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 夕闇迫る渓流には、嵐の前の静けさにもにた静寂が訪れていた。まるで雷狼竜に全ての自然が恐れをなしたかのような沈黙。囀る鳥も鳴く虫も黙り、そよぐ草木の枝葉ですらどこか寒々しい。
 ふとノジコが顔をあげれば、遥か遠景を真っ赤に染めて夕焼けが大地に沈み始めていた。
「ノジコさん、こっちです」
「あ、はいっ! 今すぐ」
 手を振るアウラに返事をして、ノジコはその細過ぎるシルエットへと駆け寄る。ラングロトラ素材の防具一式を着た痩身は、草食の巨大な飛べない鳥ガーヴァの死骸に屈みこんでいた。渓流でも中ほどに位置するこの場所は、よくノジコがハチミツの採取などで訪れる場所だ。大型のモンスターもめったに姿を現さない場所だが、腐乱の始まっていない死体の血はまだ地面を濡らしている。
「ここで食事をしていったみたいですね」
「ジンオウガでしょうか」
「……間違い無いと思います、ほら」
 表情の読めぬアウラが、真っ赤なヘルムの奥から視線の矢を射る。その大地へ注がれた眼差しを追って、ノジコは自分が立っている場所を見下ろし一歩下がった。
 そこには、巨大な足跡が点々と続いていた。
「これは……」
「四足歩行、この独特の足運びはジンオウガで間違いなさそうです」
 アウラは片手でライトボウガンを油断なく構えたまま、もう片方の手を地面の死骸へ向ける。既にあらかた食い荒らされて虫がたかっていたが、モンスターハンターが信じるのは己の眼と耳、そして触れる肌触りにまで及ぶ。
 ノジコもすぐさま膝をついて、己の感覚で事実を確かめた。
「まだ温かい……一時間かそこらってとこですね」
「はい。ノジコさん、ルナルさんやサキネさんと合流しましょう」
「ですね」
 素早くアウラは発煙筒を取り出すや、それを夕映えの空へ向けて紐を引く。静かに黄色い煙幕が立ち上って、森の向こうから返答の煙が同様に舞い上がった。
 ノジコも素早く背のガンランスを展開するや、連結された砲身に炸薬を装填する。
「あら、そのガンランス」
「……一応、持ってきてはいるんですけどね。サキネさんがくれたのも」
 ノジコが今握るのは、近衛隊正式銃槍だ。普段からまめに火山に足を運び、折を見て採取した鉱石から作られた逸品である。ガンランスの中では標準的な品で将来性もあり、なにより取り回しに優れる良品だ。装弾数は五発、通常型のベーシックなガンランスでもある。
「流石にあれはちょっと。その、使いこなす自信が」
「ふふ、サキネさんも悪気はないんですけどね」
「主任、見たらビックリするだろうなあ……原型留めてないもん、あれ」
 いやしかし、ノジコをふるさとから送り出してくれた王立学術院の工房では、技師を束ねる主任を始め皆が皆探究心の徒でもある。逆に魔改造に狂気乱舞する可能性も捨て切れない。
 ノジコはその光景がありありと想像できて苦笑を零す。
「さて、私達も少しお腹にいれておきましょう。アウラさん、支給品は」
「はい、一人に一つ。応急薬とこれ、携帯食料と。でも凄いですね、ノジコさんは」
 アイテムポーチから簡素な包み紙にくるまれた携帯食料を取り出し、アウラはフルヘルムを脱いだ。車用の残滓が秀でた頭部をピカリと光らせる。同じ学術研究機関の人間同士、ノジコはアウラとは気があった。今ではアウラも、その特殊な容姿を来にせず付き合ってくれる仲だった。
「人間は普通、こういうものを見たあとでは食欲が減退するものですけど」
「こういうもの? ああ……だって私、王立学術院の書士ですもの。これでも」
 二人が目線を走らせる先に、ジンオウガが食い散らかした骸がある。そこから少し距離を置いて、臭いが届かぬ風上に二人は並んで腰を下ろしていた。
 時々アウラが、さも自分が人間という常識の埒外にいるかのようなことを話す。それもノジコには気にならないが、時々本当にこのユクモ村の研究仲間が人間ではないと感じることがあった。たおやかにたなびく頭髪こそないが、アウラの整いすぎた小顔や強烈にくびれた腰を見るとため息が溢れる。
「? どうかしましたか? ノジコさん」
「い、いえっ! ……その、私達学術院でも噂になってます。ドンドルマの古龍観測所」
 ドンドルマ……それは西シュレイド王国の領地内にあって、特別な治外法権で運営される城塞都市。古龍の襲来撃退を前提に設計され、長らく災厄と戦うことで栄えてきたモンスターハンターの街。大老殿なる謎の組織が運営し、その子飼いのハンターは一騎当千のツワモノぞろいだという。
 同時に、この特異な街で古流の迎撃及び警戒を司るのが、アウラの所属する古龍観測所だ。
「……ジンオウガは、古龍なんでしょうか」
「これで翼があれば古龍……ということがハッキリしますね」
 焼きしめたパンをちぎって口に入れながら、ポツリとノジコが疑問を零す。その問にアウラも携帯食料を咀嚼しながら静かに答えてくれた。
「古龍というのは、いわゆる分類不能な攻性生物の総称です。キリンとかもそうですね」
「キリン……ミナガルデでも少数ですが目撃例がある、幻獣と呼ばれるモンスターですね」
「ええ。他にはラージャンとか……まあ、これはうちでも議論が真っ二つに割れてますが」
「ようするに、わからない脅威は全部古龍ってことでしょうか」
 ノジコの言葉にアウラはにこりと頷く。
 大雑把な話だとは思うが、今の人間が持つ知識では判別不能な生物は存在する。それも数多く。古龍の名に恥じぬ老山龍等は、まさしくいにしえの龍といった外観をしているが。そうでないものも多数、古龍として大雑把に認識されているのが実情だ。
 そしてそれらはどれもが災害級の天災……人知の及ばぬ力で荒ぶる、神にも似た存在。
「ジンオウガはどうでしょう……今日、わたし達が狩れねば申請をするつもりですが」
「申請? と言うと」
「本国の、ドンドルマの上層部に古龍認定の申請をします。……その資格は十分だと思いますし」
「そういえば、あのジンオウガに遭遇したのは、アウラさんと初めて会った時でしたね」
 まさしく雷の化身、稲光を纏う鬼神のごとき巨躯。強靭な四肢で大地を掴んでそびえるは、孤狼を思わせる強靭なシルエット。ジンオウガの中でも、ユクモ村を悩ませる個体は格別の一級品だった。
 これが飛竜種ならば、間違いなく銘入りの認定がくだされるとノジコは一人思った。
 事実、ユクモ村では誰ともなしに雷狼竜の名で恐れている。それが「雷狼龍」として学術院に認定されてもおかしくはない。そしてそれは、これからのノジコ達の狩りの成否にかかっていた。
「……あの時はでも、ノジコさんのおかげで命拾いしました。突然の遭遇でしたし」
「今でも思い出すたびに怖くなります」
「ふふ、いい機転でしたよ? わたし、助かっちゃいました」
 携帯食料を食べ終え、その包み紙を丁寧にたたんでアウラが微笑む。彼女は再びその美麗な素顔をフルヘルムで覆った。ラングロトラを模した仮面の奥に、温和な笑顔が隠れてゆく。
 ノジコも急いで携帯食料を片付けると、最後に水筒から水を一口。
「……そう言えば、絶対皆さん受注したがると思ったんですけど」
「アズラエルさんは別としても、オルカさんやミヅキさんですね?」
「はい。ミヅキさんなんか、村のハンターになるんだ! って張り切ってたのに」
「なにか事情があるのでしょう。でも、わたし達のやることは変わりませんよ」
 立ち上がったアウラは、丁寧にポーチの弾薬を整理するや、その中から通常弾を選んでライトボウガンに装填した。ノジコも傍らに置いた盾を抱き寄せ、腰をあげるや身支度を整える。
「ただ気になるのは、ルナルさん……少し気負ってる気がします」
「そう言えば確かに」
「わたし、普段から子供達の面倒みてるからわかるんです。お姉さんのこと、意識してるのかな」
「うーん……脳天気な印象があるけど、ルナルさんって意外と周り見えてるからなあ」
「狩場に来たからにはわたし達でサポートするしかないですけどね。サキネさんもいてくれますし」
「サキネさんは……うーん、悪い人じゃないと思うんですよ? その、やっぱり、でも、ちょっと」
 苦笑を零し合って、二人の学者ハンターは駈け出した。
 峰々の向こうへと溶けるように沈む斜陽に代わって、空にはぼんやりと赤い月が輝きだしていた。月下雷鳴……怪しく光る月の光に照らされ、雷鳴を呼ぶ者との決戦はもう始まっていた。

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