竜后の亡骸へと、翼は風をまとって舞い降りた。  吹き荒れる空気の濁流が風圧となって襲い、思わずサキネはよろけて後ずさる。その瞳は今、緋色と黒に彩られた大空の王者を映して瞬きを忘れていた。 「まあ、雌がいればつがいの雄がいるのも道理ですね」  嫌に冷静なのはアズラエルだ。吹き荒ぶ風の中、盾を拾って身構える。  既に先ほどのうろたえた様子もなく、血潮を燃やして躍動したその余韻すら感じない。瞬く間にアズラエルは普段の怜悧な表情を取り戻していた。その機械然とした無感情な鉄面皮はしかし、奥底に熱い情熱と譲れぬ願いを秘めている……それがもう、サキネには解る。 「あれが雄の火竜か……猛々しいな。もう一戦交える余力があるかどうか」 「狩猟環境が不安定だったのも祟りましたね。私は大丈夫ですが、どういたしましょう?」  極稀に、狩場の生態系が不安定な時期や場所がある。そういった狩場では、予期せぬ大型モンスターの生息が確認されることが多かった。そして今日のリオレイアが居座る渓流もまた、その例に漏れず雄火竜の乱入に震えている。  サキネは呼吸を落ち着かせつつ、目の前で翼をたたむ火竜に目を細める。  雄々しく気高い、竜の中の竜……リオレウス。その身は首をかがめて、沈黙しているリオレイアの巨体へと鼻先を擦りつけている。恐らく、つがいの片割れなのだろう。別れを惜しむかのように、リオレウスは人間達モンスターハンターの存在もそっちのけで、僅かに鼻を鳴らしてグルルと唸った。 「獣にも、飛竜にもやはり情というのがあるのだろうか?」 「あると言う人もいますね」 「アズラエルはどう思う?」 「トカゲ風情にはせいぜい、生殖相手が喪失したという本能的なものが精々でしょう」 「手厳しいな。だが、私にも解るぞ。子供が作れなくなると悲しいからな」  アズラエルは懐のポーチから携帯食料を取り出し、そのパサつく乾いた乾燥食品を口に運んでいる。食事に一時の安らぎを求めるという風情はない。ただ事務的に、淡々と己のスタミナを回復させる作業に勤しんでいる。  サキネもまた腰を降ろすとポーチより砥石を取り出し、刃こぼれの激しい大剣を研ぎ始める。  立て続けに雌火竜の猛撃を防いだ骨の剣は、砥石程度ではその斬れ味が復活することはなかった。新たに素材を調達して強化するか、新調したほうが早そうだ。 「……やはり、悲しいのでしょうか。その、子孫を残せぬというのは」 「うん、悲しいぞ。私の里では赤子は皆、石になって生まれる。ここ最近、ずっとだ」 「血を残すというのは生命の根源的な本能ですが。……人間も、そうでしょうか」 「それはそうだな。だからアズラエル、お前みたいな、うん、男? と私は子作りしたいのだ」  自分でもくどい話だと思うが、サキネには焦りもある。こうしている今も、里では子供は死にながら生まれ、孕む若者も減っているのだ。竜人族の希少種であるサキネ達は今、種の断絶という危機に瀕していた。それもひとえに、種の限界……血の限界。近しい血族同士で子をなしてきた代償である。  二人の独白をやり取りするような会話は、突如咆哮によって引き裂かれた。  リオレウスはハンター達の剥ぎ取りを拒むように、リオレイアの骸の前で翼を広げた。 「どうやら逃がしては貰えないようですね」 「ん、そうだな。どれ、もう一当してみるか。……今度はやれるな? ミヅキ!」  サキネが振り返る先に、茂みを抜け出た一組の少女達が立っていた。その片方、金髪碧眼の美少女が弓を展開して矢筒を鳴らす。 「お待たせしました、サキネさん! アズラエルさんも。ご迷惑を……もう大丈夫です!」 「アズにゃん、サキネっちとよろしくやってた? むふふ、これ貸しにしとくね、サキネっち」  怒りに燃え滾るリオレウスを前にしても、ルナルのゆるんだ空気はいささかもぶれない。にやにやと兎口に唇をひきしめ、大きな瞳のまなじりを下げる。同時に彼女は、背負った狩猟笛を振り回して空気を拾い、音色に変えて息吹を吹き込んだ。  たちまちサキネの全身が燃えるように熱く、血が滾って煮えたようににらぐ。 「ありがたい! 借りておくぞ、ルナル」 「むふふ、貸しは身体で返してくれてもいいよう?」 「子供がそんなことを言うものではない」 「むぐっ、また子供扱いしたっ!」  サキネが背後のルナルと言葉を交わしている間にも、アズラエルとミヅキは左右に散って武器を構える。リオレウス包囲網はあっという間にその中心に獲物を捉え、輪をじりじりと狭めはじめた。  だが、ハンター達が圧するプレッシャーを跳ね除けるように、リオレウスは宙に舞う。 「射落としますっ! そこを皆さんで! ……もう迷わない、決めたからっ」  ミヅキの弓が弦を揺らした。  静かに空気を揺らして、放たれた矢がリオレウスに吸い込まれてゆく。その正確無比な射撃に対する応射は、リオレイアと比べて遜色ない灼熱の火球だった。アズラエルは盾でガードし、サキネはルナルをかばって一緒に身を宙に躍らせる。  ずさりと腹ばいに地面を転がりながら、サキネは背負う大剣の柄を握った。 「アズラエル、この中でこいつの狩猟経験があるのはお前だけだ! 頼りにするぞ!」 「ちょっとサキネっち、あたしもドンドルマで嫌ってほど狩ったんですけどー!」  だが、ここは異郷の地シキ国。リオレイアがそうであるように、リオレウスもまたほかの地方とは挙動が違った。 「……降りてこないね」 「ですね。射落とされるのを待ってもいいですが」  安全な位置で狩猟笛を振り回すルナルに、アズラエルが静かに応える。先程からリオレウスは中空に座して羽ばたき風を呼びながら、苛烈なブレスでサキネ達を追い散らしていた。ミヅキの矢は命中こそするものの、その大半が硬い甲殻に弾かれてしまう。  まさしく王の貫禄、狩場を支配しているのは上を取ったリオレウスだった。  サキネ達はただ、吹き荒れる暴風に身を遊ばれながら、地を這いずりまわって逃げ惑う。 「……降りてこないね」 「それは先程も聞きました。やはり弓では決定打に欠けますし」 「もっ、アズにゃん? お姉ちゃんだって頑張ってるじゃん、ここはセオリー通り」 「あれを使いましょうか? ちょうど支給されたものを私が持ってますので」  アズラエルの目配せに応じて、サキネは目線を下げて視界を狭くした。恐らくミヅキやルナルもそうしているだろう。これから炸裂する閃光玉に目を焼かれぬよう、阿吽の呼吸で身構える。  瞬間、アズラエルの手を離れた閃光玉がリオレウスの鼻先で炸裂した。轟く絶叫。 「っしゃーい、いてまえヤロードモー!」 「……どこであゆ言葉覚えてくるんだろ。兎に角っ、速攻! ここで押し切りますっ」  気勢をあげて走るルナルの背を、サキネも見を低く追う。既にアズラエルは脱槍しており、その穂先を揺れる尾へ突き立てていた。目を回したリオレウスは地べたに落ちてあがいており、その頭部へとミヅキの矢が殺到する。続いてルナルがふりかぶる鈍器の一撃。 「どーだっ! 頭カチ割ったろばい? サキネっち、今だよっ」 「サキネさん、チャンスです。トドメをっ!」 「サキネ様、一点突破……後ろは私が」  仲間の声が脳裏を通り過ぎる。  一陣の風となって疾く疾く馳せるサキネは、その突進力そのままに背中の大剣を振りかぶった。身体で当たってゆくようにリオレウスの真正面、紅玉の如く煌く双眸の間に刃を振り落とす。  鮮血が吹き上がり、同時にサキネは身体を持ってく刀身の重さを翻した。  返す刀で一閃、横に薙いで切り払う。よろけながらも再度刀身を上段に構えて背に振りかぶり、全身の筋肉をバネに力を溜める。体中の血管がはちきれそうなほどに今、血液が沸騰していた。 「チェスッ、トォォォォォォオッ!」  臨界に達したサキネの全力が、重い刃をまっすぐ垂直に落とした。  断末魔と共にリオレウスの顔面がまっぷたつに裂け、より濃い血液が湯水のごとく辺りに散らばる。返り血を浴びながらもサキネは、地面まで一気に剣を振り抜いた。 「どうやら弱い個体のようですね。本当はもっといやらしく逃げまわるのですが」 「閃光ハメ一回で獲れるってことは、やっぱこの地域のモンスターって柔らかいのかなー」  アズラエルとルナルが、武器をしまいながら言葉を交わす声が聞こえる。  一刀両断、人間断頭台になって刃を振り下ろしたままの姿勢で、サキネは硬直に身を固めていた。吹き出る汗が外気に溶けてゆく、その冷たさが心地よい。限界まで酷使した筋肉が加熱して、その身は炎に炙られているかのよう。  それでもミヅキの掛け声に応えて、素材を剥ぎ取るべくサキネは剣を引っこ抜いた。  若きモンスターハンター達は不測の事態にも柔軟に対処し、見事雌雄一対の火竜を狩猟した。