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 昇った朝日が煌めかせる砂海は、金色に輝き風に舞う。
 もうすぐ嵐が来る。吹きすさぶ風は強く砂を巻き上げ、陽の光を遮る砂塵のカーテンを幾重にも張り巡らせていた。
「旦那さん、無茶ニャア! 帆走できる風じゃニャい、帆柱が折れるニャア〜」
 穏やかだったのも早朝だけで、砂海は荒れに荒れていた。まるで波濤渦巻く大海原のごとく、砂が織りなす起伏は行く手を阻む。ノジコは舵輪を握って必死に舵を保ちながら、まっしぐらに走る砂上船に揺られていた。轟と耳朶で渦巻く旋風が、ヘルムを脱いだ髪を僅かに乱して吹き抜ける。
「お姉ちゃん達のとこまで持てばいいっ!」
 舳先で進路を睨むルナルが、その蒼い髪をなびかせ声を張り上げる。
 仲間達を迎えに行こうと言い出したのは彼女だった。
「そ、そんニャア〜!? この荒れた中で帆を全開ニャンて……無茶もいいとこだニャン」
「だいじょーぶっ! あたしを信じなさいって。待っててね、お姉ちゃん……みんなもっ!」
 ルナルの瞳は確信に満ちて、真っ直ぐ嵐の向こうを見据えている。その曇りなき眼差しが肩越しに振り返るので、ノジコは大きく頷いた。遥か天高く太陽は燃えているのに、砂嵐のヴェールに覆われまるで薄暮のように明るさを失ってゆく。
 この天気は長くは持たない……もうすぐ、あらゆる生命を拒む大嵐になる。
「ノジコさん、舵を代わりましょう」
「すみません、アウラさん。風と波に持ってかれます、気をつけて」
 防具を着込んだルナルやノジコと違って、アウラは既に着替えを終えていた。普段のシスター姿で舵輪を手に取る。彼女の不思議な怪力は、揺れに揺れる船をどうにかまっすぐ向かう先へと向けた。
 アウラに礼を言って、ノジコも舳先に立って突風に目を庇う。
「ほんと、お姉ちゃん達ってば水臭いんよ。……あたし、気付かなかった。こんなことなってるなんて」
「ルナルさん……」
 この少女は、自分を責めているのだろうか? 村を脅かす害獣ジンオウガを討伐して、英雄になったルナル達。だが、その裏で仲間達は崩国の危機と戦っていたのだ。それを知った今はもう、無邪気に自分達の狩りを誇ることができない。それでも村人達が催してくれた昨夜の祭りでは、凱旋した勝者としての振る舞いが求められたのが辛かった。
 だが、慰めようと声をかけたノジコに意外な言葉が返ってくる。
「お姉ちゃん、ずるいっ! あたしもジエン・モーラン狩りたかったぁ! あーもぉ!」
「ル、ルナルさん?」
「だってノジノジ、ジエン・モーランだよ? 古龍だよ? 峯山龍だよ?」
「あ、あのぉ……」
「一攫千金逃したあ、お姉ちゃんにおいしーとこ持ってかれたあ」
 頬をプンと膨らませて、ルナルはその場にペタンと座り込んだ。腕組みプンスカ吹き出す怒気は、砂をはらんだ風に掻き消えてゆく。
 まるでヤスリの中を泳ぐように、船体を軋ませ船は嵐の中を走る。
「……ちょっと安心しました。ルナルさん、落ち込んでるのかなって」
「えー、落ち込んでるよぉ。凹んでます! ノジノジ、慰めれ!」
「あはは、えっと……でも、元気でよかった。ジエン・モーランはともかく、仲間が心配かなって」
 ノジコを見上げるルナルは、意外そうに目を点にして首を傾げた。
「心配? なして? だってコウジンサイのじーちゃんもついてるし、オルカっちやアズにゃんも一緒だよ?」
「ジエン・モーランって、凄く大きい古龍だって。お祭りで狩る街もあるらしいですけど」
「うん、あるねー。ロックラックとか? でもだいじょーぶっ、お姉ちゃん強いもん」
 ニヘラとゆるい笑みで、ルナルは立ち上がって風にあおられた。支えてやるノジコはその時、彼女が震えているのを肌で感じる。蒼髪の少女は気丈な言動とは裏腹に、その身に恐怖を蔓延させていたのだった。
「ルナルさん、大丈夫ですか」
「ホントはね、ノジノジ。あたし、怖い。お姉ちゃん達がもし、ジエン・モーランに負けてたら」
 己の身を抱くようにルナルは、表情をかげらせて不安を零す。いつでも明るく楽観的なルナルが、初めて見せる表情だった。
「ドンドルマのハンターだからね、あたし。古龍の怖さ、いやってほどわかるんだ」
「……古龍。人知の及ばぬ攻性生物の総称。あらゆる生態系の上位に君臨する、絶対強者」
「うん。ノジノジは学者さんっしょ? つるこもそう。みんな知識ではわかってると思う。けど――」
「けど?」
「実際に戦って肌で感じないと、古龍の凄さは伝わらないんだ。古龍はね、すっごく強いんよ」
 ルナルのいた街、ドンドルマは特殊な立地で有名な城塞都市だ。西シュレイド王国の中にあって、大老殿なる組織により独立自治を得て運営されている。古流観測所なる組織があり、古龍迎撃のために作られた鋼の城……定期的に襲来する古龍との死闘が、あたりまえの日常になった街。
 そこで生きてきたルナルの言葉は、ずしりとノジコの心に重くのしかかる。
「あたしは古龍の討伐に七回参加して、七回とも無事に生き残れた。だから言える……古龍は、怖いんよ」
「ルナルさん」
 凍えるように縮こまる矮躯を、気付けばノジコは抱きしめていた。その胸の中で俯き、ルナルはブルブルと震えている。
「ルナルさん、私は王立学術院の書士、学者です。勿論、古龍の知識は乏しいかもしれません。でも」
 優しくささやきながらノジコは言葉を選ぶ。この時ノジコの胸中には、偉大な先輩である女性ハンターの声が響いていた。きっと自分も、こうしてあの人に支えてもらったことがあるから。だから、自分もまたしてもらったことを他者へ……そうしてモンスターハンターの縁を紡いで、想いは和なる環を循環して巡るだろう。人から人へと、限りなく。
「あなたがもし、不安に迷い苛まれる時。大事な人を信じてあげてください」
「ノジノジ……信じてるよ? あたし、お姉ちゃんを信じてるし、仲間達を信じ抜く。でも」
「一緒に信じる仲間がいることも、忘れないでくださいね。私も信じます。だから」
 ね? と覗き込むノジコに小さな頷きを返してルナルは瞼をこすった。そうして照れ隠しに笑う彼女は、ようやく顔をあげておずおずとノジコから離れる。
 いよいよ風は強く叩きつけるように真横から吹き、ギシギシと軋んで撓みながらも船は進む。
「ルナルさん! ノジコさんも。前方に残骸……龍撃船です!」
 舵を取るアウラの声に、ルナルと並んでノジコは瞳を凝らす。だが、分厚い砂の壁に幾重にも遮られて、進む先は既になにも見えない。この先を見通す目が人間のものではなくても、仲間の言葉を信じてノジコは身を乗り出した。
「見えたっ! ああ……龍撃船が。お姉ちゃんっ!」
「あっ、ルナルさん!」
 左舷を一瞬だけ、巨大は残骸が通り抜けた。それは木っ端微塵に砕かれた龍撃船で、それを見つけた時にはもう甲板からルナルは飛び降りていた。咄嗟に後に続くノジコは、どうにか砂の上に着地すると走りだす。背中で乗ってきた砂上船がゆっくりと止まる気配が遠ざかる。ノジコは嵐の中でルナルを追いかけ走った。
「ルナルさん!? どうしてここに?」
「ルナルッ!」
 残骸の側には、オルカとミヅキの無事な姿があった。ルナルは二人の間に飛び込んで両者の首に抱きつくと、声をあげて泣き出した。見た目は子供な少女が、本当に子供に戻った素直な時間。おいおいと声をあげて泣くので、オルカはそっと彼女をミヅキに預けた。
「心配したんだから、お姉ちゃんっ! あたし、また一人ぼっちになっちゃうとこだったよぉ〜」
「ルナル……ごめんね、心配かけて」
「ジンオウガはやっつけたよ、あたし達が片付けた。みんなね、助けてくれて。でもサキネっちが――」
「サキネさんが?」
「ずっと目を覚まさないの。置いてきたけど……でもね、命に別状ないんよ。みんな無事……よかったよう!」
 ノジコはオルカと目線で挨拶を交わして、お互いの無事を祝いながら姉妹を見守った。
 同時に、周囲を見渡しオルカに声をひそめる。
「コウジンサイさんは? アズラエルさんも姿が見えません」
「龍撃船の沈没に巻き込まれて……今、捜索していたとこです。急に天気が悪くなって」
 そう言ってオルカは、仲間達の安否を気遣い残骸の山に登りはじめた。その後に続くノジコは意外な言葉を聞く。
「偉大な主を失って、この砂海も泣いているんだろうか」
「……意外ですね、オルカさん。なんか詩的というか、感傷的というか」
「や、あれだけの相手でしたからね。倒せたことが未だに信じられないですよ」
 既に龍撃船の甲板には砂が降り積もり、この荒れ狂う砂海は人の痕跡を飲み込むように降り積もってゆく。その狭間で砂まみれになりながら、仲間の名を呼びオルカは木材や合金製の部品を掻き分ける。
 ノジコも一緒になって、真の英雄達を探した。そう、ユクモ村を救った自分達が歴史に英雄として名を残すなら……その本人達が記憶に留めるだろう。記録に残らぬ救国の英雄を。そしてその四人が全員、無事であればと今は祈る。
 否、祈り願う前に、強請る前にそうあるはずと信じて最善を尽くす。
「オルカさん、何か音が……船首の方です」
「耳、いいですね。アウラさんみたいだ。そういえば最後、アズさんが龍撃槍を」
 二人は急いで、逆さまにひっくり返った船首へとよじ登る。
 微かに僅かに、しかし確かに聞こえる声へと耳を澄ませて。轟音を響かせ吹き抜ける風の中、二人は傾いで歪んだ扉を蹴破り、真逆になった船倉を解き放った。
 その時、互いの身を支えあいながら、二人の男が這い出てきた。
「……お疲れ様です、オルカ様。ノジコ様も。コウジンサイ様は無事です。さあ、帰りましょう」
「カカカッ! 助けに飛び込み、逆に助けられたわい。ん? どうした? 美人が台無しじゃなあ」
 ノジコは現れた二人の晴れ晴れとした、疲労困憊なのにいきいきと輝く笑顔に気付けば涙していた。歓喜の涙が止めどなく溢れて、咲き誇る笑顔に輝きを添える。
 いよいよ激しくなる嵐の中、近づいてくるアウラの船が姿を表し、英雄達は凱旋の為に集い船上の人となった。

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