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 凍土は晴れて穏やかで、渡る風も身を切るような酷い寒さはない。ホットドリンクで一息ついたミヅキはすぐさま手早く支給品を仲間へ配った。
「オルカさん、応急薬と携帯食料を二セットどうぞ」
「え、いいんですか?」
 ギルドからの支給品は常に、参加する人数にかかわらず四人分用意される。必定、今日のように三人の時は余計に余る。だが、万が一に備えて支給品は残さず使うのもまた狩人の知恵だ。
「コウジンサイ様にも二セット持ってもらいます。私はガンナーなので」
 そう言ってミヅキは、渋々承知のオルカと共に振り返る。
 巨漢の老ハンターは一人、腕組み遠くを見詰めていた。その身はジャギィシリーズの防具で固められており、随分と年季の入った太刀を背負っていた。
「コウジンサイ様? 支給品、お持ちになってください」
「ふむ、それもよいが……ミヅキ、ガンナーの防具は貧弱じゃぞ?」
 ミヅキの声に身を翻して、ずしずしと新雪を踏みしめコウジンサイが近付いて来る。その見あげるような巨躯にミヅキは気後れすることなく意思を示した。
「確かにレイアシリーズでも防御力は知れてます。けど。私、今日は援護に徹しますから」
「ほう? つまり前には出ぬと?」
「必要があれば……でも、今日は私が無理に前衛へ踏み出す必要はないです」
 確認を取るようにミヅキがオルカを見る。すでに携帯食料に手をつけはじめていた青年は、視線に気づいて「ああ、うん」と呑気な返事だ。
「今日の得物はドスバギィ、強敵ではありませんが油断は禁物。麻痺から一気に畳み掛けます!」
「よかろう。ならばワシもその策に乗るとしようかのう」
「それに……」
 ミヅキもぱさぱさと口当たりは良くない携帯食料を噛みながら、手早く矢筒でがちゃつく鏃に麻痺毒のビンをセット。すぐにでもキャンプを出発できるような体制で言葉を続ける。
「太刀もスラッシュアクスも、咄嗟に防御できない武器ですから。やはり薬は必要です」
「だそうじゃ、オルカ。お主は異存は?」
「いえ、特に。応急薬を多めに持てるのはありがたいですね」
 もっとも、お世話になるような事態は避けたいとオルカは笑う。そうして入念なストレッチで準備運動を終えると、彼もまたスラッシュアクスを一度展開して内蔵されたビンを圧縮する。
 こちらは三人だし天候にも恵まれてる。速攻で畳み掛けるという気概が満ちていた。
 だが、コウジンサイは僅かに身を震わせ、次いで肩を揺すって笑い出した。
「コウジンサイ様? なっ、なにかおかしいこと言いました? 私」
「いやいやミヅキ、おかしくはないがな。いや愉快! まっこと立派に育ったものよな」
 きょとんとしてしまったミヅキは、尚も笑うコウジンサイを前にオルカと顔を見合わせる。
 オルカも同じような様子で小首を傾げた。
「どうしたんですか、コウジンサイさん。ミヅキさんの手際はいつものことですけど」
「ん? そうか」
「まあ、毎度この調子ですね。多少仕切り癖がありますが、几帳面でそつがなくて安心です」
 オルカが笑って言うので、さらにミヅキは顔を赤らめる。人間、面と向かって評価されると恥ずかしいものだ。それが好印象をもってしての高評価だと尚更。
 ミヅキは赤面に頬を上気させながら口を尖らせ、
「もうっ、オルカさんまで。私、そんなに仕切ってますか?」
「仕切ってる仕切ってる、まあありがたいこともあるけどね。ルナルと姉妹とは思えないよ」
「そ、そりゃああの娘はちょっとズボラだけど」
「ズボラっていうか、まあでもあれはあれでちゃんとこなしてるからいいけどね」
 うんうんとコウジンサイも頷く。その眼差しは暖かく、厳つい強面も今日はなんだか和らいで見えた。その笑顔が嬉しいし、賛辞は正直に喜ばしいのに。なのに、ミヅキはなんだか不安になる。
 ミヅキがなにかを言いかけた時、先にオルカが武器を背負い直しながら一言。
「でもコウジンサイさん、いきなりどうしたんです?」
「ん? いやなに、引退しようと思っての。村の狩りは今後、ミヅキやお前達に任せるのよ」
「ああ、引退。なるほど引退……ええーっ!? いっ、いい、引退ですか?」
 へーっ、と淡白なオルカとは対照的に、さらりと流しかけてミヅキは慌てふためいた。母子二人の幼少期から、なにかと目にかけて世話を焼いてくれた面倒見のいい村のモンスターハンター、それがコウジンサイだ。それが一線を退くと言い出したのは初めてで、率直に言ってミヅキは驚いてしまった。もう今日のドスバギィ狩猟どころではない。ミヅキにはどこか、この豪放な老人が親しい身内にも思えていたのだ。
「どこかお体が悪いんですか? 古傷が悪化したとか……」
「なんの! このコウジンサイ、今でも武芸百般、百人力の現役よ。だが、まあ、それはそれじゃ」
 ミヅキの驚き様に、逆に驚いた様子でコウジンサイはポリポリと頬を指でかく。
「今後一切の村の狩りは、ミヅキに依頼するよう村長にも言っておいたでの」
「コウジンサイ様……」
「オルカ、お主も他の皆も。この小娘に遅れをとるでないぞ? 皆で村をもり立ててゆけい」
「は、はあ……しかしまたどうして」
 理由を問うオルカの言葉にミヅキも乗る。何故? どうして? その一言が胸から溢れて、彼女は普段の冷静で生真面目な自分を忘れてうろたえた。
 だが、コウジンサイはとぼけたようすで、
「ふむ。まあ、そうじゃなあ……おう。旅に出るのじゃ。そういうことでどうかのう?」
「どうかのう、って」
「そんな、コウジンサイ様! 私、まだまだ未熟です。コウジンサイ様の代わりなんてとても」
 ミヅキは「そうよね、だって私」とオルカを振り向く。答に窮した様子でオルカはベリオヘルムを脱ぎながら、前髪をかきあげぺろりと顔を撫でた。再度防具をしっかりとかぶりなおして、彼はしかし黙って老人の言葉を待つ。
 この時まだミヅキは気付けないでいた。体温ある先人の決意も、それを薄々察してあえて黙る仲間も。それはしかし、しかたがないことかもしれない。ミヅキはいくら手練のモンスターハンターとはいえ、優しい十代の少女なのだから。オルカが自然と男同士の絆を悟る間も、彼女はただ驚きほうけるしかできない。
「ワシの代わりなど務まらずともよい。ワシを目指すなミヅキ……己の高みをのみ目指すのじゃ」
「でも……」
「まだまだ未熟は百も承知じゃ。お主は一人でユクモ村のハンターをやるつもりか? ん?」
「それは……違います。オルカさんや他のみんながいてくれる。私は一人じゃない、けど」
 うんうんと頷いてコウジンサイはのっしと歩き出した。そのままベースキャンプから出てゆく彼は、肩越しに振り返ってミヅキを優しい視線で撫でた。
「そうじゃ、ハンターは誰もが一人ではない。……一つよ、一つ。一丸となることよの」
 それだけ言ってコウジンサイは、ホットドリンクも飲まずに凍土へと歩み出ていった。その確固たる足取りは重々しくも頼もしく、いつもみていた逞しい背中が遠ざかる。
 熟練の狩人ともなれば、相手によってはホットドリンクを飲む手間を省く者もいる。凍てつく寒気にスタミナを奪われる前に、一切合切の決着がついてしまうこともあるのだ。コウジンサイのような老練な漢には、そういう狩りも許される。恐らく狩りの緊張感に血潮を燃やす彼には、寒さなど感じ取れてはいないだろう。
「行っちゃった……もっ、コウジンサイ様! もっとちゃんと言ってくれないと、私……私」
「口では言えないこともあるさ。でも、認めてもらったんだろ? あとは俺等次第じゃない?」
「あっ、オルカさん!」
 オルカは遠ざかる背中に駆け出し追いついて、並ぶや一言二言言葉を交わしたようにミヅキには見えた。だが、長い話をした様子もなく、すぐに二人は二手に別れる。
 突然の話だったが、ミヅキはしかし込み上げる嬉しさについつい頬が緩んだ。
「そっか、みんな一緒だもんね。コウジンサイ様にはこれから楽してもらわなきゃ。うんっ!」
 ミヅキは軽やかな足取りでベースキャンプを後にした。
 これが、ミヅキがコウジンサイと共に過ごした最後の平和な狩りになった。

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