白銀の大地に凍れる飛沫をあげて、凶暴な獰兎が襲い来る。その滑る鋭い切っ先の如き突撃を避けて、オルカは身を投げ出した。即座に固く凍てついた冷たさが全身を打って、体温をまた少し持ち去る。  ここは冴津最北の山岳地帯、凍土……一年中雪と氷に覆われた死の大地。ユクモ村から半日荷車に揺られるだけで、ハンター達は冴津のあらゆる場所に狩りへと赴くことができた。  もっとも、無事にユクモ村へと帰り着く者は自然と限られてくるが。 「くっ、攻撃のタイミングが掴めないっ! どうしても振り遅れる」  もともとスラッシュアクスは爆発力こそ高いものの、取り回しがいいとは言い難い武器だった。長柄の先端に取り付けられた刃は、複雑な変形機構もあって酷く重い。その重量バランスは武器としてお世辞にも良好とは言えず、むしろ劣悪の極みだった。  だが、それと引換に突出した攻撃力があることをオルカは忘れられない。  今はまだ強化もままならぬ未完成の武器だが、ふるさとより持ちだした一振りでもある。 「旦那さんっ、兎に角最初は相手の攻撃を見て覚えるニャ!」 「解ってるっ! 解ってるけど……この動き、速いっ」  続けざまに襲い来るウルクススは、その速度も相まってオルカには酷く巨大に見えた。今日初めて目にする獣なれば、どの程度の大きさが平均の目安なのかは解らないが。解ることはただ一つ、こうしている間にもホットドリンクの熱量が体から徐々にこそげ落ちて、体力までも削り取られてゆくということ。  かじかむ手を手で揉みながら、白い呼気を逃して再度オルカが氷の上を転がる。  その身を擦過するウルクススが視界の隅でターンする瞬間……オルカは陣笠を捨てて馳せる仲間の姿を見た。金切り声を響かせ身を翻したウルクススへと、白い肩も露な長身痩躯が吸い込まれてゆく。 「あっ、サキネさん! そこニャ、チェリオーッ! ニャッ!」 「だいたい見切った。そこっ! チェスッ……トォォォォォッ!」  相棒のトウフが逃げ惑う中、今日の狩りのパートナーが大剣を手に担ぐ。同時に踏み込む足が大地を掴んで、サキネは全身の筋肉をバネに刃を振りかぶり、 「――っう! はぁ、どうだっ? やったか?」  そのままウルクススの中心線を捉えるや、眉間に愛刀を振り落とした。巨大な質量の塊が断頭台の刃となって、長く伸びた耳を木っ端微塵に吹き飛ばす。同時に横転で身を逃したサキネが、再び背に竜骨の塊を背負い直した。  その間、僅か数瞬。刹那の瞬間にしかし、チャンスを繋ぎとめる声が響く。 「今ニャ! オルカさんダッシュ、ダッシュにゃ! 援護するから、まとめるニャ!」  即座に体が反応した。一時、寒さを忘れた。凍える我が身を燃やしてオルカが気迫を叫ぶ。そうして駆け出しウルクススに肉薄したのは、サキネのテムジンが小タル爆弾を絶妙な距離でスローインしたのと同時だった。  爆発音にウルクススが巨体をのけぞらせてその場で震え固まる。 「音に弱いのか? 耳、大きいもんなあ……兎に角っ、攻める!」  棒立ちになったウルクススへと、オルカは容赦なく抜刀の一撃を浴びせた。その刃の重さに持っていかれる身体を、四肢の筋肉で絞って呼び戻す。返す刀で逆に斬り上げ、さらに斬り落とす。斬撃の踏舞は徐々にリズムを速めて、無数の刃となって乱れ咲いた。  オルカはスタミナが切れるまで夢中で斧を振るった。返り血は乾く前に凍って、霜に覆われた防具を赤く飾っていった。その意識が体力の限界を告げた時、 「最後は任せろ、オルカッ!」  自然と背後の気配に道を譲って、オルカはスラッシュアクスを畳んで背負う。  同時に息が上がって、彼はその場に膝を、次いで手を突いた。背中でウルクススの断末魔を聞く。その哀切の念を滲ませた生への執念が途切れると、風音だけが耳に痛い凍土の寒さが戻ってきた。 「大丈夫か、オルカ。ほら、手を。急いで剥ぎ取るといい」 「ど、どうも。は、はは……」 「どうしたんだ? 防具の新調に使うのだろう? 急いだほうがいい、まだまだ天気は荒れるぞ」 「は、はいっ」  眼の前に伸べられた手は、舞い散る雪よりも白い。握ればひやりと冷たいが、力強くオルカを引っ張り上げてくれた。  オルカが防具を新調するにあたって、狩りに付き合ってくれたのが彼女、サキネだった。もっとも、彼女と形容していいかどうか微妙なところだが。こうして不思議そうにオルカを見下ろしている端正な細面は、間違いなく女性そのものだった。 「なんだ、私の顔に何かついてるか?」 「やあ、その……すみません、失礼ですけど。サキネさん、ちゃんとハンターなんですね」  どうもこの、少し世間からずれた竜人の女性を、オルカは少し侮っていたようだ。  サキネは結った蓬髪を揺らして笑うと、バシバシとオルカの肩を叩いてくる。 「当たり前だ、安心して婿に来い。毎日ちゃんと末永く養ってやるぞ!」 「や、それは、その……遠慮、します」  少し残念そうに鼻から溜息を零すサキネに、思わずオルカも笑みが溢れる。苦戦はしたものの、二人がかりで何とかウルクススは討伐できた。オルカとしてはジンオウガ討伐の前に、少しずつ防具を上質のものへと着替え、今使い込んでるスラッシュアクスを強化したいと思っていた。  今日のはその、最初の一歩。それにしてはなかなか上出来の狩果だ。もう少しウルクススの素材が必要になるだろうが、今日の狩りはいい戦訓になったし、動きや生態も掴めた。 「サキネさん、陣笠落ちたニャ。はいニャ!」 「ん、すまないトウフ。テムジンもご苦労だったな」 「これくらい朝飯前ニャン! 旦那さんもリハビリ順調そうニャ〜」  サキネはオルカ達ユクモ村の新顔ハンターとおそろいの陣笠をかぶり直すと、その下でクスリと笑みを零す。オルカは彼女の足元にじゃれつくもう一人の……もう一匹の恩人にも礼を言った。 「ありがとう、テムジン。お陰で斬り込むチャンスができたよ」 「お安い御用ニャン! こう見えても爆弾使わせたら、ちょっとしたもんニャよ」 「……それに比べてトウフ、お前ときたら」 「なっ、何ニャア? 旦那さん、ボクだって一生懸命狩ってるニャア」  オルカのオトモアイルー、トウフが猛抗議を全身でアピールしながら近づいてきた。その顔にはヒゲがビリビリと揺れている。 「そもそもボクの得意分野は笛と採取ニャ。その辺、忘れないで欲しいニャア」 「それは解ってるけどサ。その……笛、吹いてないよね」 「まあ、なんつーかニャア。まだ旦那さんと一緒に暮らして日も浅いし……気が乗らないニャ」 「……あ、そう。トホホ、道は険しいなあ。なかなか懐いてくれないんだよね」 「でもでも、今日は旦那さんのこと見なおしたニャ! 流石はボクの旦那さんニャン♪」  調子のいいもので、トウフは先程の怒り顔もどこへやら。満面の笑みでオルカの足元に八の字を書いて跳び回る。頭を撫でてやれば、オルカがウルクススに悪戦苦闘している間、トウフが採取した虫や鉱石が差し出された。  トウフはトウフなりに仕事をしていたと思えば、まずはよしと思うオルカだった。 「まあ、気長に躾けるんだな。経験を積ませて、笛や採取の方法も教え込むといい」 「ですね。あっ、あの、サキネさん」 「ん? 何だ?」 「サキネさんはその、テムジンとは長いんですか?」 「そうだな、私が初めて狩りに出て以来の仲だ。最初は私もオルカと同じような扱いだったぞ」  自分より年上の、長身のサキネがにこりと笑う。そういう笑顔は無邪気なもので、普段の深刻そうに固まった表情を一時オルカから忘れさせた。ともすればうっかり、婿でもいいかとも思いそうになる。だが、毎度のことながら思いとどまり、オルカは腰の剥ぎ取り用ナイフを手にした。 「そういえばサキネさん、防具や武器、どうします?」 「私はやはりこれ、骨製の武器の方が使いやすい。鉄は、その、どうも馴染まぬ」 「里の方ではなかったんですよね、鉄製品。じゃあ防具も」 「うん、農場の方で防具の素材を集めている。もうすぐ揃う予定だ」  サキネは今日のウルクススから剥ぎ取った素材は、売って資金にするという。そのまま家のボックスに貯蔵するもよし、武具の強化や調達に使うもよし……だが、間違いなく狩りはモンスターハンターの唯一にして絶対の生活手段だった。  気を改めてオルカは、今日の獲物にナイフを入れる。  課題は山積みだが、それを乗り越えるべくスタートを切った自分がどこか誇らしかった。