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 まだ暗い早朝、空気は刺すように冷たい。
 日も昇らぬうちから、モンスターハンターの一日は始まることもある。その日もアズラエルは寝床を抜け出て身なりを整えると、土間に出て靴をはく。シキ国様式の住まいにも慣れたもので、彼はしっかりと革の靴紐を結ぶと、二、三度地を踏み鳴らした。
「フフンフンンフンーンー♪ っと、早いなアズ。おはよう、今日の予定は?」
「今日は旦那さん、特に予定はないニャ。でも、日々鍛錬ニャッ!」
 キヨノブはもう起きていた。朝食の準備に米をといでいる。その隣で薪を抱えるユキカゼの言う通り、今日のアズラエルに狩りの予定はない。モンスターハンターは基本、肉体が資本である。その疲れを取り除くのも仕事と言う訳だ。もっとも、何もせず日がな一日ぼんやり過ごす狩人は少ない。
 今日のアズラエルもその一人だった。
「おはようございます、キヨ様。少し走ってきますね」
「あっ、まま、待ってニャ! ボクも一緒に行くニャ!」
 ニッコリ笑うとキヨノブは、再び鼻歌で朝食の準備に戻った。朝餉ができるまでたっぷり一時間とちょっと、その時間をも無駄にしないのがアズラエルの徹底した暮らしぶりだった。最も彼に限ったことではなく、モンスターハンターには肉体の維持という大事な仕事もある。いかな鍛え抜かれた肉体と言えど、余暇をだらしなく過ごせば衰えるというもの。
 アズラエルはしなやかな長身痩躯を翻して、黎明の村へと飛び出した。後に続くユキカゼが、かすかにキヨノブの機嫌良さそうな声を引き連れてくる。それはいつか轟く遠雷亭で聴いた、ルナルがオカリナで奏でていたメロディだ。
「旦那さん、今日はどうするニャ?」
「まずは顔を洗って、いつものコースを走り込みましょう」
「了解ニャッ!」
 軽く膝に手を当て、アズラエルは屈伸で身をほぐす。その横ではもう、ユキカゼが駆け足で足踏みしていた。
 ようやく遠くの稜線に光の線が走り、山脈の輪郭を白く縁ってゆく。
 アズラエルの朝はまだ始まったばかりだった。

 モンスターハンター達が居を構える一角に、共用の井戸がある。ようやく明るくなり始めた中、アズラエルが白い息を規則正しく刻んで走れば、既に井戸端には先客がいた。
 ウルクスシリーズに身を固めたオルカと、寝間着姿のサキネだ。
「おはようございます、オルカ様。サキネ様も」
 呼吸を乱すことなく停止して、アズラエルは首にかけた手ぬぐいで軽く額の汗を拭う。彼の声に話し込んでいた二人は振り向き、
「おはよう、アズラエルさん」
「おはようアズラエル。朝から精が出るな」
 にこやかに挨拶を投げかけてくれた。ユキカゼも続いて挨拶して飛び跳ねる。
 二人の姿は対照的だった。オルカは防具を身につけオトモを連れて、いつでも狩りに出発できる体勢だ。対してサキネは、今まさに寝床から這い出でてきたかのように、髪も着衣も乱れていた。
「じゃあ俺はそろそろ出発します。アズラエルさんは今日は村で?」
「ええ。少し身体を休めようと思います。キヨ様を集会浴場へお連れしたいですし」
 サキネが大きなあくびに口元を覆う。
 どうやら今日はオルカは、ソロで狩りに出向くらしい。
「まてオルカ。今日はまた雪原だな? あの、ベリオロスとかいう奴か」
「あ、うん。いつもいいとこで逃げられて。今日こそは倒すっ! ……か、捕獲するよ」
「ふむ、少し待つなら私も同行するぞ? 今日は調合を試す位しか予定がない」
「あー、いや、申し出はありがたいんですけど。大丈夫です、ちょっと一人で狩ります」
「そうか。気をつけていけよ」
 アズラエルの前でサキネは、眠そうに瞼を擦って家へと引き返してゆく。その背を見送るアズラエルは、彼女と入れ違いに駆けてくるオトモを見た。サキネのテムジンだ。
「お待たせニャ! トウフ、今日はボクも一緒に行くニャン」
「助かるニャア……旦那さん、こう見えてなかなか意地っ張りの頑固者ニャ」
 基本的にオトモは二人まで連れ歩くことが可能だと、御老体から以前聞いたのをアズラエルは思い出していた。オルカもサキネのささやかな好意を、そこまでは固辞しないらしい。
「じゃあアズラエルさん、いってきます」
「ええ、気をつけて。雪原でしたらホットドリンクをお忘れなく」
「あ……ああ、うん。途中で買ってから行くよ。じゃ!」
 手を振り斧を背負いなおして、オルカは村の出口へと消えていった。
 見送るアズラエルは手ぬぐいを手に、井戸のつるべへと手を伸べた。

 冷たい水で顔を洗い、気合を入れなおしたところでアズラエルは村を疾走する。朝日が完全に登ったユクモ村は、ところどころで村人達がアズラエルへと挨拶を投げかけてきた。その全てに穏やかに応えて、最後にしあげとばかりにアズラエルは石段を登る。
 長い長い階段の先に、柳の社の境内が静謐なる空気を湛えて広がっていた。
 流石に息があがって、アズラエルは境内に駆け込むと同時に膝に手をついた。肺腑を行き来する空気は熱く、太古の美術家が削り出した彫像の如き筋肉美を汗が伝った。ユキカゼもブルブルと全身を震わせ毛を逆立てると、濡れた汗を振り払う。
「あら、アズラエルさん。おはようございます」
「はぁ、はぁ……おはようございます、ミヅキ様。お勤めお疲れ様です」
 社の巫女、ミヅキは朝から紅白の装束に身を固めて、弓を手に鍛錬に明け暮れているようだった。彼女は最後の柔軟運動に身体を折り曲げるアズラエルを尻目に、再び鋭い視線で的を見詰める。
 不思議なことに、今日は矢を受ける的が地面に対して水平にアチコチに敷き詰められていた。
「ミヅキ様、これは」
「曲射の練習です。ええと……レトロゲー」
「はいニャ! じゃあ、次はこの的ですニャ!」
 ミヅキのオトモ、レトロゲーが遠くで散らばる的の一つを指さす。
 ミヅキは数歩前後左右にステップで距離を測ると、弓に矢をつがえて天を仰いだ。アズラエルがいた地方にはない弓の使い方で、しかし実戦の狩りでは既に何度もミヅキの手腕を見ている。
 弦がビィン! と空気を揺らして、ミヅキの手から矢が蒼空へと放たれた。
「毎日練習してるんですか? ミヅキ様」
「ええ。アズラエルさんと一緒ですよ。さぼると腕が鈍りますから」
 距離をおいて遠く、レトロゲーが先程指さした的の上に、カツン! と矢が突き立つ。曲射と呼ばれるこの技術は、狩猟の際に前衛の妨げにならぬよう矢をいる高等技術だ。
 ミヅキの放った矢は、ほぼ的の中心を射抜いていた。
「……アズラエルさん? あの、何か……」
「いえ、ちょっと昔を思い出しただけです」
 金髪碧眼の少女は、その姿をぼんやり見ていたアズラエルに小首を傾げる。
 アズラエルは遠い遠い昔、もはや掠れて輪郭のぼやけた思い出を振り払うと、ミヅキに丁寧に挨拶してその場を辞した。ゆっくり石段を降りる背を、矢が的を射る小気味良い音が見送った。

「アズ、おかわりは?」
「いただきます、キヨ様」
 囲炉裏の鍋を囲んで、少し遅目の朝食。炊きたての米に、野菜をたっぷりと入れた味噌汁。アズラエルはキヨノブに促されるまま、茶碗を差し出した。
 キヨノブは器用な男で、最初こそ文字通り足を引っ張ったが、今では家事全般でアズラエルの面倒を見てくれる。本人に自覚は無いが、少しだけ生活力に乏しいアズラエルにはありがたい。衣食住の面倒もそうだが、すぐそばにいてくれるだけで本当にありがたかった。
「そういやアズ、武器屋が品揃えを増やしたらしいぜ?」
「コウジンサイ様から聞きました。まあ、素材から作った方がいいでしょうけど」
「だろうなあ……けどな、アズ。そろそろ防具を新調した方がいいぜ?」
「私は別に不自由してませんが。槍はでも、そろそろ強化が必要ですね」
 二杯目は少し少なめ、アズラエルと暮らし慣れたキヨノブがよそうゴハンを受け取る。モンスターハンターは体調の管理や維持にも気を配らなければいけない。アズラエルは食は細い方だったが、食べることも仕事の一つ。少し不器用に箸を動かし、自らにカロリーを貯め込み狩りに備える。
 そんな彼にキヨノブは、おたま片手に説教を始めた。
「いいかアズ、うちの家計はちゃんと回ってる。お前さんが狩りに真面目だからな」
 ウンウンと頷くユキカゼが、オトモ用の小さな茶碗を平らげる。
「もっと狩りの道具に気を配らにゃあ。特に防具だ」
 キヨノブの言うことはもっともだ。既に仲間達は皆、最初に支給されたユクモシリーズを脱している。ミヅキとルナルの姉妹はハンターシリーズだし、サキネは農場の採取でヴァイクシリーズ、オルカは狩りに苦労した末にウルクスシリーズだ。
「そろそろ寒くなってきたので、キヨ様の冬物をと思ってました」
「ばっ、馬鹿野郎……そ、そういうのはいいんだよ、それより、よ」
「大丈夫です、キヨ様。ちゃんと防具の強化はしますから。安心してください」
 実際、武具石を用いての強化は怠りない。それにアズラエル位のベテランともなると、防御力よりも動きやすさや身にまとう雰囲気を重視する傾向がある。
「ま、まあ、ちゃんと考えてりゃいいんだ。……さて、ひとっ風呂浴びにいくか」
 わたわたと食器を片付けるキヨノブが、足を引きずって台所に立つ。アズラエルも自分の茶碗を綺麗に平らげると、その後を追って並び、二人で洗い物を片付けた。
 概ねモンスターハンターの朝は、休日であっても忙しかった。

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