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 激震に揺れる龍撃船へと、辛うじてアズラエルは這い上がった。
「助太刀御苦労っ! このコウジンサイ、大恩あの世でも忘れぬ。最後は年寄りに任せい」
 吼えるように叫んで、その男は笑った。
 鬼を模した面の奥で、確かにコウジンサイは笑っていた。
 その背が龍撃船の奥に消えると、余力を振り絞ってアズラエルはあとを追った。言葉に出来ない怒りがあった。激怒と言ってもいい。自分でも決然とした憤怒に驚きつつ、その驚きを発散するのも忘れて大股に歩く。
 狭い船内ですぐ、コウジンサイの背中に追いついた。
「――来てしまったか。お主だけは若のため、最後まで連れてはゆけぬと思ったのだがな」
 面を取り兜を脱いだコウジンサイは、揺れる中でアズラエルを見下ろしてくる。
「格好つけやがって、ふざけんなクソジジイ!」
 きょとんとするコウジンサイにも構わず、気付けばアズラエルは感情を爆発させていた。
 自然と故郷の言葉になっていたが、それも忘れるほどに夢中でまくしたてる。
「武人の鑑気取って死ねりゃ満足か? ええ? キヨ様がどんな気持ちでいるかわかってんのかよ!」
「待て待て、ワシにもわかる言葉で話さぬか」
「キヨ様はなあ、あんたと死んでやる覚悟も、あんたを生かすために俺等を行かせる覚悟もあったんだ」
 言葉は理解できずとも、その節々に宿る気持ちが伝わる。
 コウジンサイは真面目に身を正すと、アズラエルを真っ直ぐ見据えてくる。
「それがなんだ、ネコまで引き連れこのザマか!? 最後は自爆覚悟で体当たりか、ハッ! ……馬鹿くせえ」
 軋む船体が右に左にとうねる中、全てを言い終えてアズラエルは冷静になった。
 そしてようやく、自分が公用語を忘れていることに気付いたがもう遅い。はっとして口元を手で覆ったが、思うまま激情に任せて躍り出た言の葉は、そのどれもが取り返しの付かない棘となって眼前の老人に突き刺さっていた。
 大人の事情はわかる、この国を憂う気持ちもわかる。痛いほど、わかるのに。
「……それでも、死んではいけないと思うのです」
「お主、それを言いに?」
「いえ、言うだけでは足りません。私は貴方を生かして再びあの村に、ユクモ村に帰らなければ――」
 刹那、一際強い衝撃にアズラエルはとうとう転んだ。したたかに背中を打ち据えたのは船底で、船体がひっくり返って揺れている。まるで嵐の大海に放り込まれたかのように、龍撃船は上下を忘れて激しく揺れ動いた。
 そして衝撃……アズラエルの身を言い知れぬ痛みが貫通してゆく。
 そんな中、アズラエルの身体を支えてくれたのはコウジンサイだった。
「ふむ……船ごとぶち当てても死なぬか。噂にたがわぬバケモノよのう」
「コウジンサイ様?」
「非礼を詫びるぞ、小僧。加勢に生命を賭したうぬらに対し、いささか無礼であった」
 コウジンサイは揺れが収まるのを待って、そっとアズラエルを下ろす。
 大きく傾いたまま止まった船の下、大量の砂の底を巨大な何かが通り抜けてゆく。その大質量が砂の流れに逆らい泳ぐ不気味な音と気配を聞きながら、遠ざかるのをじっと二人は待った。
 やがて静かになると、再度「この通りだ」とコウジンサイは頭を下げる。
「……私もかつて、キヨ様のために死にたいと思っていました。あの方のためなら死ねると」
「小僧、お主」
「でも、今は違います。生きたい、生きていたい。キヨ様の隣でずっと、これからも生きてたいんです」
 そう言ってアズラエルは盾を足元に捨てると周囲を見渡す。ひっくり返った木箱の中にはまだバリスタの弾が少し入っているが、肝心の砲台がこの衝撃と転覆で無事かどうか……だが、武器を探すアズラエルの目は諦めてはいなかった。
「若の隣に居場所を見出したか」
「同時に、自分の迂闊さや捨て鉢な無責任が、あの優しい人を傷つけてしまうと知りました」
 ハッとコウジンサイが言葉を飲み込む。
 アズラエルは先程、命綱を切られた時に辛うじて這い上がったが、大事な武器をなくしてしまった。ランス自体を砂海の波にさらわれ失っては、盾だけあっても話にならない。それでも、なにか使えるものはと探すアズラエルを見詰めて、コウジンサイは言葉を失い立ち尽くしていた。
「歳を取るといかん、十分生きた気になってしまうわい」
「若くてもなりますよ。私も以前は、十二分にキヨ様から貰った気がしました。でも――」
「でも?」
「私はまだ、キヨ様になにもさしあげてないんです」
 アズラエルは裂け目が入ってダメになった笠を捨てると、支給品一式が普段は入っているであろう青い木箱をひっくり返す。
 そんな彼の足元に、意外な得物が転がっていた。
「これは……キヨ様、お借りします」
 即座に箱から弾薬を一式かき集める。十分な量とは言えないが、ジエン・モーランも多少は消耗していると思いたい。
 そう、まだアズラエルの狩りは続いていた。目の前で老練なハンターにして百戦錬磨の名将が諦めていても、それはアズラエルには関係のないこと。ただ、自分とキヨノブにとって大事な人を守る。そのためになにものも惜しまない。生命以外の全てを賭ける。
「この老骨、教えられたわ。……まだワシにも、できることが残っておるだろうか」
「やることなら山ほど残ってますよ。死ぬならせめて、生きて生きて生き抜いて……そうして大往生してください」
 いかにもアズラエルらしい、不器用に突き放した、それでいて素直な本音の一言だった。
 まるで憑き物が取れたように、険しい武人の顔が氷解してコウジンサイが笑顔になる。
「カカカッ、若人とは小気味よいのう! では、そのようにしてみるか」
「それとコウジンサイ様、あまり最近のモンスターハンターを舐めないでいただきたいですね」
「ほう」
 嬉しそうに笑うコウジンサイに、アズラエルも氷の微笑を返す。
「生命を拾わせたつもりでしょうが……あの二人が、オルカ様とミヅキ様が大人しく帰るとお思いですか?」
「ぐぬぬ、帰ってもらわねば困るのだがなあ」
「這ってでも来ますよ。さあ、決戦です!」
 カチャリと金属特有の冷たい音と共に、展開した砲身が一つに連結される。撃鉄を引き上げ、通常弾を装填。その一挙手一投足が洗練された熟練ガンナーのもので、取り回しが悪く重いヘヴィボウガンが嘘のようにアズラエルは振り回して背負う。
 それは、キヨノブがコウジンサイの黄泉路の共にと、行商人から設計図を買い叩いて作ったものだ。脚が悪いから砲手にぐらいなれればいい、そう思って限界までチューニングされた砲身には、威力を増幅するパワーバレルが黒光りしている。銘は海造砲【火刃】、異国の技術で作られたピーキーな砲をしかし、気にした様子もなくアズラエルは手の内に掌握していた。
「さあ、行きましょうコウジンサイ様。死ぬためにではなく、生き残るために」
「うむ、では参ろうかのう」
 アズラエルはほぼ横向きになってしまった甲板への扉を蹴破る。
 瞬間、砂だらけの砂だるまが転げこんできた。
「大旦那さん、死んじゃ駄目ニャアアアアアッ!」
「死なばもろとも、これは下の下、下策ニャンッ」
 オトモアイルー達だ。順にアズラエルは軽くはたいて、その砂を落としてやる。
 真っ先に自由の身になった黒い矮躯は、肩をいからせコウジンサイに詰め寄っていった。
「大旦那さん、いやさコウジンサイッ! そゆのは駄目ニャ!」
 流石に面食らったコウジンサイはしかし、ほのぼのと緩んだ表情を真面目に引き締める。
「旦那さんからも言ってやるニャア、生命を粗末にしてはいけないニャ」
「いえ、ユキカゼ。その話は先程伝えましたので」
「うんうん、旦那さんの言う通りニャ。コウジンサイともあろー人が情けないニャ」
「ですからユキカゼ」
「旦那さんは言ってるニャ、あんたが死んだら誰が一番悲しむか……それをよく考えるニャア!」
「コウジンサイ様、ちょっと失礼」
「水臭いにゃあ、大旦那さんは言ってくれたニャ。すでに我等は一つと。なら、ボク等だってフニャア!?」
 ぺこっ、とユキカゼの頭を軽く叩けば、レウスネコヘルムがずるりとずれて視界を覆う。わたわたと転がるユキカゼはしかし兜を直すと、抱き上げるアズラエルの肩にしがみついて言葉を選んだ。
「すでにボク等は一つなのニャ! だから、一人で死に急ぐのはナシだニャン」
「そういうことです。では……行きましょうか」
 アズラエルは颯爽と甲板に踊り出る。ネコ達も勢い良く先程生命を拾った外へと飛び出してきた。
 すでに地平を離れた太陽は今、静かに遠く燃えている。その弱々しい朝日を浴びながら、アズラエルはぐるりと周囲を見渡した。オルカやミヅキを振り落とした地点から、砂丘を超えたところで龍撃船は座礁している。既に半壊して船としての命を全うし、今は残骸となって横たわっていた。
 だが、備え付けられた大砲やバリスタは生きている……舳先にそびえる龍撃槍も。
「どれ……ふむ、この船はもう駄目じゃな。じゃが……奴はまだまだやる気じゃのう!」
 這い出たコウジンサイはパシィン! と己の頬をはたくと、再び兜をかぶって背の太刀を握る。
 同時に、アズラエルが睨む先で砂の海が爆ぜた。
 絶叫が轟き、空気が沸騰して煮え滾る。ジエン・モーランは怒りも顕に、折れた牙を手負いのハンター達へ向けていた。
「すぐにオルカ様やミヅキ様も追いついてくるでしょう。では……狩りを続けましょう」
 気勢を張り上げ突撃するオトモアイルー達を見送り、アズラエルは背のヘヴィボウガンを素早く構えて腰を落とした。最終決戦の火蓋は切って落とされた。

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