砂の水平線が暁に染まってゆく。
日の出は近い。
果てることなき極寒の砂海はしかし、巨大な古龍には水たまりにも等しい狭さで。風に帆をはらませ疾走る龍撃船は、僅か数刻で隣国との国境へ乗りあげてしまう。
「つまり、それまでにジエン・モーランに接敵、遭遇しないといけない訳か」
「うむ。勿論負けは許されぬ故、これを討伐せねばならん。どうじゃ? いささか難題であろう」
そうは言うが、コウジンサイの顔は覇気に溢れ輝いて見える。危機に際して心は踊る、長らく戦場を生きてきた漢の魂がそよいでいた。その厳つい巨体を見上げて、座り込んでいたオルカも立ち上がる。
怖くはない。恐ろしくもない。なにも感じないことが逆にオルカの心胆を寒からしめている。
こんな悟りの境地にも似た心境で狩りに挑めるなど、初めての気持ちなのだ。
「あるいはもう、感覚が麻痺しているのか……棺桶に片足突っ込んでいるのかもな」
その呟きを否定するように、舳先へ向かってオルカは風を受ける。
此度の助太刀、義理と筋を通す気持ちはあった。だが、オルカにそこまでの義務がないことは誰の目にも明白だ。ましてつい先日まで知らずに事態は水面下で動いていたのだ。昔のお家騒動の後始末など、武家の人間に任せておけばいい。そうも思うが、オルカの興味は違うことに揺り動かされてこの場所にいる。
恐るべき砂海の主を、もしもモンスターハンターの手で狩れるなら?
不可能ではないと思う……異国の地では祝祭の余興に男達は挑むとも聞いている。だが、果たしてたった四人で、
「四人で大丈夫だろうか、って考えてませんか? オルカさん」
「あ、ミヅキさん」
矢筒を小さく鳴らして、レイアシリーズの射手がそっとキャップを脱いだ。朝日に追われるように吹き抜けてゆく夜風が、その金髪をさらさらとたなびかせる。
彼女は手でそっと髪を押さえながら、オルカに並んで舳先に立った。
「アズさんは?」
「……寝てます。どういう神経してんだろ、こんな時に眠れるなんて」
「はは、そっか。アズさんらしいや。きっと俺等より場数を踏んでるんだよ」
「そうでしょうか? ……そうかもしれません。わたしなんか、とてもじゃないけど」
ミヅキは己の肘を凍えるように抱きしめる。そうして華奢な身を折りたたみながら、冷たい風に身震いして縮こまった。
「わたしは、怖いです。本当なら逃げ出したい。コウジンサイ様はこんな恐ろしい敵へ一人で」
「一人じゃないでしょ。俺達がいる。ミヅキさんもね。だから、四人さ」
「オルカさんは怖くないんですか? 古龍をこの人数と装備で狩ろうだなんて」
改めて問われると不思議な感覚で、オルカは苦笑を零すしかない。ミヅキの反応こそ正常で、そのハンターとしての嗅覚が働かない自分がどうかしている。
そう、やはり恐怖は感じない。それどころかオルカは、胸の内に込み上げ滾る激情すら感じるのだ。
どこかで今、オルカは前代未聞の狩りを望んでいる。
「変な気持ちなんだ。まったく怖くない。俺、どうかしちゃったみたいだ」
「オルカさん……」
「きっと後から凄い怖くなる。ガタガタ震えて、ベッドで毛布に包まって縮こまるかもしれない」
だから、とオルカは遥か遠くに登りはじめた日の出に目を細める。
「だから、そうなる前にやれるだけのことをやるだけさ。それに、俺一人じゃないしね」
「はいっ! わたしも一人じゃないし、コウジンサイ様も一人にはさせません! アズラエルさんも一緒ですし」
頷くオルカはミヅキの視線を追って、船尾で舵を取る老人を見詰めた。大柄な巨漢の鎧武者は今、舵輪を握って不動で立ち尽くしている。その兜の奥では、名を馳せた猛将としての闘争心が瞳に燃え上がっていた。
声はなくとも気持ちは伝わる、一つになる。
そういう意気込みを新たにしていた、その時だった。
「旦那さんっ、一人じゃないニャ……四人でもないニャッ!」
突如、甲板に置いてあった大タル爆弾が喋った。ミヅキとオルカとが、背負って持ち込んだ巨大なものだ。通常のものより多く火薬が詰め込まれており、取り扱いを警告するGの刻印がしてある。その巨大な二つのタルがガタゴト揺れたかと思うと、
「旦那さんっ、助太刀するニャン!」
「ここでオトモせずして、なんのためのオトモアイルーかぁぁぁぁっニャア」
「そうニャ、ボク等はっ!」
薄れゆく月の光に照らされ、灰色の空に三つの影が舞った。
「モンッ!」
「ニャンッ!」
「隊っ!」
タルから躍り出た三匹のアイルーは、華麗に空中で三回転。そのまましゅたっと甲板に着地と同時にポーズを決めた。
「トウフ、レトロゲー……ユキカゼまで」
「え、えええーっ!? こらっ、レトロゲー! 社は? それ以前に、タルの中身は!?」
慌てて駆け寄るミヅキを追って、オルカも得意満面の笑みへ足を向ける。
オトモ達は完全武装で、バッチコイとばかりに武者震い。
「チーフに後詰を任せてきたニャア。ももまんも一緒だから大丈夫ニャ!」
「それより旦那さん、水臭いニャ……」
「ユキカゼが気付かなかったら危ないとこだったニャン」
左右のアイルーに肩を叩かれ、真ん中で真っ黒なメラルーはしきりに顔を洗っている。
旦那さん達の気配を敏感に察知したオトモ達は、すぐさま大タル爆弾の中身を取り出し、そっくり入れ替わって密航してきたのだ。その行動力に呆れる反面、どこまでも連れ添う覚悟のオトモ達が頼もしくさえ感じる。
仲間達を見回し、ユキカゼが一歩前へと歩み出る。
「旦那さん、怒ってるかニャ? ボク、どうしても役に立ちたかったんニャ」
「ユキカゼ、お前……」
「ボク達だって日頃農場で鍛えてるニャ。邪魔にはならないから連れてって欲しいニャア」
オルカはそんなユキカゼ達を順に撫でて、船尾を見やる。
「カカカッ! 構わん構わん! どの道この船は片道よ。既に退路はない……が、頼もしいではないか!」
コウジンサイは上機嫌で舵輪をガラガラと回す。大きくバンクしながら、風を捕まえ船は加速をはじめた。
「オトモには砲手をやらせい。なに、猫の手も借りたかったとこ……このコウジンサイ、感謝の言葉もない」
「ふふ、よかったねレトロゲー。ユキカゼもトウフも頑張りなよ? ……あ、アズラエルさん」
微笑むミヅキがキャップをかぶり直して、船底から上がってきた長身痩躯を見詰める。
アズラエルはランスを担いで盾を抱え、眠そうに瞼をこすっていた。
「だっ、だだ、旦那さん! ついて来ちゃったニャ」
ユキカゼが四足で駆けてき、そのすらりと細い身体をよじ登った。肩に乗っかるメラルーを、首筋つまんでアズラエルは鼻先に持ってくる。
「おや、騒がしいと思えば」
「旦那さん、ボクも一緒に頑張るニャ! お役に立ちたいんニャア」
ふむ、と唸ってアズラエルはしかし、いつもの緊張感がない声を平坦に響かせる。
「……ジエン・モーランというのは、ネコは食べるんでしょうか」
「ニャニャッ!? だっ、旦那さぁん〜……それはないニャア」
「ふふ、冗談ですよ。……早く片付けて、一緒にキヨ様のところへ帰りましょう」
降ろされたユキカゼは、元気な声で「あいニャ!」と背中の炎剣を握る。
風向きが変わって大きく船体が傾いだのはその時だった。
「国境近くに潜んでいるとは聞いていたがな……カカカッ! ワシも運がいいのう!」
風をつかまえ滑るように砂丘を飛び越えた、その先にオルカは見た。
昇る太陽をつかまえるように、二本の巨大な牙が聳え立つのを。
「あっ、あれが……」
「峯山龍、ジエン・モーラン!」
刹那、襲い来る砂の嵐が視界を覆った。
巻き上げられた大量の砂粒が全身を叩いて降り注ぐ。口の中まで砂まみれになりながらも、オルカはなぜ自分が恐怖を感じないかをわかりかけていた。
圧倒的な存在感で大地を揺るがし悠々と泳ぐ、この砂海ですら手狭に感じるほどの巨大な古龍。その姿は美しく壮大。まさしく自然の神秘としか形容しがたい感動をオルカに与えてくるのだ。同時に、若きモンスターハンターとしての血の滾りが身を熱くする。この強敵を前に、自分はどう戦うのか……仲間達とどう戦うのか。そして勝てるのか。
気付けばオルカは己を鼓舞するように、言葉にならない雄叫びを叫んでいた。
「よう吠えた! 迷いも恐れも今は忘れよ……この一戦、祭と思えい!」
まっすぐ国境に並んで泳ぐジエン・モーランへと船体を寄せる。
並走しながら激しい渦の中を、龍撃船は真っ直ぐ矢のように疾走った。ネコ達は最初こそ怯えたものの、あっという間に甲板を走ってゆく。アズラエルもバリスタに陣取ると、その砲身を砂煙の源へと向ける。
狩りの火蓋は切って落とされ、オルカもまた興奮に押し出されるように走り出した。