三日三晩、日に三食。たらふく食べてたんと寝て。それでどうにか、サキネは動けるようになった。普段からハンターとして鍛えた膂力もあったが、何よりコウジンサイやチヨマルのお陰だった。  だから今、こうして初めてのユクモ村を出歩くまでに回復したのだ。 「旦那さん、大丈夫かニャ? 完治するまで療養してた方がいいと思うニャ〜」 「そういう訳にもいくまい、テムジン。命の恩人に礼を欠いては、一族の名折れだ」  いまだ包帯と絆創膏だらけの身を浴衣で包み、髪を結いながらユクモ村の大通りを歩くサキネ。周りも皆、外からの観光客や湯治客、同じ浴衣姿だ。左右にはずらりと、土産物屋が軒を連ねている。村の中心にあたる繁華街は今、正午を迎えて混雑していた。そんな中、ひっそりとモンスターハンターを相手にする店や行商、鍛冶屋が並ぶのが見える。  そして、サキネの目的地はすぐに見えてきた。  朱色の鳥居を照らす日差しに、サキネは手をかざして目を細めた。 「柳の社、か」  そっと名を呟いてみる。鳥居の中心に掲げられた、何かの古龍を象る紋様。自分達の里にもあったが、何かを祭った祠らしい。そこの巫女がハンターでもあり、サキネの第一の命の恩人との話だった。  鳥居をくぐって石畳に脚をかけた、その瞬間から周囲の空気が一変する。  まるで不可侵の聖域に踏み入れたかのように、空気が澄んで背後の音が遠ざかった。キョロキョロと落ち着かないテムジンを連れて、無言でサキネは長い階段を昇る。 「お、あなたさんは……もう動けるようになったんですかニャー?」  石造りの階段を登り切ると視界が開け、その中央に一匹のアイルーが立っていた。まるで宮司のように、袴を履いて箒を手にしている。サキネのことを知ってるらしく、柑橘色の毛並みは駆け寄ってきた。 「お前は……ふむ、私の恩人のオトモか」 「はいですニャ。ボクはレトロゲー、旦那さんの……ミヅキさんのオトモですニャ!」  ――ミヅキ。それがどうやら、サキネの命を救ってくれた者の名らしい。  その姿を求めて、サキネは境内の中へとさらに進んだ。レトロゲーが案内してくれるままに。 「しかし良かったですニャ。ハンターさん、オトモさん共に元気で。安心しましたニャ」 「レトロゲー、だったな。お前にも感謝を。ほらテムジン、礼を」 「ありがとですニャア。うちの旦那さんは時々無茶なので、今回は危機一髪だったニャン」  連帯感の強いアイルーらしく、オトモ同士すぐにテムジンとレトロゲーは打ち解けたようだった。社務所の横を通り過ぎるころにはもう、二匹のアイルーは仲良くあれこれとユクモ村のことや、この周辺のモンスターのことを語っている。  そんな中、テムジンが例のモンスターのことを……見慣れぬ鬼神の如き竜のことを口にすると、 「ニャ!? そ、それは多分、ジンオウガですニャア。ここ最近現れた、謎のモンスターですニャ」  レトロゲーはビリリとヒゲを震わせ、一転して深刻な顔でそう告げた。  ジンオウガ……その名を深く心に刻んだ時、サキネの視線は鮮やかな紅白の人影へと吸い込まれる。一人の少女が弓を手に、矢をつがえていた。真剣な横顔はまるで、精緻な人形のように美麗だ。そんな彼女が緊張感を漲らせて弦を引くと、自然とサキネも息を飲む。  その少女は静かに澄み渡った社の空気を、一度だけ揺らして矢を放った。  カンッ! と乾いた音が響いて、遠く離れた的に矢が突き立つ。それはただ、円形に輪を何重にも描いた練習用の的へ命中しただけではない。その中心を射抜いていた。それも、前に放った矢を割り、突き立っている。それが幾重にも重なり、的の中央に矢の残骸を山と積み上げているのだ。 「……見事なものだな。里でもあれほどの腕は見たことがない」 「ニャハハ、照れますニャア」 「旦那さんは、レトロゲーを褒めた訳じゃないニャ」  顔を洗いながら目を線にするレトロゲーを追い越し、サキネは件の少女に、この社の巫女に近付く。  相手もまたサキネに気づいて、張り詰めた空気を霧散させるや柔らかく微笑んだ。 「あら、あなたは先日の……もう動かれて大丈夫なんですか?」  蕾が綻ぶような笑みと共に、優しげでたおやかな声がサキネへ向けられる。気づけばサキネは、近寄るその歩調が足早になっていることに気づいた。  直感的に今、サキネの使命感が燃えていたのだった。 「まずは感謝を! ありがとう、ミヅキとやら。私はサキネ、よろしく頼む」 「は、はあ」  不意に詰め寄り手を握られ、少しだけミヅキは困惑したようだ。それを気にもとめず、社の射手を相手にサキネは矢継ぎ早に語りかけた。 「ミヅキ、歳は幾つだ? 私は年が明ければ二十になるが」 「え? 何を突然……ええと、数えで十七ですけど」 「十七! ふむ、問題ない!」  鼻息も荒く、気づけばサキネはミヅキの両肩に手をおいていた。自分よりも一回り小柄な、酷く華奢な身だ。同じハンターとは思えないが、ハンターには二種類存在する。すなわち、サキネのように重く巨大な近接戦闘用武器を用いる剣士と、遠距離用の武器……サキネが知る限りでは弓を使用する者だ。  ボウガンという武器のない世界から来たサキネは、弓使い故に細身でもハンターとして務まるミヅキを見て大きく頷く。……早くも優良物件を発見だと心に結んだ。 「あ、あの……サキネさん? わたしが何か……」 「うむ、気に入ったのだ。申し分ない。何か大きな病気をしたことはあるか? 持病は?」 「べ、別にないですけど……どうしたんですか? 竜人の方特有の挨拶か何かですか?」 「気にするな。そうか、ますますいい」  サキネは二つほど年下の少女をまじまじと眺め、その細い二の腕やら腰やらを撫でてみる。程よい肉付きの健康的な肉体が、紅白の巫女装束の下に隠れていた。メリハリのある起伏が、発育の良さを無言で語る。いやにベタベタと触っては質問を投げてくるサキネに、訝しげに思うのかミヅキは身体をくねらせ小首を傾げた。 「あの、サキネさん? ……助ける前に頭でも打ったのかな。あ、レトロゲー。この方――」 「よし! 満点だ! ミヅキ……うちの里に嫁に来ないか?」  ミヅキは足元に飛び込んできたレトロゲーと一緒に、ぽかんと口を開いて固まった。そのまま「は?」と気の抜けた声の二重奏。ただテムジンだけが、腕組みうんうんと頷いている。 「実はな、ミヅキ。お前のような健康的で、強い子を産めそうな嫁を探していたのだ」 「え、あ、あのっ、それは? わたし達、お会いしたばかりですけど……嫁? ……嫁ぇ!?」 「私は真面目な話をしている。私の里に来て、沢山丈夫な子を産んでほし――ああ」  不意にサキネは、戸惑いを隠せず頬を赤らめてる目の前の少女の、その誰もが目を見張るであろう身体的特徴に気づいた。それは里に招く嫁としては気にすることもないので、素直にそう告げてやる。 「異人……と言うのか? その、この国の外の人間のことを。気にすることはないぞ、ミヅキ」  ミヅキの髪は、黄金の秋を彷彿とさせる豪奢な金髪だった。陽の光に輝きたなびく様は、まるで稲穂の実りのよう。整った鼻梁の左右に並ぶ大きな瞳は、蒼穹を写しとったかのような空色だ。黒髪黒眼のサキネとは対照的……だから少ない知識を総動員して、確か異人はこうだとサキネは再度呟いた。  瞬間、サキネにされるがままでぽかんとしていたミヅキが肩を震わせる。 「……わたし、違います。わたしはっ、シキ国人ですっ!」 「お、おおう。うん、まあ、その、なんだ。私は構わんのだ、何人でも。子供を作れれば――」 「だいたい何ですか、会うなり突然っ! 失礼です! それが竜人さん達の礼儀ですか」 「何を怒ってるんだ、ミヅキ? レトロゲー、どうしたのだ、お前の主は」  プイとそっぽを向くや、ミヅキは怒りを込めた強い歩調で社務所の方へと歩き出した。追うに追えず、おろおろとサキネは手を宙に遊ばせる。  おかしい……何かが違う。何故? どうして?  里の長は言った、嫁か婿を連れてこいと。女は嫁、男は婿……共に心身健康であれば大歓迎だと。そうして外の血を入れねば、血族は途絶え里は滅びると。だからこうして、サキネが外の世界へと出てきたのだ。だが、実際に理想的な嫁を見つけたのに、それを招くのは酷く困難でサキネを驚かせた。 「食い扶持を心配してるのか? 何だ? おかしい。里をあげて歓迎するぞ、ミヅキ!」 「もうっ、知りません! 変な人……竜人ってみんなああなのかな」  慌てて追いかけようとするサキネは、浴衣の裾を不意に掴まれた。見下ろせば、レトロゲーが首をゆっくり横に振りながら「ハンターさん、やっちまったニャア」と溜息を零している。それに同調するように、テムジンもやれやれと肩をすくめた。 「何だ、テムジンまで……単刀直入過ぎたか? ミヅキは何を怒ってるんだ?」 「ハンターさん、ええと、サキネさん? うちの旦那さんに金髪碧眼の話はご法度ニャン」  レトロゲーの話では、このシキ国では黒髪黒眼が普通だと言うのだ。無論、それは竜人のサキネも里で知っている。チヨマルの如き、真っ白な髪で灼眼なのが病的に見えるくらいだ。そしてどうやら、見るも鮮やかな美しい髪と眼を、本人のミヅキはコンプレックスにしているらしかった。訳も解らず使命の困難さに、ただただサキネは首をひねるほかなかった。