ユクモ村の夜は活気に満ちていた。渓流に巣食う雌火竜は討伐され、伏したる恐怖の雄火竜もまた排除された。大物が狩られる度に祭りに活気付く村は、あちこちで歌と踊りが連鎖してゆく。  そんな人々の賑わいが遠く聞こえる村の門に、アズラエルの姿をノジコは見つけた。 「アズラエルさん、皆さんと騒がないんですか?」  アズラエルはただ、村の広場で燃え盛る祝いの火に背を向け、外の闇へと目を凝らしている。揺れる炎の光もこの場所では弱く、ノジコにはアズラエルが暗がりに溶け込んで見える。僅かに白い顔をのぞかせ振り向いたアズラエルは、普段通りに僅かに頬を崩した。  見慣れなければ微笑んだと気付けない、それは氷の微笑。 「……まだ、オルカ様が戻られてないのです。アレをお貸ししたので、一応」 「アレ、というと……ああ、オトモアイルーですね。ユキカゼ、今日は凍土なんだ」 「ええ。ですが、どうやら狩りが長引いてるようですね」  アズラエルはそう言ったっきり、また門の外を向いてしまった。  ノジコは時々、この男のことを不思議に思うことがある。同じミナガルデから来たとは聞いたが、その白すぎる肌や体格、彫りが深く整った顔立ちは異国然としていた。時折口にする言葉は理解できず、そんな時必ず追いつく謝罪の声は静かで丁寧。物腰穏やかな印象の好青年だが、どこかあやうい線の細さが透けて見える。  ノジコのアズラエルに対する印象はこんなものだ。  王立学術院で本の虫だったせいか、職業柄勝手に洞察力は働き、空想力はことさら逞しい。 「アズラエルさん、とりあえず向こうで待ちません? お料理、冷めてしまいますし」 「いえ、お構いなく。……おかしい、遅過ぎる」  後半、噛み潰すように囁かれた言葉がそれだ。ノジコには聞き取れても解らない。 「あ、いえ、すみません。折角ですが、ここで待たせて頂きますね」 「はあ、それはいいですけど。じゃあ、私が何かお持ちします」  アズラエルが意外そうな顔を見せた。涼やかな無表情が僅かに崩れて、何度も目を瞬かせる。  そんな長身痩躯の仲間を気にした様子もなく、ノジコはくるりと身を翻した。 「それにしてもアズラエルさん、意外です。心配なさってるんですね」 「勿論、アレはうちの資産ですから。……キヨ様も、その、可愛がってますし」  そういうアズラエルが農場ではこまめに、プーギーの世話をしているのをノジコは知っている。プーギーというのは、この村のハンター達の間にいつの間にか居着いてしまった大きな子豚のことだ。  普段からネコ使いが荒いとオトモの間では不評だが、アズラエルは実は思うところがあるのかもしれない。それに、ノジコが意外だと思ったのはそこではなかった。 「もっとドライな方だと思ってました。オルカさん、無事だといいですね」 「ええ、ベリオロスは強敵ですが、オルカ様なら……私が? ドライ、ですか」  クールでクレバー、いかなる時も平静さを失わない鉄面皮。そういうイメージがあって、でもそうではないと感じるから。ノジコはずけずけとそのことを相手に伝えれるくらい、目の前の男のことを好意的に思い始めていた。  素性は怪しいが、紛れも無くアズラエルは狩りの仲間、同じモンスターハンターなのだと。 「そうでもありません。今日は渓流で危うい瞬間もありましたし」 「アズラエルさんでもですか? 皆さん、アズラエルさんはベテランだって」 「狩りという生業は長いですが、慣れるものではありませんよ」  まして、慣れでしていい仕事でもないとアズラエルは言い切る。  そう、他の者と唯一違う点をあげるとすれば、アズラエルにとって狩りとは……仕事。ただ日々の糧を得る手段でしかないのだとノジコは感じる。そしてそれは、的を射ているだろう。  誰もが皆、狩りこそ生きる道だと言う。ある者は巫女として社に務めながら。またある者は、古龍観測所の職員として自分と同じく学問の道を進みながら。もっと切実な者は、種族の未来を模索しながら……それでも皆、狩りに生きる喜びを見出していた。勿論、ノジコにもそういう気持ちはある。大なり小なり誰にでもと思うのだが、例外が今目の前に立っていた。  アズラエルは夜風に身を抱くと、僅かに肩を落として囁いた。それがノジコの足を止めさせる。 「ノジコ様。ノジコ様は、王都ヴェルドの王立学術院にお勤めですよね?」 「え? ええ、まあ。もっとも今は、飛ばされてきた身ですけども」 「その、火竜種は亜種も含めて、ミナガルデでは一般的な飛竜かと思うのですが」 「そうですね。イャンクックを狩れて一人前、火竜が狩れれば凄腕と言われますから」  戸惑いがちに再びアズラエルに向き直るノジコへ、上からまっすぐ視線が注がれた。 「飛竜とは、生息する地域の環境でああも変わるものなのでしょうか?」 「と、言いますと……」 「狩猟環境が不安定だったとは言え、リオレイアやリオレウスに私は苦戦したのです」  今、目の前の美丈夫を覆っている空気は過信ではない。自信だ。それも、幼い頃からこつこつと積み上げてきた、血の滲むような努力ゆえの自負。そういえば以前、王立学術院で見た資料をノジコは思い出していた。老山龍を撃退した者達の中に、アズラエルの名前は確かにあった。  辺境の僻地に伝わるお伽話では、忌み名とされるその名前……そう何人もいる筈がない。 「あれほど強力なブレスを……雌も雄も尾は高く、少し切りにくかったですね」 「それは、あるかもしれません。どんな生物でも、生まれて育った環境に左右されますから」  そう、それは人間も。  ノジコは改めて、アズラエルをしげしげと眺めた。どちらかといえば図書館などで資料の編纂をしている時間が長くて、ノジコ自身は生粋のハンターとは言い難いが。その彼女が見ても、目の前のアズラエルは鍛えられた屈強な狩人を想起させた。ひょろりと細いのにしなやかな筋肉を身に纏い、逆に無駄な肉は一切ついていない。  どういう環境で育てば、こんなにも洗練された人間になるのだろう?  不思議そうに微笑で見下ろすアズラエルは、まるで鞘に収まる鋭い刃だ。 「もともと同じ種でも、生息地域ごとに違う進化をする、これってよくあることなんですよ?」 「そうですか……亜種なら見たことがあるのですが」  ふむ、と得心にアズラエルは小さく頷いた。  そんな狩りに勤勉なところだけは、立派に他の仲間同様にハンターの顔だ。 「それに、このシキ国は私達のミナガルデと大きく違います。その、笑いません?」  素直に頷くアズラエルを前に、ここ最近考えていたことをノジコは口にする。 「こんなに小さな島国なのに、四季が激しく一年で変動し、驚くほど多くの種が存在する」 「そういえば、ここ冴津だけでも北に凍土、南に砂原……その先は一面、国境の砂海」 「地図を見てみたんですけど、本当に小さい島なんです。これってもしかして」  ――龍脈。  このシキ国は恐らく、龍脈の通り道なのだとノジコは推測していた。龍脈とは、この世界をくまなく覆う力の流れ。その無数の線が交わり集まる箇所を、龍穴とも言う。西シュレイド王国より自治権を与えられた、ドンドルマがそうだとの学説さえあるのだ。  そして、この狭い中に多くの新種を抱えたシキ国もまた、龍脈の影響を受けているのだとノジコは思った。アズラエルは神妙な顔で頷きこそすれ、笑みを消して顔を引き締めた。 「その、申し訳ありません。学がないもので、私には理解が及ばないことなのですが」 「いっ、いえっ! わ、私こそごめんなさい……疲れてるとこ、変な話しちゃって」 「ですが、龍脈というのはキヨ様も昔の仲間達と話しているのを聞いたことがあります」  そして、龍脈という名のパワースポット上に、どのような生物が……否、災厄が横行するかも。なによりアズラエルは、身を持って知っていた。それは人知を超える災害クラスの攻性生物。生物と規定することすら生ぬるい存在。人は皆、畏怖と畏敬の念を込めてこう呼んだ。 「古龍……ノジコさんが案じる通り、このシキ国にも古龍が出るのかもしれませんね」  不意に門の外から声がして、ぼんやりと白銀の鎧姿が浮かび上がる。酷く細くて華奢な、フルヘルムを被ったアロイシリーズの女性ハンター。そのスリットから覗く瞳だけが、ぼんやり紅く光っている。 「あ、アウラさん」 「お疲れ様です、アウラ様。……オルカ様とは、御一緒では? ない、みたいですね」 「オルカさんならわたしより朝早く出られましたけど」  ノジコの胸の内を、言い知れぬ不安が満たした。そしてそれは目の前のアズラエルと共有されているのだと知れば、自然と握る拳に力がこもる。  ただ祭りの喧騒だけが、遠く微かに耳元に届いてきた。