陸の女王、渓流に君臨す。  即座にユクモ村の村長は緊急クエストを発布したが、受領する者は一人もいなかった。……今は、まだ。 「大タルいっちょー、もういっちょー♪」 「ルナル、急いで! ――来るっ!」  熱砂の大地にモンスターハンター達の汗が染み込んでゆく。ここは砂原、国境に広がる砂海の入り口。オルカは双子にも似た姉妹を横目に、背負った大タル爆弾をそっと置く。僅かな衝撃でも炸裂する火薬の塊が、その確かな重みが肩から離れた。  動揺にオルカのすぐ後で、アズラエルが一際大きな大タル爆弾を設置する。 「こちらは準備完了です、オルカ様」 「こっちも! ミヅキさん、そっちはどうですか!」  張り上げるオルカの声を切り裂いて、獰猛な敵意が砂の下を通過する。  揺れる足場によろめきながらも、オルカは背中でミヅキの声を聞いた。 「爆弾、置きました! 誘導します、風上へ!」  オルカ達は新たな狩猟の場、砂原へと足を踏み入れていた。全てはリオレイア討伐の為。今はただ自らを磨き、武具を鍛える。その為の鍛錬でもあり、生活としての狩り。それは同時に、新たな素材をもたらしさらなる狩りの高みへとハンターをいざなう。  急がば回れ、というキヨノブの言葉をオルカは思い出していた。 「うひゃー、来た来たっ! オルカっち! アズにゃん! お姉ちゃんも……それ、にっげろー!」  脱兎のごとくルナルが、続いて弓を畳んでミヅキが走ってくる。その向かう先へ、風の吹く地平線の彼方を目指して。オルカもアズラエルと一緒に駈け出した。たちまち爛れた空気が肺腑に雪崩込んでくる。浅く荒い呼吸が、全身の酸素を搾り出してたちまち乳酸に化学変化する。  オルカはそれでも、すぐ背後に迫る巨大な顎門から逃れるべく走った。  そう、走った……遮二無二に全力で疾走、たちまち脳裏が真っ白に染まり思考が薄れてゆく。歯を食いしばってひたすらに走るオルカの背後で、轟く咆哮が蒼空に吸い込まれた。  同時に、大量の砂が弾けて舞い上がる音を聞く。次の瞬間、身を投げ出して地面に突っ伏していたオルカを、砂の雨が襲った。 「大丈夫ですか、オルカ様。ミヅキ様も、ルナル様も」 「ふええ、口ん中ザラザラする……それよりっ、爆弾は?」  アズラエルの手を借り飛び起きるや、肩越しにオルカも振り返る。プラチナ色で灼熱の日光を反射する砂の上から、綺麗サッパリ爆弾がなくなっていた。  アズラエルが抜槍に身構え腰を落とせば、ミヅキもルナルも背の武器を手に取る。  オルカもスラッシュアクスを展開するや、ふと先日コウジンサイが言っていた一言を思い出した。あれは確か、細々とした素材が欲しくて採取に出かけ、その後の集会浴場での同席だった。老練なる手練のハンターが言うには、 「待ってみんな。たしかハプルボッカは……釣竿、持ってる? ――五、四……もうすぐだ」 「釣竿、ですか? ないこともないですが。しかしオルカ様、釣竿を何に?」 「あっ、私聞いたことあります。コウジンサイ様が以前……二、一っ! 出てきますっ!」 「たーまやーっ!」  視界の隅で砂丘が爆ぜた。  突如として轟音を響かせ、ハプルボッカがその巨体を顕にする。何でも貪欲に飲み込むモンスターの習性を利用し、こうしてタル爆弾等で引きずりだして戦うのが常套手段、言わばハプルボッカ狩りのセオリーだった。だが、そこからさらにちょっとしたコツがあるのをオルカは思い出していた。  武器をしまうや背の荷物をガチャガチャ鳴らして、オルカは手で釣竿を探しながら走る。  真っ先に彼の真意に気付いたのはミヅキで、一歩速く潜口竜へと糸を投擲する。 「こいつ、釣れますアズラエルさん! ルナルも!」 「えっ……ええー!? だってオルカっち、このデカさだよ!? つ、釣れるの?」  驚き大きな瞳を丸くするルナルを他所に、オルカも大きく口を開けた洞の中へ竿を振る。たちまち竿はしなって糸が張り詰め、オルカはずぶずぶと足元が沈む感覚に奥歯を噛んだ。ミヅキが苦しげに呻きながら「ルナルも、アズラエルさんも、はや、く……」と零す。華奢な彼女の身はもう、腰元まで砂に飲み込まれつつあった。  爆弾で目を回したハプルボッカは鈍い動きでもがきながらも徐々に活発になってゆく。 「では、釣ってみましょう。常日頃から持ち歩くものですね、釣竿も」 「ア、アズにゃん!? う、嘘でしょ、またまたあ……つ、釣るの? うーん、よーし!」  アズラエルやルナルが続くと、一気にオルカが握る竿の負荷が軽くなった。同時に手応えを増して、ぐいぐいと砂の渦へと飲み込むようにオルカを引っ張ってくる。必死で抗いながらも、応力の限界ギリギリで弓なりの竿を、オルカは必死で持ち上げた。  ――鍛えよ我が身を、己の肉体を。鋼の意思で磨いた肉体に、勇気と知性を宿らせ自然に挑め。  オルカは薄れ行く意識の中、遠い昔に歳の離れた兄がモンスターハンターのなんたるかを語っていたのを思い出す。それは国を、地域を違えようとも同じ。大自然の中で生きるモンスターハンターが、今日を生き延び明日をも生き抜く為の術。唯一にして絶対の理……その為の労を惜しむ人間は、決して長生きできない。 「んぎぎぎ、ぐっ! こんのお……」 「オルカ様、あと少しです。さあ、頑張りましょう」 「ふぎー! アズにゃん、どうしてっ! こんな時も、冷静、かっ、なぁっ!」 「もう少し……皆さん、武器の準備を。ハプルっ、飛び出て来ますっ!」  不意にオルカは手元の感覚が喪失して、今まで自身を飲み込まんとしていた力が消え失せるのを感じた。同時に、全てを飲み込む潜口竜が天高く空の太陽を隠してしまう。雲ひとつ無い青空を覆って、宙に舞う巨体をオルカは呆然と見上げていた。 「オルカ様、釣れましたね……チャンスです」  ふとアズラエルの声に我に返ったのは、巨大な砂の柱が目の前に屹立したのと同時だった。重力の頚城につかまり自由落下したハプルボッカは、その巨体を裏返しにしてもがいていた。  ハプル狩りはワンチャンス・ワントライ。この機を逃せば日が暮れるまで、砂の海を泳ぐハプルボッカを追いかけるだけの徒労で終わる。もう既に換えの大タル爆弾もない。御老体が言う通り釣り上げてみれば、普段にも増してハプルボッカは隙を晒していた。 「やっちゃえアズにゃん! オルカっちも!」 「援護しますっ! ……もう、砂の中には帰しませんっ!」  総身を震わす狩猟笛の音色に、不思議と身体が熱くなる。オルカが武器を手に踏み込めば、スラッシュアクスの軌跡をなぞるように矢が突き立った。オルカは夢中で刃を振るう。色鮮やかな体液を傷口から振りまきながら、怖気が走る絶叫でハプルボッカが哭く。  構わずオルカは、全身をバネに反動をつけてより強く、より疾く斧を突き立てる。  消耗してゆくスタミナとは裏腹に、オルカの意識は鋭く研ぎ澄まされていった。 「みんな、離れてっ! 圧縮率、いけるな?」  一際大きく突き立てた一撃が、皮を裂き甲殻を叩き割る。そのままオルカは、ハプルボッカにめり込んだスラッシュアクスを変形させると同時に、装填されている瓶の中に圧縮された属性を開放した。  ビリビリと小刻みに揺れながら、刀身を形成する変形した刃が震えて光る。  限界まで圧縮された気化劇薬が炸裂して、それが断末魔の呼び水となった。ハプルボッカはブルリ震えてのた打ち回ると、それっきり動かなくなってしまった。ただ風が砂を撫でる音だけがサラサラと響く、耳に痛い静寂が四人を包む。 「ふいーっ、終わったー! これでええと、後は……」 「行ってないのは孤島、ですね。あとは火山と」  オルカは狩りを無事終えた反動から脱力して、その場にストンと腰を落とした。そんな彼の元に、投げ出した釣竿を拾ってミヅキが近付いてくる。 「お疲れ様です、オルカさん。ハプルが釣れるって、よくご存知でしたね」 「いやあ、前にコウジンサイさんがお風呂で教えてくれて。でも、聞くとやるとじゃ大違いだ」  眼の前に横たわる巨大な躯を前に、オルカは苦笑しつつ釣竿を受け取った。  これでようやく半分と少し……モンスターハンターが狩りの場とする、ユクモ村周辺の大自然の、まだ僅かに半分を踏破したに過ぎない。また、同じ砂原でも夜に訪れれば、違った顔をのぞかせるだろう。灼熱地獄はたちまち煉獄へと早変わりだ。  オルカはそれでも取り敢えずは狩果に満足し、差し出されたミヅキの手をとって立ち上がった。