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 人知れず国の脅威が去り、既に三日が経っていた。ユクモ村では今だジンオウガ討伐の活気が冷めやらず、その巨体を一目見ようと観光客達は次から次に訪れる。ゆえに解体は一向に進まず、工房前に鎮座するジンオウガの骸は新たな観光名所となっていた。
 だが、偉大な竜も命を失えば、あとはただ朽ちて腐るだけ。
「それじゃあ、解体を始めるニャア!」
「ささ、旦那さん。そろそろジンオウガも限界ニャン。ちょっと剥いで、残りはバラすニャ」
 大勢の見物人に歓声で迎えられて、ルナルがももまんに手を引かれて歩み出た。既に狩場で剥ぎ取りを終えていたが、これは観光客へのデモンストレーション、一種のショーだ。こういう時にルナルという少女は場慣れしていて、適度に客を煽って盛り上げながら剥ぎ取りナイフを突き立てる。巨大なジンオウガの背で、ルナルは剥ぎとった逆鱗を高々と天へ掲げていた。
 どこまでも広がる青空へと、客達の感嘆の声が響き渡る。
 人混みから離れてその様子を見ていたオルカは、全ての決着を感じて荷物を肩に担いだ。
「おう、オルカ。もう行くのか?」
「オルカ様、キヨ様特製のお弁当です。お持ちになってください」
 一人静かに村の門へ向かうオルカを、聞き慣れた声が呼び止める。呼び止めはするが、引き止めはしない仲間達に感謝してオルカは振り向いた。杖をつくキヨノブに寄り添い、アズラエルが包みを差し出してくる。
 旅装のオルカは、この村に来た時と同じユクモシリーズ一式に身を包んでいた。
「や、お弁当はありがたいな。今度はいつ、まともなものが食べられるやら……ありがとうございます」
 礼を言って頭を下げ、オルカは丁寧に受け取った包みを荷物へとしまう。
 今日、人知れずオルカはこの村を出る。既に防具や武器は処分したし、消耗品の類もあらかたゼニーに換金した。もっとも、そのゼニーを全てオルカは村に寄付してしまったが。これから先、ユクモ村は湯治客達でより一層栄えてゆくだろう。そして近い将来、ジンオウガを超える恐るべきモンスターをその豊かな土地に招いてしまうかもしれない。そうなった時、自分の稼いだゼニーが役にたてばと思う。
 財をなすべくモンスターハンターになる者は多いが、オルカは金銭にあまり頓着のない男だった。
「オルカ様、これからどうなさるおつもりですか?」
「国を出るよ。ユクモ村を発って冴津をあとに、シキ国を抜けて海を渡るつもりさ」
「では、故郷に」
「いや、まだ帰らない」
 オルカの荷物は、小さなズタ袋が一つだけだ。それを肩に背負って微笑むその表情は、もう少年を脱した大人の顔だった。
 アズラエルもまた「そうですか」とだけ零して、笑顔でオルカを見送る。それは長らく共に暮らすキヨノブですら驚く、心からの笑みだった。
 三人が別れを惜しんでいる間も、工房からは大きなどよめきと歓声があがる。
「ルナルさん、ノリノリだな。でも安心だよ。彼女ならこのユクモ村を任せられると思う」
「ええ。ミヅキ様やコウジンサイ様も一緒ですし。私達がいなくても大丈夫でしょう」
 アズラエルの意外な一言に、オルカは微笑む青年の端正な白い顔を見上げて、その隣で頷く男の顔を覗き見る。二人は互いに目線で頷き合うと、
「私達もユクモ村を出ます」
「ちょっとまあ、あれだ……俺がいちゃまずいんだよ、国としてはよ。だから、また旅に出らあ」
 後から知った話だが、キヨノブはやはりこの国の殿様の忘れ形見らしい。そして、城で若殿をやっているのは実は、キヨノブの腹違いの妹なのだとか。色々と複雑な事情もあったが、それでも多くの人間の尽力でこの国は平和な日常を謳歌している。とすれば恐らく、キヨノブが選べる道はそう多くはなかったのではないだろうか。
 だが、当の本人はさっぱりしたもので、特別感慨にふけるような素振りも見せない。
「つるこちゃん達は、ちゃんとドンドルマについたかねえ」
「ノジコ様も一緒ですし、大丈夫でしょう。彼女達とはいずれ会えるかもしれませんね」
 アウラは一足先に、古流観測所への報告があると言ってドンドルマへ帰っていった。王立学術院のノジコは、進んでその旅路に同行して、二人はもう夜明け前には村を出たという。それで昨夜は盛大な送別会があって、あまり酒には強くないらしくミヅキなどは酔いつぶれてしまったのだが。あれだけ飲んで騒いで歌って踊ったのに、ルナルは元気に観光客を前に啖呵を切っている。
 底知れぬ娘だと三人は笑いながら、そぞろに村の出口へと歩き出した。
「……一つだけ、たった一つだけ心残りというか、気になることがあるんですけどね」
「なんだい、オルカ。お前もかい?」
 この村で英雄として暮らすよりも、まだ見ぬ世界の広さへ飛び出したい。まだこの世界には、モンスターハンターを必要としている場所がきっとあるから。だが、そんなオルカが後ろ髪を引かれることが一つだけ。たった一つだけ。
「サキネ様のことですね?」
 アズラエルの言葉に頷き、コウジンサイの屋敷がある丘を振り向くオルカ。
 ジンオウガとの死闘を制してからずっと、サキネは眠り続けていた。医者の話では、身体の外傷は完治に近付いているし、おかしな場所はどこにもないという。だが、彼女は世にも珍しい竜人の希少種だ。人間とは似て異なるイキモノなのだ。
 まるで物語の眠り姫のように、サキネはあの日以来昏々と眠り続けているのだった。
「不思議ですね。私はなぜか、あの人がすぐにでも目を覚ますような、そんな気がします」
「俺もさ。きっとヒョッコリ目を覚まして、嫁婿候補が減ってると騒ぎ出すんだ。だろ?」
 アズラエルとキヨノブの言葉に、オルカも妙な実感が込み上げて頷き笑う。
 こうしている今も、あの見た目だけは流麗なガッカリ美人は、着の身着のままで追いかけてきそうだ。そうして居並ぶオルカ達を前に言うのだ。貴重な婿候補がどこへゆくのだ、と。その姿が手に取るように想像できて、三者が三様に笑みを堪えたその時だった。
 本当に三人の名を呼んで、賑やかな大通りを逆行してくる声があった。
「ま、まさか……」
「いえ、キヨ様。この声は――」
「ミヅキさん」
 現れたのは金色の髪を風に遊ばせ靡かせる、碧い目の少女だった。彼女は立ち止まって膝に手を当て呼吸を貪ると、大きく息を吸って乱れた巫女装束を手早く直した。そうして居住まいを正すと、大股でオルカ達へと歩いてくる。
 その大きな目はもう、今にも決壊しそうなほどに潤んで濡れていた。
「オルカさんっ! なにも言わずに出ていくなんて……どうしてですか?」
「や、これは、その……参ったな」
 困って頭を掻きながらも、オルカはつい嬉しさに足を止めてしまう。
 このユクモ村は居心地がよくて、よすぎるのだ。こうして共に村のために歩まんとする仲間がいて、広がる渓流にひそむモンスター達も顔ぶれは多彩だ。冴津の自然も豊かで、凍土や砂原にも近い立地は魅力的。ここがオルカには、モンスターハンターの楽園にすら思えるくらいだ。
 だが、だからこそ出てゆくのだ。
「昨日はノジコさんとアウラさんが……お二人はわかります、学者さんのお仕事があるってコウジンサイ様が」
「うん。あの二人はこれからも忙しいと思う。今度は机の上が狩場だね」
「でもっ、ちゃんとお別れ言えました。それなのに……オルカさん、どうして」
「ん、あのね、ミヅキさん。ちゃんとお別れをと思ったけど、早いほうがいいとも思ったんだよ」
 そう、オルカが旅立ちを決めたのは今朝だ。思い立ったが吉日、その日の内に資産は処分したし、最低限の装備に身を固めてギルドにも届出を出した。手伝ってくれたトウフとの別れも、辛かったがちゃんと済ませた。ギルドの窓口を務める村長は、不思議な顔をしたが快く次の土地を紹介してくれた。
 そうと決まれば、一刻も早くこの場所を旅立ちたかった。このユクモ村が嫌だからではない、逆だから。ここでオルカは、一人の新米ハンターとして多くのものを手に入れた。そのどれもが眩しくきらびやかで、一つ一つが大事な宝物だ。だが、その存在がオルカを縛り付けてしまう。この場所に溺れてしまうのだけは、オルカは絶対に避けたかったのだ。いつまでも前を、上を向いて進むモンスターハンターとして……ユクモ村が好きな人間の一人として、ユクモ村に甘えてはいけないと考えたのだ。
 オルカが全てを話すと、納得した様子のミヅキは目尻を指でそっと拭って言葉を続けた。
「でもっ、突然過ぎます。コウジンサイ様に聞いたら知ってたみたいで、黙って見送れって……でも」
「ミヅキちゃん、こういう時は笑って送り出してやんな。な? 俺達の時もそうしてくれよ」
「え? じゃ、じゃあキヨノブさんも? ってことは勿論――」
 アズラエルは無言で頷く。
 ますますミヅキは混乱した様子だが、キヨノブにはキヨノブの理由があると理解を示してくれた。勿論、その理由に付き合う覚悟があるとアズラエルのこともわかってくれる。
 それでも一抹の寂しさが少女の碧玉から光の雫を引きずり出していた。
「あのね、ミヅキさん。この村にハンターが五人以上は多過ぎると思うんだ」
「ええ。多過ぎるハンターの数は、この渓流の生態系を壊してしまいます。今まで考えたこともないのですが」
 照れくさそうにアズラエルもにこりとはにかむ。オルカも想いは同じだった。
「でも、せっかく皆さん居場所を見つけたのに……わたしがそうであるように」
「ミヅキさん」
「わたし、異人の混血だから村に馴染めなかった。でも、ようやくこのユクモ村の人間になれた気がするんです」
「それは違うぜ、ミヅキちゃん。ミヅキちゃんはちゃんと自分で自分の居場所を見つけたのさ」
 キヨノブはそっと手を伸べ、ミヅキのたおやかな金髪を撫でる。収穫の秋に実る稲穂のように、まばゆい光をたたえてミヅキの髪が輝いていた。優しくその髪を手で梳いて、キヨノブは若者に言葉を譲る。
「そうだよ、ミヅキさん。だからね、俺も探さなきゃいけない。自分で、自分の居場所を」
「ええ、探して見つからなければ……私達は自分で居場所を作らなければいけないと思います」
 例えそれがこの場所で許されても、自分達がモンスターハンターであることを忘れてはいけない。心地よくやすらいだ居場所でも、そこに共に生きる大自然がある限り……その一部であることを忘れてはいけないのだ。
「それに……いつでもまた会えるよ。きっと会える。ここはミヅキさん、君の村、ふるさとじゃないか」
「そうですよ、ミヅキ様。だから……またここであいましょう」
 頷くミヅキは、涙を溢れさせながらお日様のように微笑んだ。
 こうしてオルカは、まだみぬ新天地へ向けてユクモ村を後にした。続いて村を出る仲間、引き続き村に生きる仲間に見送られて。

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