青熊アオアシラ。その巨躯は普段見るようなサイズではなく、二回りも三回りも大きい。その圧倒的な質量を持つ猛獣が、狂ったように真っ赤なアギトを開いて後ろ足で立ち上がった。目が爛々と輝き、両の前足を広げて威嚇してくる。
「で、でかい……よね、これ。ええと、どうしよう」
「依頼の標的ではありませんので、追っ払いますか?」
 オルカとアズラエルのやり取りにノジコが頷き、次いでアウラがポーチからこやし玉を取り出した。だが、彼女はそれを投擲する前に再び、
「ええと、どっちを逃しましょう。クルペッコを逃して、それを追うか――」
「こいつを、アオアシラを逃してこの場で戦うか、だよね」
 オルカは先程からジリジリと距離を詰め、その巨体でプレッシャーをかけてくるアオアシラを見上げた。モンスターの中では容易い相手だが、目の前のアオアシラだけは今までとは違う。まるで何かに操られているかのように、完全武装のハンターが四人でも怯えた様子を見せない。むしろ、獰猛で好戦的な印象をオルカはひしひしと感じ取っていた。
 とてもじゃないけど、こやし玉で逃げるような様子じゃない――!
 ギリリと武器を握って、オルカは一歩前へ出る。唸り声をあげて今にも襲い来るアオアシラは、血走る目にオルカを映して牙を剥き出しにした。
「とりあえずこいつ、こやしてみよう。俺が抑えてるから、その隙に……クルペッコは?」
「それが……」
 戸惑いの交じる声を、大きな盾の向こうからノジコが呟いてくる。オルカも油断なく眼前のアオアシラに相克しつつ、ちらり視線を背後へ放った。
 クルペッコはゆうゆうと空に浮かびながら、まるで歌うように鳴いている。
 剣や槍などでは届かない、ぎりぎりの高さに鎮座して羽ばたき、まるでこちらをからかっているよう。だが、クルペッコが一際甲高く鳴くや、同時にアオアシラが襲ってきた。
「っ! アウラさん、早くこやし玉を!」
「……あの声、音域が……ああ、そうか。これ、人間には聴こえないんだ」
 オルカは咄嗟に踏み込み、空を切る鋭い爪を避けた。同時に切り込み、アオアシラの巨体に一人で真正面からぶつかる。そんな彼を援護するように、アズラエルとノジコが左右へと展開していった。
 アウラだけがぼんやりと天を仰ぎ、クルペッコを見詰めて立ち尽くす。
 オルカが再度呼びかけると、彼女は目が覚めたようにボウガンの撃鉄を引き上げた。
「すっ、すみません。あの……このアオアシラ、クルペッコが操ってます! た、多分」
 吹き荒ぶ台風のようなアオアシラの猛攻を前に、オルカは突然の言葉に疑問符を吐き出した。
 クルペッコが、アオアシラを、操っている?
 そんな生態のモンスターは聞いたことがなかったが、ここは異郷の地ユクモ村の渓流。誰よりも世界のモンスターを知るノジコですら、アウラの一言にぽかんとしているようだった。アズラエルだけが興味を見せるでもなく驚くでもなく、淡々と暴れるアオアシラをさばいている。
 オルカは深呼吸と同時に一歩退いて、戦列に加わるアウラへ並ぶ。表情のない猛禽のようなフルヘルムの奥から、紅く光る瞳が無言で頷いてきた。
「そういうことってあるんですか? モンスターがモンスターを操る、って」
「共生関係とかなら、よくあるんですけど。でも、クルペッコは違うみたいです」
「みたいです、って……」
「あの鳴き声、人間には拾えない音域があります。それがアオアシラには、聴こえているんです」
「それでこんなに凶暴に? いつものアオアシラじゃない感じだけど」
「わたし達の使う狩猟笛と同じです。闘争本能を過度に刺激する、聴こえない周波なのかも」
 チラリ宙を仰いでクルペッコを見やるオルカ。相変わらず自分達の奮戦をあざ笑うかのように、喉を膨らませて鳴きながら羽ばたいている。
「でもっ、なんで解るの? 人間には聴こえないんでしょ、その声」
「え、あ、その……それは、ええと……わっ、わたしは古龍観測所の職員なので!」
「そういう古龍もいるって話? 困ったな、とりあえず」
 機敏な動きで槍を繰り出し、アオアシラを足止めするアズラエルが一瞬目線をくれた。彼は堅実に守っては砲撃で相手を削る、ノジコと一緒に頷いてくれる。
「とりあえず、その話を信じるとして……アウラさん、どうするの?」
「元を断ちましょう。このアオアシラをこやしても、行く先々で同じ事になりそうですし」
 言うが早いか、アウラはライトボウガンを構えて射線を確保、悠々空を飛ぶクルペッコを照準に捉える。そしてスイッチ。サイレンサー特有の空気が抜けるような音と共に、弾丸が雲を引いてクルペッコに吸い込まれた。正確に斉射三連、全弾命中。そして、絶叫。
 クルペッコは金切り声をあげるや、水場をぐるりと旋回して飛び去った。
「逃げた!? くっ、アウラさん! 追って!」
「こっちは私達で処理しますので。全員で追えば、背後から挟撃の恐れもありますし」
 オルカはスラッシュアクスを剣へと変形させるや、両足で大地をつかんでその場で立ちふさがった。目の前のアオアシラはいよいよ激しく怒号を張り上げ、普段からは想像もつかぬ凶暴さで襲い来る。それはまるで、親に見捨てられた幼子のような切実さが感じ取れた。
 オルカはアウラにクルペッコを追うよう言うと、じりじりと必殺の距離へアオアシラを捉えて構える。
「ノジコさんも追ってください。これはもう、こやし玉も効きそうにないので」
 こういう時、いつものアズラエルの鉄面皮が嫌に頼もしい。彼は阿吽の呼吸でオルカと逆位置をしめると、互いを結ぶ線の上にアオアシラを捉えて、徐々に距離をつめつつ槍を繰り出す。
「さあ、お早く」
「は、はい。じゃあ……アウラさんっ! クルペッコ、追いましょう!」
 銃槍を背負いなおして走りだしたノジコの、その華奢な背をアオアシラが襲う。身の毛もよだつ様な絶叫と共に爪が繰り出されたが、オルカは落ち着いて両者の間に割り込み剣でいなした。だが、あまりに巨大なアオアシラの、クルペッコに焚き付けられた一撃は激しい。腕に痺れが走って、思わず顔をしかめる。
「オルカさん、アズラエルさんも。気をつけて……普通のアオアシラじゃないです!」
「解ってる! 二人も気をつけて。正直舐めてた、けど。クルペッコ、恐ろしいモンスターだ」
 クルペッコの置き土産と、激しくオルカは火花を散らして切り結ぶ。その背は、連れ立って走りだす仲間達の遠ざかる足音を聞いていた。同時に、視界の隅でステップを踏むアズラエルにアイコンタクト。オルカは大剣と化したスラッシュアクスを思い切り振りかぶると、暴風のような爪をかいくぐって跳躍。そのままアオアシラの脳天へと、まっすぐ垂直に一撃を振り落とす。
 肉を断ち割り骨を砕く手応えと同時に、返り血がオルカのウルクスシリーズを赤く濡らした。が、
「まだ、倒せないっ!? 致命打の筈なのに……やっぱり、普通じゃないっ」
 ざくろのように割れた頭部から脳漿を撒き散らし、それでもまだアオアシラは荒れ狂う。
「オルカ様っ、こちらです!」
 アズラエルの声に弾かれるように、オルカは地を蹴り熾烈な反撃を避けた。同時に地を転がり這いまわって、必死で爪と牙から逃れる。空気が揺らいでにらぐ、その余波が全身を擦過する。
 オルカはそれでも全身のバネを躍動させて、全力でアズラエルのシビレ罠の上を飛んだ。
 背後で短い悲鳴をあげ、アオアシラが罠にからめとられて低く唸る。オルカはアズラエルと一緒に、どうにか捕獲用麻酔玉を投げることができた。そして訪れる静寂。
 何事もなかったかのように静まる渓流に、アオアシラの寝息が入り交じる。
 一息ついたのもつかの間、オルカは武器を背負いなおしてアズラエルと共に走り出していた。

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