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 チヨマルが所用を全て終えて、屋敷へ戻る途中の出来事だった。
 見ればなるほどかしましい、三人の女声が村の工房前で井戸端会議中だ。もっとも、チヨマルと寝食を共にしている居候は、正確には人間の女性ではないのだが。
「もうっ、どうするんですかサキネさんっ! ノジコさん、困ってるじゃないですか」
 しきりに恐縮した様子で、しかし何に悪びれたものかと蓬髪を掻きむしるサキネを前に、今日も瑞々しい声をミヅキが響かせる。彼女はまだお勤めの時間なのだろうか? 紅白が目に眩しい巫女装束だ。
「あ、いいんですミヅキさん。ガンランスは新しく骨系で買って鍛えますから」
 二人の間で左右を交互に見てオロオロしてるのは、異国の学術研究所の書士だ。確かモンスターハンターの一人で、ノジコ。彼女は眉根を釣り上げたミヅキと、逆に弱り目のサキネの間でチヨマルを見つけてくれた。
「こんにちは。みなさん、どうされたのですか?」
「あ、チヨマルさん。こんにちは、ちょっとその……私はいいんですけど、ミヅキさんが」
 今や見慣れた風景になりつつあるので、ノジコの説明が精彩を欠いててもチヨマルには察することができた。つまるところ、
「またサキネさんが、お嫁さん探しで何かしでかしてしまったのですね」
「ええ、チヨマルさん。サキネさんが勝手に先日ガンランスを……それでミヅキさんが」
 ミヅキは少々生真面目過ぎるきらいがある、割りと細かいことを気にする性質だ。融通が利かない反面、その実直で真摯な人当たりはチヨマルもよく知っている。この娘は小さな頃から、彼の主であるコウジンサイに懐いて狩りの術を学び、一人前のハンターとして今を暮らしているから。
 そのミヅキだが、自分より長身のサキネを前に、人差し指を立てて熱弁を繰り広げていた。
「そもそもなんですかっ、わたしに声をかけておいて、今度はノジコさん。他にも沢山」
「むむむ……ミヅキ、嫁は沢山いればいるほどありがたいんだが。だから私は毎日真面目に――」
「それが不誠実だと言ってるんです!」
「誠意は尽くしている! ……つもり、なんだが、その……駄目か? ミヅキも、ノジコも」
 湯気を吹き出さん勢いで腕組みそっぽを向くミヅキ。ノジコも苦笑混じりにチヨマルを見詰めてくる。
「おお、チヨマル。ミヅキが機嫌悪いのだ。これがケンタイキとかいうのか?」
「だっ、誰が倦怠期ですかっ! チヨマルさん、サキネさんのこと真に受けちゃ駄目ですっ」
 チヨマルは白い顔を僅かに綻ばせると、困り果てた様子のサキネを見上げる。
 この竜人の狩人は、隠れ里からわざわざ交配の相手を探しに外界へ出てきたと聞く。いわゆる嫁婿探しは、既にこのユクモ村の名物になりつつあった。勿論、一向にはかどらない。
「サキネさん。僭越ながら、良ければお話を聞かせていただけますか?」
「うむ、簡単なようで難しい話なのだ、チヨマル。そもそもだな」
 相変わらず着流しを着崩したサキネが、真面目に困った顔で語り出す。
 チヨマルも、先日サキネがノジコ愛用の武器を勝手に改造……それも魔改造してしまったという話は主から聞いていたが。だが、どうもその後の顛末がよくなかったらしい。ハンターのしきたりにはうるさいミヅキが、こうして腹立ちも顕なのも頷ける話だった。
 もっともチヨマルには、ミヅキがそれだけで怒ってるようにも見えなかった。
「まあ、そういう訳でな。嫁がへそを曲げてしまったので、私は困っているのだ」
「だからっ、嫁じゃないですっ! ……ま、まだ、違いますったら」
 ミヅキは見るからに頬を赤らめ、チヨマル達から視線を外す。
 ミヅキよりはいくつか若いチヨマルだが、目の前の娘がうぶなのだと一目で知れた。まだまだ恋に恋するお年頃のミヅキは、サキネに連日言い寄られて悪い気はしないのだ。だが、それが誰かれ構わず、それも男女の別なくというのが面白くないらしい。
「いいですかサキネさん。大事なのは想い、気持ちですっ!」
「任せろミヅキ、それなら誰にも負けない。一族を想う私の気持ち、いささかも曇りはない」
「……そういう使命感とはまた別のことです。だ、だって、その、ええと」
「うむ、子作りするのだからな!」
 子作り、という言葉でミヅキは耳まで真っ赤になった。年上相手に失礼とは知りつつも、チヨマルは可愛いものだとついつい目を細めてしまう。
 一方、色恋沙汰に関する知識も意識もないサキネは真剣そのものだ。
 ノジコはといえばこれも極端な一面がある娘で、真剣にメモを取っている。
「いいですか、サキネさんっ! お嫁さんになるって、女の子には大事なことなんですよ?」
「うむ、それは解っているつもりだ」
 ずいと身を乗り出すミヅキの言葉に、のけぞりながらもサキネが追従する。
「いーえっ、解ってません! サキネさん、お嫁さんはその、こっ、ここ、子作りの相手だとしか」
「それは違うぞ、ミヅキ。私とて真剣に考えているし、大事に想っている」
「そ、そうですか?」
「そうだとも。子をなし共に育てる家族なのだからな。一族の宝だ、邪険になどできようか」
「……やっぱり、わたしが思ってるのとちょっと違います……それ」
 世にも珍しい雌雄同体の竜人希少種……そのメモを取りながらもノジコは笑いを噛み殺している。一方でふくれっ面のミヅキは、深い深い溜息と共に肩を落とした。
 だが、サキネは一向に構わない様子で普段のマイペースだ。
「まあ、兎に角里に来てもらえれば解る。ミヅキ、そろそろ色よい返事をだな」
「……初恋もまだだもん、わたし。ユクモ村の外も知らないし」
「里の者は皆優しいぞ? 勿論私もミヅキを大事にする。里をあげてお前を守る」
「……もっとこう、ロマンチックな筈なのに。王子様がとは言わなけど、せめて、こう」
 咬み合わない二人の会話は、両者の間に決定的な決裂をもたらした。
「まあでも、無理にとは言わんぞ? さらってくるなと厳しく言われているしな」
「あっ、あたりまえです!」
「ミヅキ、改めて頼む。里に来て、私達の子を産んでくれ。……ノジコも是非来い!」
「ほら、またっ! もうっ、本当にサキネさん解ってない!」
 とうとうプンスカと怒り出して、ミヅキは柳の社へと踵を返した。
 残されたノジコはついにたまらず噴出し、サキネはぽかんと見送るしかない。
「ノジコ、ミヅキはさっきからどうして不機嫌なのだ? ああ、ミヅキにもヒキデモノを」
「ふふ、違いますよサキネさん。でも、私も気持ちと、あのガンランスだけ頂きますね」
 ノジコは特徴的な書士服の裾を翻すと「それでは私も失礼します」と一礼して去っていった。
 後に残されたサキネは、なんだか一部始終を見ていたチヨマルにはしょぼくれて見えた。憮然としているようでもあり、不可思議に頭を悩ませているようだ。
「ふう、婿も嫁も上手くいかぬものだな……なあ、チヨマル」
「サキネさんは手順を間違えておいでですよ。結婚とは、手段ではないのですから」
 自分には縁のないものだが、チヨマルには少なくとも目の前の麗人よりは知識がある。
 チヨマルは生まれつき身体も弱く病弱で、色白に加えて酷く痩せていた。そんな自分が人並みの暮らしをできるのは、コウジンサイが囲ってくれているから。元武家の老ハンターと共に暮らし、その世話を焼きながら小姓として生きる。これは、この国で弱者に生まれた者には過分な待遇とも言えた。
「ううむ、しかし参った。ミヅキもそうだが、誰も色よい返事をくれぬのだ」
「それは仕方がありませんよ。結婚とは人生の一大事ですから」
「その、結婚? というのをしなければ子作りはできないのだろうか……理解に苦しむ」
「少なくとも一般的にはそうですね」
 ちゃんと筋を通して、手順を踏んでこその平和な家庭だ。それを外れれば不義の子をなすことにもなるし、生まれた子供を周囲は持て余す。チヨマルは生い立ちからそれを嫌というほど知っていた。
 だが、サキネの里ではどうやら社会通念が全く異なるらしい。
「決められた相手としか子作りできない……不便ではないだろうか」
「人間は皆、共に子をなす関係性を大事にするのです。誰とでも、という訳にはいきません」
「ふむ! チヨマルは物知りだなあ。さて困った……アズラエルもオルカも駄目だと言うしな」
「それにサキネさん……異性に先ずは好意を持たれなければ」
「好意、か。待遇はいい筈なんだがな」
 クスリと笑ってチヨマルは薄い唇を緩めた。
 おせっかいとは思えたが、主のコウジンサイにはよろしく面倒を見るよう言われている。チヨマルはこの無知で無邪気な竜人を、その一族の助けになればと小さな提案を示す。
 サキネは神妙な顔で大きく頷いた。

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