「コウジンサイ様。わたしがあの緊急クエスト、受けてみようと思うんですけど」  湯煙漂う集会浴場。決意を述べるミヅキの目の前には、岩のような背中があった。ご老体の背は戦傷だらけで、老いて尚筋肉で盛り上がっている。せっせとその背を流しながら、ミヅキは禿げ上がった頭を見上げた。  肩越しに振り向くコウジンサイは、一言「ふむ」と言ってミヅキを見詰める。 「ならばミヅキよ、四人で行くことだ。装備や道具の準備も怠ってはならん」 「は、はいっ! ……あの、因みにコウジンサイ様は」 「カカカッ! ワシはもう半分隠居の身ぞ? あたら若人の手柄を取ってはいかん」 「はあ……そういうものなのですか?」 「そういうものじゃ」  ユクモ村に生まれユクモ村に育ったミヅキは、密かにこの巨漢の老人を尊敬していた。ミヅキが幼い頃にひょっこり村に居着いたコウジンサイは、詳しくは知らないが武家の男らしい。らしいのだが、ミヅキにとっては頼れる村のモンスターハンターだった。  それに、金髪碧眼という奇異な自分をよく可愛がり、亡き母の面倒もみてくれた恩がある。  ミヅキは今でも、長大な野太刀を背に狩りへ出向くコウジンサイを覚えている。村人達に混じって見送った、幼き頃の思い出。きっとそれがあるから、自分は狩人として弓を手に取ったのだとも。 「リオレイアというのは雌の火竜じゃ。その力は侮れん……渓流に現れるのは何年ぶりかのう」 「村の道具屋に火竜の書がありました。もう目は通しているんですが――」 「よき心がけぞ? が、読み書きであれが解るものでもあるまい」 「はい、でもっ! でも、やれることは全てやって挑みたいのです」  せっせと手を動かしながらも、ミヅキの語句が強まる。  ミヅキならずとも皆、ユクモ村に集ったハンター達は日々忙しく働いていた。急がば回れという言葉もある。今だリオレイアの狩猟を請け負う者は現れないが、日々狩りに勤しみ心身を鍛える仲間達が、何を目指しているかは一目瞭然だった。  だからこそ、この村で育った自分がとミヅキは気負い意気込む。 「まあ、運が良ければアイルー達が運んでくれよう。当たって砕けるもまた一興」  それが若さの特権だとコウジンサイは笑う。だが、ミヅキは挑むからには必勝を期したかった。柳の社の巫女として、また、この村で育ったこの村のモンスターハンターとして。外様の力を借りるは良し、仲間達は皆信頼できる者ばかりだが。やはりやるのは自分でなければと心に結ぶ。 「ミヅキは砕けませんっ! わたし、決めてるんです。必ずリオレイアはわたしが――」 「そうカチコチに強張ってもいかんのう! カッカッカ、若い若い!」  一笑に付すコウジンサイに頬を膨らませながらも、ミヅキは手桶の湯を背に浴びせる。  脱衣所から大小二つの人影が現れたのは、そんな折だった。 「あっ、お姉ちゃんだ! おじーちゃんも! やっほー」 「こらこら、風呂は走るものではない。ふふ、やはり子供だな」  ぽてぽてと駆けてくるのはルナルで、その背後で笑っているのはサキネだ。どうやら二人は狩りから戻ったばかりらしく、その汗を流すべく集会浴場を訪れたらしい。  ミヅキが振り返って立ち上がると、コウジンサイもまた巨体を揺すって身を起こす。 「ルナルッ、ほら危ないから。転ぶよ? そんなに慌てなくても」 「えへへ、聞いて聞いてお姉ちゃん! おじーちゃんもっ! サキネっちがねえ」  ルナルはミヅキとは同年代なのだが、その容姿は酷く幼い。そして見た目同様に中身もまた幼かった。黄色い声をあげて姉の前で、今日の出来事を弾んだ声で喋りだす。  遠くドンドルマから自分を訪ねてきてくれた、腹違いの妹……ルナル。ミヅキは彼女と会って以来振り回されっぱなしだが、不思議と嫌いになれない。むしろ目が離せない、世話を焼かずにはいられない魅力を感じていた。何より、母を亡くして天涯孤独だった自分に、血の繋がった妹が嬉しい。たとえ半分だけでも。 「こう、剣の腹でゴン! ってボルボロスを殴ったらね、なんか目ぇ回したみたいで」 「あれはルナルが頭部に攻撃を集中してたからだな。たまたまに過ぎんよ」  後から現れたサキネは、肩を竦めてクスリと笑う。  モンスターハンターが扱う武具は多岐に渡るが、一部の鈍器は非常に珍重されていた。重い打撃はモンスターのスタミナを奪うし、頭部に一撃を絞ればいかな飛竜とて昏倒する。ルナルの狩猟笛もそうだが、サキネが愛用する大剣もそうした性質を持っていた。 「でね、でねっ! 倒れたボルボロスをぼっこぼこにして、捕獲してきたんだよ〜」 「ボルボロス……えっと、砂原だっけ。そういえば依頼が出てたような」 「ふっふっふ、お姉ちゃんっ! ハンターたるもの、素材が欲しくなくてもお仕事だよ!」  ルナルは腰に手を当て、そこだけは一人前以上な胸を張る。 「まあ、ルナルは報酬金目当てだったがな。素材も全部売っているのを私は見たぞ」  サキネの一言にミヅキは、そんなことだろうと肩を落とした。妹のルナルは、自分とは半分血が繋がってるとは思えないほどに性格が違う。浪費家でだらしなく、几帳面で生真面目な自分とは大違いだ。だが、モンスターハンターとしてのキャリアは長く、腕が立つ。それは、扱いが難しいとされる狩猟笛を使いこなしていることからも知れる事実だった。  大事な仲間であると同時に、唯一の家族……だが、このユクモ村で狩りに出るということは、関わる全ての人と家族になるようなもの。もっともミヅキは、 「で、ミヅキ。この間の話は考えてくれたか?」 「サキネさんっ! わたし、お嫁さんになんかなりませんったら! もうっ」  まだ身を固めるつもりはなかったし、初恋もまだなのだ。子を設けるなんてもってのほかである。  相変わらずサキネはそんなミヅキにも、飽きもせず言い寄ってくるのだ。それは不快なことではないのだが、あまりに熱心なのでミヅキは困惑する。同時に、そんなサキネがオルカやアズラエル等、他のものにも男女問わず声をかけてるのが面白くない。  我ながら勝手なことだとミヅキは苦笑を零す。 「ううむ……ミヅキのような嫁ならば、強い子を沢山産ませられるのだがな」 「そっ、そそ、そんな、困りますってば。もう、サキネさん? そもそも結婚というのはですね」 「私の村にはそういう概念がないのだ。まあ、返事は気長に待つぞ?」 「……待たれても困ります、わたし」  いつものやり取りを終えるや、ルナルが話に割り込んだ。 「サキネっち、お姉ちゃんは渡さないもんね! お姉ちゃんがお嫁に行くくらいなら――」 「ん? なんだルナル、それは無理だぞ。子供に子供を産めというのは」 「あーっ! またあたしのこと、子供扱いした」 「扱いもなにも、子供だからな」  そうなのだ、ルナルは体の起伏こそ大人びているが、その矮躯は酷く幼く見える。両手を振り回してサキネに向かっていき、述べられた長い手で頭を抑えられる姿など、まるで大人と子供だ。  だが、そんなルナルは現実には―― 「悔しいけど一人前なのよね……」 「ん? なぁに? お姉ちゃん」 「ルナルは腕は確かだって話。そうだ、ねえルナル?」  湯船につかったコウジンサイが見守る中、その彼の言葉を思い出してミヅキは妹に問う。 「緊急クエスト、ルナルはどうするの?」 「あ、リオレイア? まっかしてよ、ドンドルマじゃ何頭も狩ったことあるもん」 「そ、そうなんだ。じゃあ……一緒に来る? わたし、受注するよ。あのクエスト」  瞬間、ルナルの顔に笑顔が咲いた。彼女は満面の笑みでミヅキに抱きついてくる。 「うんっ! あたし行く、お姉ちゃんとならクシャルでもテオでも何でも行くよっ!」 「そ、そう? あ、あの……ありがと。うん、ありがとう」  ミヅキは他にも、この村のハンター仲間には全員声をかけてみるつもりだ。  雌伏の時は今、終わりを告げつつあった。 「ふむ、ミヅキはリオレイアに挑むのだな? よし、ならば私も同行しよう」 「サキネっち、お姉ちゃんにいいとこ見せようと思ってるっしょ!」 「当然だ。嫁候補の身は守らねばならんし、私の手並みを見れば考えも改まるだろう」  勝手な言い分だが、大剣の扱いに慣れた剣士の存在はありがたい。  半ば強引にサキネが加わって、これで三人……あと一人。あと一人仲間を誘って、ミヅキは渓流に陣取る陸の女王に挑む気でいた。