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 轟く遠雷亭は今日も賑わい、そこかしこで乾杯の声があがる。蛇味線の音がベベンと響いて、穏やかな憩いの空間を演出していた。
 だが、この場に集まりノジコを囲むモンスターハンター達の表情は険しい。
「それじゃ、クルペッコがいなくなった代わりに今度は」
「リオレイアが居座ってしまったという訳ですか」
 オルカとアズラエルは互いに顔を見合わせて、確認を取るようにノジコの顔を見詰めてくる。コクンと頷けば、他のハンター達は複雑な表情を見せた。特にノジコ達と狩りに参加しながらも、アオアシラをあしらうことに忙殺された二人は対照的だった。驚きや不安、そして少しの好奇心……そういった一面を垣間見せるオルカに対して、アズラエルは普段と変わらぬ怜悧な微小で「ふむ」と唸る。
 そんな二人と卓を囲む面々も、あれこれ思案顔で互いの顔を見合わせていた。
「その、リオレイアというのは危険な飛竜なのですか? 村長も慌てていたようですけど」
 素朴な疑問を呟くのはミヅキだ。
 弓の腕は兎も角ミヅキは、このユクモ村に集まったハンター達の中でも狩猟経験が少ない方だった。柳の社で巫女としての仕事もあったし、せいぜい渓流でのクエスト全般を受け持つくらい。この村ではノジコ達が来るまではずっと、コウジンサイが一人で大半のクエストをこなしていた。
 その御老体はこのテーブルの一番奥にどっかと腰を降ろして、既に杯をあおり赤ら顔だ。
「むっふー! お姉ちゃんは知らないんだね……よろしいっ、説明しよー!」
 小さな身体を料理が並ぶ卓上に乗り出して、ミヅキが姉の隣で声を上げた。彼女はそのまま、これからノジコがミヅキに話そうとしていたことをそのまま語りだす。
「雌火竜リオレイアは危険な飛竜だよ〜、陸の女王って呼ばれてるんだから」
「雌火竜……リオレイア」
「そそ、まああたしは何度か狩ったことあるけどね! シキ国にもいるんだねえ」
 珍しく既知に富んで利発な言葉を発する妹に、感心したようにミヅキは腕組み唸った。
「あれ、ほんじゃちょっと聞くよ? この中で、リオレイア狩ったことある人ぉ〜!」
 ぐるり周囲を見渡し、最後にノジコに微笑んでルナルが手をあげた。ハイハイと元気よく、他の者達にも挙手を求める。意外なことに静かにアズラエルが小さく手をあげ、次いで太いコウジンサイの豪腕があがる。
 サキネやオルカはまだ未経験らしく、ミヅキにいたっては知識すらない。
 逆に知識だけは豊富なノジコは、この村の新たな脅威として渓流に翼を休める、雌火竜リオレイアのことを振り返っていた。緑に染められた甲殻と鱗を持ち、強靭な尾と左右一対の巨大な翼。口からは火球を放つ、モンスターハンターの間ではもっともスタンダードな飛竜だ。まさしく、これぞ飛竜という外観もさることながら、その狩猟の難易度からハンター達の腕前の分水嶺にもなっている。
 イャンクックを狩れて駈け出し卒業、リオレイアを狩れてこそ一人前とはノジコの先輩の談だ。
「遠く話には聞いていたが……私の里では見なかったな」
「俺の地方じゃ割りとポピュラーなんですけどね。でも、俺は実際に見たことはないかな」
 記憶を掘り出しながらも、オルカがコウジンサイの空になった杯へ酒を注ぎ、次いでサキネの杯も満たしてやる。それで彼は今度は、徳利を持ったサキネの笑顔に杯を乾かすハメになった。
 一見して和やかな夕餉のだんらんだが、一同が共有している難題は山積みだった。
 一つ、クルペッコを排するも渓流の平穏は戻らず、むしろ危険度が増してしまったこと。
 一つ、その危機に対処するべきモンスターハンターの約半数が、狩猟対象をよく知らないこと。
 さらにノジコが加えるならばもう一つ……リオレイアとなると別格、今までとは別次元の狩りになるということ。アオアシラやクルペッコ、ドスジャギィのような比較的小型のモンスターではない。相手は正真正銘本物の火竜、この自然界のヒエラルキーにおいて上位を占める生物なのだ。
「あ、あの……恐縮なんですが、よければ詳しく教えていただけますか? わたしに」
 おずおずと上目遣いに声をあげるミヅキは、今日は巫女装束のままだ。他のハンター達も防具ではなく、普段着を着ている。ノジコがクルペッコを討伐してから、既に半日が過ぎようとしていた。
「私が知る範囲で良ければ、ミヅキさん。ええと、まずですね」
 こんなこともあろうかと、ノジコはミナガルデから持参してきた文献を取り出した。世界中の店に流通するモンスターハンターの必読の書で、その編纂に王立学術院も手を貸している。他には『月刊狩りに生きる』などがあればいいのだが、あいにくとまだノジコの新居には最新号は届いていなかった。
 気をきかせてオルカやアズラエルが皿をどけてくれるので、ノジコはテーブルの中央で巻物を開く。そこにはシンボル化して簡素な図形になったリオレイアが描かれており、詳細な情報が書き込まれている。いずれも書士達が実際の経験を元に記したものだ。
「リオレイアを狩る際にはいくつか注意点があります。ええと、まずは――」
 額を合わせるようにミヅキが身を乗り出し、その真剣味を帯びた視線はノジコの指差す文字を追ってゆく。
「大型モンスターの中では突出した能力はないですが、逆に弱点らしい弱点もないですね」
「そそ、疾くて硬くて強い、飛べて火が吐けてやっぱり強い、って感じ?」
 姉に先んじて経験をしてることが誇らしいのか、ルナルはどこか得意げにノジコの言葉に追従してくる。その声は弾んでリズミカルに、まるで楽器が歌うような声音だった。
「しかしノジコ、やはり詳しいものだな。どうだろう、是非――」
「あっ、そ、その、お断りします……サキネさん、またお嫁さんの話ですよね?」
「むむ、駄目か。賢い者は皆から好かれ尊敬されるぞ、私の里では」
「私なんてまだまだですし……それに、その、まだやることがあるので」
 豪快にコウジンサイが笑う横で、鼻白んだサキネは「そうか」と黙ってしまった。やはり嫁婿探しは難航しているらしく、彼女はチビチビと酒を舐めながらジト目で紙面のリオレイアを眇める。そこにはどこか滑稽な彼女の本質が、モンスターハンターとしての鋭い眼光があった。
 一通り説明を終えたところで、さてどうしましょうとノジコは言葉を切る。
 このままでは近日中に、村長から緊急クエストの依頼が舞い込むのは確実だ。メンバーにもよるだろうが、正直ノジコは自信がない。まだ知識でしか知らぬ陸の女王が、たまらなく恐ろしく思えるのだ。初めてのクルペッコを倒した、その喜びも消し飛ぶほどの戦慄。あの狩りの最後に舞い降りた荘厳なる翼は、絶叫でノジコの気を飲み込んでしまったのだ。
「あら、皆さんおそろいですね。あ、リオレイア……綺麗にまとめてありますね」
 不意に声がして、皆が皆その聞き覚えのある方向へ顔をあげる。しかしそこに、全身を合金製の防具で包んだガンナーの姿はなかった。
「どうかされましたか、皆さん。あ、わたしの格好ですか? そういえば素顔、初めてですね」
 嫌に白い、陶磁器のように白すぎる顔が僅かに驚きの表情を見せていた。ノジコは初めてアウラの素顔を見た。素顔だけを。彼女はまるで異国の尼僧のように全身を黒いローブと頭巾で覆っており、首元や手足にも肌の露出がない。モノクロームのアウラはしかし、手袋の甲に見知ったマークを刻んでいた。
 ノジコの記憶が確かならば、あれは古龍観測所の職員を示す紋章だ。
「びっくりした……アウラさんてそういう顔だったんだ。ずっと隠してるからつい」
「困りましたね、これは。キヨ様がまた喜んでしまいそうです」
 珍しく冗談めいたことをアズラエルが口にしたが、その顔は平静そのものだった。驚きにあんぐり口をあけてるのはオルカやコウジンサイ、サキネにミヅキとルナルの姉妹だった。
 その細過ぎるシルエットもそうだが、酷く小顔な上に目鼻立ちの通った美少女がそこにはいた。
「ふむ! まあ、ちょっと痩せ過ぎてるが大丈夫だろう。どうだ、アウラ。私の里にフガ、フガガ」
「ちょっとちょっとサキネっち、話がややこしくなるからそれは後で、後にしてよねっ」
 瞳を輝かせるサキネの長身に飛び上がって、ルナルがその口を両手で封じた。
 アウラは先程から、不思議そうに小首をかしげて疑問符を浮かべている。
「ええと、とりあえず席どうぞ。……あ、そういえばアウラさん」
「はい、なんでしょう」
 ノジコは自分の隣にアウラを招いて少し奥に詰める。アウラは長いスカートを両手で抑えながらしずしずと椅子に座った。
「アウラさん、クルペッコの声が聞こえてましたよね。吊り橋の時もなんか、その」
「あっ、あれはですね! ええと、その、困ったな……まあ、古龍観測所の人間はみんな変わり者だって言われますから。きっ、気にしないでください」
 胸の前で両手を小さく振るアウラは、その瞳はそれ以上の言及を避けたがってるようにノジコには見えた。だから取り敢えず、アウラを迎えて再びリオレイア対策を話し合い、尾の毒の情報などを交換する。
 ルナルから解放されたサキネは「私は変わり者でも構わないぞ、強い子が産めれば」などと言って、今度はミヅキに口を封される。賑やかで騒がしい夕食の時間、ノジコはきたるべき対決の日を前に心を僅かにやわらげてもいられた。

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