チヨマルが村一番の酒場、轟く遠雷亭へと顔を出したのは、御館様であるところのコウジンサイの使いだったが。ふと素朴な笛の音が、雑多な喧騒の中を縫うように耳へ飛び込んでくる。その元をたどるように首を巡らせれば、短く切りそろえた髪がパラリと広がった。  既に村ではお馴染みとなったモンスターハンター達が、めいめいに盃を手にくつろいでいるのが見えた。  伏せ目がちにオカリナを奏でる少女の隣で、向こうの一人もチヨマルを見つけ手をあげる。 「チヨマルではないか、こんな場所でどうした?」 「御館様の命で酒を買い付けに。サキネさんは今日はもう、お仕事はお済みですか?」  返事の代わりにサキネは、カランと氷の鳴るグラスを掲げて見せた。四人掛けの丸テーブルを囲んでいるのはまず彼女、白過ぎる肌をほのかに紅潮させたほろよいのサキネ。その隣で熱心に書物を読み耽るノジコと、武器の手入れに熱心なアズラエル。そしてオカリナを口にテーブルの隅に腰掛けたルナルだった。  どうやら今日はもう一狩り終えた様子で、他のメンバーは見当たらない。夕闇迫るもまだ陽の光は眩く、西日は穏やかに賑わう酒場を照らしていた。チヨマルは店の主人に注文を伝えると、サキネ達の輪に加わる。 「お疲れ様です、皆さん」 「あっ、チヨちゃん!」  オカリナが歌うのをやめるや、軽やかな声がポンとテーブルから飛び降りる。自分とそう違わない背丈の、酷く小柄な彼女は狩猟笛使いのルナルだ。  ルナルはチヨマルを頭から爪先までしげしげと眺めて、 「ふむ、耽美だねえ……そだよねえ、うんうん。アズにゃんといい、チヨちゃんといい」  ムフリと兎口に唇を緩めて、しまりのない笑みを浮かべた。  何の話かとチヨマルが首をひねると、愛用のランスから目線をあげずにアズラエルが教えてくれる。 「つまりルナル様はこういいたいのです。その、お稚児さん、というのがこの国にあるらしく」 「はあ、なるほど。確かにわたくしは御館様の、お稚児さんと言えばお稚児さんですが」  つい、何をいまさらという気持ちが顔に出てしまったらしい。それでも涼やかな微笑を湛えたチヨマルの言葉に、アズラエルは刃を研ぐ手を止めた。彼は端正な無表情から溜息を一つ零して、やや呆れたように再び手を動かす。  アズラエルを感嘆させた人物はしかし、好奇に瞳を輝かせていた。 「うわー、やっぱそなんだ! そっかそっかー、可愛いもんね! チヨちゃんもアズにゃんも」 「そ、その話やめませんか? あの……つ、つい想像してしまって」  何やら楽しげなルナルの言葉に、ノジコが頬を赤らめ本を机に立てる。その影で耳まで赤くなっているのは、何も酒が回っているからではない。彼女の恥らいももっともなことだが、ここシキ国の武家社会では普通のたしなみなので、別段チヨマルは気を悪くしたりはしなかった。  それともう一つ。  この美丈夫の異人、アズラエルがキヨノブのお稚児さんだという話は聞いていなかった。 「ふむ、しかしおかしい話だな。チヨマル」 「そうでしょうか、サキネさん」 「うむ……普通の人間はあれだ、男と男では子供が作れないのだろう? なのにどうして一緒になる必要があるのだ? 私としては同性で、というのは違和感がないが。そもそも性が二つある方に驚きだ」  極めて特殊な隠れ里から出てきたせいか、相変わらずサキネの価値観は子作り第一だ。真面目な顔でストレートに語るので、ますますノジコが頬を朱に染める。同時にルナルがニシシと笑う声。 「そう言われましても、一種のしきたりのようなものですし」  もっとも、そうした風習がなければ今頃、チヨマルは生きてはいないかもしれないのだ。病弱な身体に生まれた彼は、コウジンサイが引き取っていなければ社会的に抹消されていたかもしれない。それを思えば、身の回りの世話をして仕えることは、恩返しとも言えた。  いい機会だから説明をとも思ったが、僅かに玲瓏な細面を翳らせるアズラエルを見て、 「それより皆様、村長から緊急クエストが出ておりましたが」  それとなく話題を変えた。同時に、店の主人が担いできた酒の樽が隣にゴトリと置かれる。他にも肉や魚等、細々としたものを受け取りながらチヨマルは言葉を続けた。 「渓流に最近、クルペッコが出るそうです」  四人が四人、全員声を揃えて「クルペッコ?」と聞き返してきた。 「怪鳥の一種なのですが――」 「はっ、初めて聞くモンスターですっ! 怪鳥ですか……詳しいお話、聞けますか?」  先程とはうって変わって、ノジコが身を乗り出してきた。その双眸には今、探究心が静かに燃えていた。アズラエルも武器を寄せると、腕組み話を聞く体制で椅子に背を預ける。 「御館様の話では、随分と特殊な生態のモンスターらしいですよ」 「そうなんですかあ……怪鳥。イャンクックみたいなもんかなあ」  今まで読んでた本をパタリと閉じると、ノジコがブツブツ呟きながら顎に指あて天井を仰ぐ。彼女が脳裏に描くクルペッコとははたして? 実物は見たことがないので、チヨマルとしても多くは語れないが。だが、相当に厄介だとは話に聞いている。故に村長は緊急クエストとして狩猟を依頼してきたのだ。 「クック先生クラスなら楽勝じゃん? あたし達、防具も新調したんだし……アズにゃん以外」 「私は特に困らないので。素材があっても新調にはお金が掛かりますし」  そういえば、キヨノブと暮らすアズラエルは、コウジンサイからの金銭的援助をやんわりと断っている。それはキヨノブも同じ想いらしく、二人を匿い世話をみるよう言われてるチヨマル達からすると、それはそれで困るのだが。この国の若様(元)のそういうところも嫌いではないし、献身的かつ実際的なアズラエルの暮らしぶり、仕えぶりは似たもの同士で好意すら感じる。  ふとチヨマルは一瞬、長身痩躯の引き締まった肉体を持つアズラエルが羨ましく思えた。  自由に野山を駆け回り、自在に五体を躍動させるのは、どれほど気持ちいいだろう? それも想像の域を出ないし、チヨマルには欲しても得られぬもの。彼の身体は酷く華奢な矮躯で、あらゆる彩りから拒まれたように病的な白さに染まっていたから。 「クック先生というのは知らないが、クルペッコは割と面倒な相手だぞ?」 「サキネさんっ、知ってるのですか?」 「うん。何度か狩ったことがある。防具を過信すると痛い目を見る獲物だな」  うんうんと頷くサキネは、ヴァイクシリーズを着込んでいる。地道に農園でオトモのテムジンに魚を釣らせた結果だ。ルナルは店売りのハンターシリーズを着ていたし、ノジコはフロギィシリーズを身に付けている。アズラエルだけがまだ、支給されたままのユクモシリーズだった。 「余裕が出てきたら是非、村長の依頼を受けてくださいませ。ではわたくしはこれで」  既に狩人の目付きになった四人を見渡し、チヨマルは酒の樽を両手に抱えた。しかしこれが、小樽程の大きさなのだが嫌に重い。普通の健康的な男子ならいざしらず、チヨマルには重過ぎた。思わずよろけてしまい、伸べられたサキネの手に支えられる。  狩衣の下の細い腕は、悲しいほどに非力だった。  もっともチヨマルは、自分の貧相な肉体を悲観したことはないが。悲観はしないが、時々他者がうらやましくなることはある。 「どれチヨマル、私が持ってやろう。屋敷までだな?」 「いえ、サキネさん。わたくしは大丈夫ですので」 「遠慮をするな、お前には借りもある」  サキネはチヨマルが両腕でも持て余す樽を、ひょいと片手で小脇に抱えてしまう。  厚意に甘える形で、チヨマルは他のハンター達にも丁寧に挨拶をして別れた。 「じゃーねっ、チヨちゃん! またこんど〜」 「コウジンサイ様にも宜しくお伝えください」 「緊急クエストのお話、ありがとうございました」  三者三様の言葉があがるや、再びルナルのオカリナが音楽を響かせ始める。先程同様のそれは、チヨマルにはどこかで聴いたことがあるような気がした。そう、どこかで……この村のどこかで。  すぐには思い出せなかったが、ルナルの奏でる音色は確かにチヨマルの記憶にあった。 「はて……わたくし、この曲はどこかで」 「どうした? チヨマル、行くぞ」 「ええ、ではお言葉に甘えまする」  チヨマルは自分を見下ろすサキネを連れて、村人達の憩いの場を後にした。  穏やかで素朴な、それでいて郷愁を誘う旋律はいつまでも耳に残り続けた。