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 泥のようにサキネは眠り続ける。
 その端正な無表情を見やって、ルナルは一息つくとようやく緊張感を僅かに弛緩させた。ここはユクモ村、コウジンサイの屋敷。サキネが下宿している場所で、その万年床のだらしなく敷きっぱなしの布団に彼女は臥せっている。先程チヨマルが施してくれた手当のあとも痛々しく、白い包帯を血で濡らしながらサキネは眠っていた。
 その安らかな寝息を聞いてルナルは立ち上がる。
「……おっし! まずは一つ、んで次は……チヨちゃん」
 傍らでサキネの額に濡れた手ぬぐいを乗せる、酷く細い影にルナルは呼びかけた。
「サキネさんは大丈夫でしょう。鍛え方が違いますれば」
「や、そこんとこは心配してないんだけどぉ〜」
「私が今夜は朝まで付き添います。ルナルさんは家に戻ってお休みください」
 はいそうですかと引き下がれぬ事情があって、ルナルは眉を吊り上げる。
 反対にチヨマルは普段の無表情で、僅かに唸って寝返りをうつサキネの枕元に膝をついている。
 紅い月は今、闇夜の高みに登り切ってユクモ村を照らしていた。煌々と月光に照らされる村中が今、祝祭の喧騒に沸き立てっている。村を脅かしていた恐るべき鬼神にして雷帝、雷狼竜ジンオウガはついに駆逐された。それを見事に狩ったモンスターハンターは四人とも健在で、その誉と勲を称える歌と踊りが止む気配はない。
 遠く村の明るく華やいだ声を聴きながら、ルナルは表情を険しくする。
「つるこはちょっと事情があって家だし、ノジノジは武器が全部壊れちゃった」
「はあ、ではサキネ様の贈った引き出物の」
「あのガンスね、反動でかすぎるんよ。一緒に撃ってみてわかったけど、あんなん一人じゃ扱えないって」
「……まあ、そうでしょうね。だからボツになった武器なのでしょう」
 平静な声音を上下させぬチヨマルの物言いに、ルナルは続ける声を急かす。
「でもアタシは大丈夫、今すぐでも狩りに飛び出せる。サキネっちの分も、ノジノジやつるこの分も」
 意気込むルナルを前に、チヨマルは動じる様子を見せなかった。
 ただ静かに、うなされるサキネの額に乗る濡れ手ぬぐいを取り上げ手桶の水にひたす。
「何を狩ると申しましょうか。既にこの村の脅威は狩られました。ルナルさん、あなたは英雄ですが」
「そんなん決まってるじゃん! アタシはこの村のモンスターハンターだよ? 雇われだけどねっ」
 ルナルは身を乗り出してチヨマルの華奢な両肩に手を置く。
「チヨちゃん、教えて……この村の、この国の本当の敵は? 真に狩るべきは何?」
「それは、ルナルさんが狩ったジンオウガでしょう」
「表向きはね……でも、違う! ……気がする。アタシの勘がそう言ってる気がするの」
 ルナルは視線を逸らすチヨマルから手を離すと、腕組み縁側へと歩く。
 コウジンサイの屋敷にある手入れされた庭には、月夜に音色を奏でる虫達の鳴き声が満ちていた。
「じーちゃんはなにと戦おうっての? それさ、アタシもお手伝いできると思うんよ」
 背後のチヨマルを振り返りもせずに、ルナルは庭を眺めてポツリと零す。
 死闘の末にジンオウガを倒した、その帰路に揺られてユクモ村に戻ったのは日も変わろうかという深夜。だが、迎えてくれた村人達は誰しも、新たに生まれた英雄達を温かく迎えてくれた。ルナル達四人のモンスターハンターの偉業を讃え祀り、村中あげての乱痴気騒ぎに湧いている。こうしてルナルがコウジンサイの屋敷に顔を出すのもやっとで、ノジコやアウラは先程まで村人達に捕まって祭りの上座に据えられ酒と料理でもてなされていた。
 その騒動から辛うじて抜け出たルナルだけが今、真面目な表情でチヨマルを問いただす。
「……その言葉、聞けば御館様も喜ばれるでしょう。ですが、お気持ちだけで十分にございます」
 チヨマルの声はにべもない、しかし僅かに感情のゆらぎが滲んだ苦々しい響だった。
「今宵この村には、新たな英雄が誕生しました……どうか末永く、この村をお支えくださいませ」
「そうじーちゃんが言った? 自分に代わってこの村のハンターをって……そう思ってたんでしょ」
 ルナルは静かに頷くチヨマルを見る。
「ルナル様、今こそ村の救世主として御館様の全てを継いでくださいませ。託された想いを――」
「ばっきゃろぉー! そげんこと言われんでもアタシはもらうもんもらうちゅーねんっ!」
 ルナルの気勢を荒げた反論にしかし、涼しい表情を崩さぬチヨマル。だが、肩を上下させるほどに呼吸を見だしたルナルは、そのまま言葉を矢継ぎ早に続けた。
「じーちゃんの目論見、わかってるんよ! アタシ達がこの村の支えになる。ジンオウガ退治で」
「はい」
「で……恐らく自分は、若いもんに全てを任せて死地に……そういう筋書きでないかい? って思うんよ」
「……はい」
 チヨマルの表情は動かなかったが、その冷たく白い顔には陰りが見えた。それがわかるから、ルナルは詰め寄るような鋭い声音に責める語句を、なにより咎めるような気持ちを注げずにいる。それは、この場にいればノジコやアウラも同じだっただろう。勿論、痛手を被り昏睡状態のサキネも。それがわかる、わかりすぎるほどに熟練のハンターであるルナルは言葉を飲み込んだ。
 だが、彼女がひっこめた言葉をチヨマルはさらりと言ってのける。
「御館様は既に最期の戦いへ……残された我等は、責務と責任を負うべきかと」
「ばーろぉ、てやんでぇ! って感じ? その、アタシね、そんなに安っぽくねーぜ! ニヒヒ」
 この期に及んでもおどけた口調が唇から踊りでる。それは、己の内に沸き起こる怒りを包み込む自制心。
 ルナルは怒っていた。
 純真で純粋な怒りは今、ここにいない老ハンターに向けられていた。彼はこのユクモ村を長らく支えてきた、この村のモンスターハンターなのだ。いついかなるときも、村の繁栄と危機に彼は立ち会ってきた。この村の全てが、コウジンサイという漢の全てだった。
 だが、彼は今この場所にいない。
 そしてそれが、この場所のためであることがルナルには痛いほどよくわかった。
 あの漢は今、このユクモ村のために……冴津という国のために命を燃やそうとしている。それに気付いたのは遅かったが、遅過ぎはしないとルナルは思っていた。相手はわからない……恐るべき飛竜か、それとも畏怖に慄える古龍の類か。それはわからないが、ルナルには一つだけわかることがあった。それは――
「みずくさいっ! なんで一人でいくかな。そんなん、お姉ちゃんやアズにゃん、オルカっちが黙ってないって」
「そうみたいです。ありがたい話と思います……感謝の念を禁じえません」
「あんね、チヨちゃん? そういう時は力を合わせる、一丸となるのがハンターっしょ」
「それが道理かと。されど今宵、この瞬間……母国を賭けた一戦に敗北は許されません」
「なら、なおのことアタシが必要っしょ! アタシだけじゃない、みんなが――」
「ユクモ村の未来に、栄えあるモンスターハンターは必要なのです。それは今、あなた方です」
 ルナルは言葉を失った。
 この村を長らく支えた老獪な熟練ハンター、コウジンサイに自分が並べられたのだ。のみならず、チヨマルはこう言う……コウジンサイに代わって、この村を象徴する皆の憧れになれと。それはルナルには過ぎたる立場とも思えたが、それを満たす条件はクリアされてるようにも思える。
 何故なら、ルナルはこの村始まって以来の脅威であるジンオウガを狩ったハンターだから。
「今宵、この晩……明日の朝日を迎える前に。御館様はその命を持って万難を排し災いを駆逐します」
「それって――」
「御館様は戻られないでしょう。でも、この村にはルナルさん達がいてくれます」
 ルナルは思わず絶叫を返した。自分でも思いもよらぬ大きい声が出た。それに気付いて、眠れるサキネを気遣った時には遅かった。だが、彼女の激した声に言葉を返すチヨマルもまた、普段からは思いもよらぬ叫びを迸らせる。
「誰が止められましょう! もののふとして生きた、さぶらいたる漢の決断! ……誰が止められましょうか」
「チヨちゃん」
「生まれ育って仕えた国のため、御館様は命を燃やす覚悟です。燃やし尽くす覚悟なんです」
 今、こうして祭の賑わいを夜風に効いている瞬間。この瞬間、今まさにこの時もコウジンサイは外敵へと挑んでいるのだ。ルナルには想像もつかぬがしかし、その決意と覚悟だけはチヨマルから感じ取る。
「ルナルさん、この村には英雄が必要です。モンスターハンターが必要なんです」
「じーちゃんがいなくなった後釜にはまれってかー? ジンオウガを討伐した凄腕美少女ハンターに」
「そういう筋書きですれば。美少女かどうかは別として」
 チヨマルの声が湿っている。この小姓を務める少年は、もう知っている。自らが仕えた主がもう戻らぬ戦に旅立ったと。
 だが、納得しかねる様子でルナルはその場に座り込んだ。
「あんね、そゆの好きじゃないな! ノジノジもつるこも、勿論サキネっちもヤだと思う!」
「……承知しておりまする」
「でもさ、そゆ顔されると断れないじゃん?」
 チヨマルは今、涙も流さず泣いていた。
 それがわかるから、ルナルはむすっとした顔で納得しがたい理不尽と不条理を飲み込むしかない。こんな決定、独善は飲み込みがたい。自分は勿論、その仲間達も同様の筈だ。だが、自分が知ってる好々爺は、そういうことにだけは厳格な気位だった。それが痛いほどわかるから今、このユクモ村の未来を託された重みがルナルには少し胸に痛い。
 だが、軋る胸の深奥に手を当てながら、彼女はなぐさめるようにチヨマルに言い放つ。
「アタシだけじゃないんよ、ハンター。じーちゃんの側にも、この村にも……モンスターハンターはずっといるよ」
 不敵な笑みと共に放たれたその言葉に、チヨマルが意外そうな顔をした。
 ルナルはそれっきり、狩りに出る素振りも見せずにサキネの側に寄り添い続けた。

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