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 砂に脚を取られながらも、懸命にミヅキは走った。
 遠く砂丘の向こうへと消えた、恩師を載せた龍撃船を追って。
「ミヅキさんっ、急ぎましょう! もう朝日があんなに……国境、超えちゃってるかもしれませんし」
 傍らではオルカも、半ば泳ぐように砂を掻き分け進む。自分達のオトモアイルーも心配だったし、何より仲間達の安否を気遣えば胸が軋る。
 丘を超えた瞬間、挫傷して大破した龍撃船が視界に飛び込んできて、ミヅキの鼓動は跳ね上がった。
「ミヅキさん、あれっ! あれは――」
 同時に、大気を揺るがす怒号が響き渡る。既に機能を失った龍撃船へと、巨躯を向けてくるジエン・モーランが迫っていた。その足取りはゆるやかだが、一歩を踏みしめるたびに砂海の波が波濤を迸らせる。その飛沫にも似て舞い散る砂を浴びながら、巨大な峯山龍は折れた牙を振りかざして進んできた。
 急いで砂を転げるように、斜面を滑るミヅキとオルカ。
 無事であれば……そう思い願うミヅキの耳朶を、嬉しい生存の声が打った。
「旦那さん、こっちニャア!」
「早く早く、ハリーアップなのニャ!」
「ボク達はここで、ジエン・モーランを迎え撃つんニャ!」
 傾き折れかけたマストの上で、オトモアイルー達が手を振り声を張り上げている。
 彼らが一目散に降りてゆく根本に、ミヅキは見知った仲間達の無事な姿を認めた。瞬間、視界がぼやけて滲み、涙がこみ上げてくる。無事に安堵する身は、ともすればその場に泣き崩れそう。
 だが、まだ泣いては駄目だ……ミヅキはぐいと手の甲で涙を拭うと、弓を展開して矢をつがえるや甲板に降り立った。
「コウジンサイ様っ! ご無事ですか! アズラエルさんも」
「私はこの通り無事です。コウジンサイ様も」
 嫌に平静なアズラエルは、身につけたユクモシリーズのほつれて破れた姿も痛々しい。だが、彼はそれを気にした様子もなくヘヴィボウガンを背負っていた。その隣りの巨漢は、ミヅキに向かって居直ると、静かに口を開く。
「ミヅキ、すまなんだ。ワシは――」
「……っ、歯ぁ喰い縛れぇ!」
 不意にミヅキを風が追い越した。その疾風はつむじを巻いて翻るや、握る拳をコウジンサイの顔面に叩きつける。
 あっけにとられるミヅキやアズラエルの前で、珍しく激したオルカがコウジンサイを吹き飛ばした。
「残される者の想いとか、仲間達の気持ちとか……多分、アズさんから聞いたと思いますけど」
「……小僧」
「これは、ミヅキさんの分ですよ。あなたを師と仰いで生きてきた、女の子の痛みです。いいですよね」
「うむ」
 荒げた声を一変して呼吸を落ち着かせると、静かにオルカは手を差し伸べる。その手を握って、コウジンサイは立ち上がるや並んで互いに敵を見据えた。
 ジエン・モーランは既に、駆け出せば数秒で接敵出来る距離に迫っていた。
「もう、一人で突っ込むとかなしですよ。アズさんも」
「ええ、もちろん。オルカ様にミヅキ様、そしてコウジンサイ様……皆様の力を束ねて、あれを討ちます」
「やりましょうっ、皆さんっ! 冴津の興亡、この一戦にありっ! ミヅキは命を賭けて戦いますっ!」
「敵は古龍、ジエン・モーラン。カカカッ、今こそ真に、命を燃やし尽くす時ぞ!」
 誰からともなく、気勢を叫ぶ声が口から迸った。ともすれば震えて竦みへたり込みそうになる自分を、そうして叱咤して前へと押し出す。四人は一丸となって甲板を蹴るや、凪いだ砂の海辺に迫るジエン・モーランへと突貫した。
 その巨躯がどんどん大きく迫り、まるで山脈のようにそびえてハンター達を待ち受ける。
 あまりに巨大な古龍は、生身で挑むミヅキ達にはことのほか巨大に見えた。
「先制しますっ、続いてください!」
 走りながらつがえた矢を、弓を引き絞って天へと放つ。着弾を待たずに二の矢をつがえて、脚を止めるやミヅキは再び曲射を空へと打ち上げた。僅かな間をおいて、空中で分割された矢は五月雨のごとくジエン・モーランの表面に降り注ぐ。
 だが、押し寄せる巨体が歩を緩める気配はない。
 改めて古龍の恐ろしさに冷たい汗を感じていると、ミヅキは背後より空気が引き裂かれる音を聞く。
「旦那さん、援護射撃するニャア!」
「バリスタはまだ生きてるニャン! どんどん撃つニャア〜」
 肩越しに振り向けば、腹を見せて傾き止まった龍撃船の甲板から火薬の煙が立ち上がっていた。オトモのトウフやレトロゲー、ユキカゼが全身を使ってバリスタを発射している。尾を引く鋼鉄の鏃に、僅かにジエン・モーランは身震いして再び吠えた。
 古龍ジエン・モーランとてイキモノ、倒せぬ道理はない……ミヅキは気を引き締めて再び矢を射る。
 その隣に滑りこんで片膝を突くや、巨大な弩を展開する長身が声を上げた。
「一点集中を、ミヅキ様。こちらは弾薬が多くありません。最大効果を発揮しましょう」
「アズラエルさん! ……ランス、どうしちゃったんですか?」
「なくしました。ですが、これが積んであって行幸でしたね。さあ、ミヅキ様」
「はいっ!」
 狙いを定めて、心を重ねて。二人の射手は互いの呼吸を読み取り自分に合わせながら、同時に一点を狙って射撃を開始した。狙うはジエン・モーランの目、炯と輝く巨大な瞳。二人が交互に奏でる風鳴りと砲声に導かれて、仲間達は抜刀と同時に駆けてゆく。
 ジエン・モーランへと一直線に吸い込まれてゆくコウジンサイとオルカの背中は、互いに競いあうように巨躯に取り付き刃を煌めかせた。
「ヘヴィボウガンは久々ですが……意外と身体が覚えているものですね」
「アズラエルさんっ、ジエン・モーランが回頭しますっ、左の目がこちら側に」
「いただきましょう。……その隙は逃しませんっ!」
 群がる二人の剣士を蹴散らすべく、ジエン・モーランが大きく頭を振って回頭する。
 その巨大な牙が大地を薙ぎ払った瞬間。アズラエルがスイッチすると同時にミヅキも矢を放った。
 真っ直ぐ飛ぶ砲弾を追って矢が進み、巨大な宝玉の如き眼球へと突き立つ。
 刹那、絶叫と共にジエン・モーランは暴れだした。
「よしっ、有効打っ! この調子で――」
「畳み掛けましょう、ミヅキ様。残り、通常弾が80発……押し切ります」
 はじめて後ずさりを見せるジエン・モーランへと、距離を再度詰めてミヅキは走りだす。立ち上がったアズラエルは、重弩を畳む間も惜しんでリロードしながら前転する。その長い射程すれすれに再び峯山龍を納めて、アズラエルが射撃を再開する音をミヅキは聞いた。
 自分はもっと距離をつめて……そう思って馳せる彼女はしかし、怒りに煮え滾るジエン・モーランがアギトを天地へ大きく開くのを見る。その全ての光を吸い込む洞のような口へと、周囲の砂が吸い込まれてゆく。
「むう、いかん! 小僧、下がるぞっ! これは――」
「コウジンサイさん? いったい何が……まさか」
 コウジンサイが叫び、それが聞こえないのかオルカが怒鳴る。その声すらミヅキにはとぎれとぎれにしか拾えない。
 だが、目の前で朝焼けの空を食むように開かれた口の奥へと、大量の空気が吸い込まれてゆく。
「くっ、もしかして……船が危ないっ!」
 自分達は左右に避けるスペースがある。
 だが、その後ろには挫傷した龍撃船があって、自分達のオトモアイルーがいるのだ。
 ミヅキは懸命に矢を射るが、虚しく吸い込まれてゆく。背後で射撃を試みるアズラエルも同様の様子で、嫌な予感が現実として迫る足音をミヅキは聞いた気がした。
「回り込みましょう、ミヅキ様。直撃を受けます」
「でもっ、ここで退けば船が!」
「もう片方の目も潰します。それで最悪が避けれると今は……試してみる価値はあります」
 立ち上がってヘヴィボウガンを畳むアズラエルに、二の腕を強く掴まれるミヅキ。そうしてる間にも、周囲の砂はジエン・モーランの開け放った虚の中へと吸い込まれてゆく。ともすれば、自身等も吸い上げられてしまうような錯覚。
「……目を潰します」
「ええ、それでお願いします」
 側面へと走る二人をあざ笑うかのように、その時ジエン・モーランが身震いして吠えた。
 同時に、苛烈な突風がミヅキを襲い、その華奢な身を砂の地面から引っぺがす。
 ジエン・モーランは吸い込んだ砂を、ありったけの肺活量で吐き出し叩きつけたのだ。
「アズラエルさんっ! コウジンサイ様、オルカさんもっ!」
 天高く舞い上げられたミヅキは見た。
 礫の嵐と化したジエン・モーランの咆哮が、龍撃船を直撃するのを。
「アニャニャッ、全員退避っ! 退避ニャアー!」
「ふっ、船が吹き飛ばされるニャン」
「アニャニャ、旦那さぁん〜! たーすけてニャアー!」
 オトモ達の悲鳴を聞いて尚、ミヅキは宙を舞いながら迫る大地に目を見張る。
 砂に叩きつけられ、何度もバウンドして転げながらミヅキは見た。悠々と再び進軍を開始するジエン・モーランを。その人智を超えた恐るべき力を。
 そして、その前に敢然と立ちはだかる背中を。

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