待ち人、来たらず……されど待つ者、減ることもなし。  逆に今、仲間の帰還と無事を待つモンスターハンターの数は増え続けていた。渓流の火竜討伐から一夜明けた夜明け前。まだ霧と靄が立ち込める中、肌寒い空気に身を晒して門に立つ人影が一人、また一人。 「ねえ、お姉ちゃん。オルカっち、帰ってくるよね……」  珍しく神妙な面持ちのルナルに、ミヅキは言葉を探すように沈黙で応えた。  ミヅキとて、妹の問いに肯定を返したかった。それは自分が信じる答であり、仲間と共有する現実であって欲しい。だが、無常にも過ぎゆく時間は、手の指と指の間をすり抜ける清水のごとく零れてゆく。その流れを止める術を今、誰も持ちえていない。  そして、時間が経てば経つほど、クエストの成否や生存率は悪くなってゆく。 「アズラエル、少し寝たらどうだ? 狩りの後に徹夜で番はよくない」  そういうサキネも祭の騒ぎもそこそこに、昨夜からこの場所を動こうとしない。  なにより声をかけられたアズラエル自身が、無理に作った笑顔でサキネの厚意を気持ちだけ受け取っていた。村のモンスターハンターが一同に介して、ただ待つしかできない……そういう空気は重々しく、コウジンサイですら腕組み黙って岩のように動かなかった。 「まるまる一昼夜、凍土までの距離を考えてももうこれは……」 「まだですっ! まだ……せめて日が昇るまでは。丸一日経つまでは解りませんっ」  沈痛なアウラの声につい、ミヅキは声を荒らげてしまう。  だが、素顔を金属で覆ったアウラの言葉は、いつになく平静で冷たかった。 「いかにモンスターハンターとはいえ、極寒の地に丸一日……人間の体力では限界です」  アウラの意見は合理的で、待つ誰もが実感できるものだったが。だが、それを認めてはいけないという気持ちが周囲の雰囲気を固く沈めてしまう。重苦しい空気の中、誰もが押し黙って村の外へ目を凝らした。  東の空は僅かに紫色に染まり、夜の闇が天へと追いやられてゆく……黎明の光はもう、すぐそこまで迫っていた。 「アウラさん、古龍観測所では達成困難なクエストや調査は行わないのですか?」  先程から調合書を開いて腰を下ろしていたノジコが、その古びた紙面から顔をあげずに声を上げた。よくミヅキが見れば、彼女の手はさっきからずっと止まっている。気を紛らわすための作業すら手につかない、そういう時間が訪れている証拠だった。 「そうですね……難易度の高い古龍との戦闘になら、何度か。でもわたし達は基本的に人間じゃ」 「オルカさんは大丈夫ですっ! ……大丈夫なんです、きっと。私が、私達が信じてあげなきゃ」  サキネやアズラエルも大きく頷く。それでアウラも、何も言わずに黙ってしまった。 「オルカ様は戻って来ます。私にユキカゼを返しに……ちゃんと狩りを終えて」  ただ外だけを睨んで身を正すアズラエルの一言で、再びハンター達の場に沈黙が舞い降りる。  その沈滞した空気を、場違いな声がひっくり返した。 「なんだ姉ちゃん、あれはやめちまったのか? ええと、ラングロトラ? の防具、よ。へへ……」 「ひっ、ひあっ!」  不意にアウラが声を上ずらせて飛び上がる。尻を押さえる彼女の背後から、のっそりと現れたのはキヨノブだった。その顔が穏やかな笑顔を湛えているので、僅かに空気が緩む。  同時に、今まで鉄面皮で微動だにしなかったアズラエルが、僅かに柳眉を寄せるのをミヅキは見た。 「キヨ様……」 「家で一人も落ち着かなくってよ。……俺も待たして貰うわ。えっと、アウラちゃんだっけ?」 「は、はい……あのっ、そんなにお尻を撫で回さないで下さい」 「こないだ新調した防具はどしたい? 真っ白なアウラちゃんにぴったり、紅白でめでてぇのによ」 「あ、あれは……その、ちょっと。インナーのない防具というのも、着てて落ち着かないので」  キヨノブはあっという間に、場の凍れる緊張感を解きほどいてしまった。ニヤニヤと締まらない顔でアウラに絡みつつ、周囲の若者一同を見渡し、最後にコウジンサイを見詰める。 「あのあんちゃんは帰ってくる。そうだろ? コウジンサイ」 「若、残念ながら厳しいかと。かように長時間の狩猟、このワシでも経験のないもので」 「それでも帰ってくるんだよ。俺の勘はこゆときぁ当たるのさ」  寒さに手を揉み擦り合わせながら、キヨノブの強い言葉が白く煙る。  このだらしがない男は不思議なことに、一瞬目が合ったミヅキにもニコリと微笑んでくる。次の瞬間にはいつもの下心丸出しな表情に緩むが、ミヅキはおかしなことに幾分逼迫した気分が落ち着くのを感じていた。  そんな時、音が走った。 「お、いいねえ。ただ待つだけもなんだし、よ」  誰もが笛の音を振り返った。キヨノブは突いた杖でトントンと地面を小突き、調子を取ってリズムを合わせる。最初は静かに細やかに、やがて大胆に豪放に。ルナルのオカリナからいつものあのメロディが滑りだした。たちまち誰もが音符に包まれ、胸の奥に旋律を刻んでいった。 「オルカっちに、この笛の音が届けばいいなって……この曲ね、帰っておいでって曲なんだ」  それだけ言うと、不意にルナルは厳しい表情を崩して笑顔で笛を奏で始めた。  たちまち寒さも忘れ、じんわりと四肢に暖かな想いが満ちて染み渡る。 「……いけませんね、私達としたことが。信じているからこそ、少し休みましょうか」 「そうだぜ、アズ。一眠りして起きりゃ、ひょっこり戻ってる……そんな気がするぜ、俺ぁ」 「と、いう訳だ。アウラ、ノジコも。少し休め。ここは私が見ていよう」  ゆるゆると音楽がたゆたうこの場所をしかし、誰もが動こうとしなかった。  当然立ち尽くすミヅキは、ぼんやりと胸中に浮かぶ思い出が輪郭を帯びるのを感じた。それが今、頭の中ではっきりとした形になって唇から零れ出る。 「ルナル、この曲……」 「ん? これね、パパが唯一あたしに残してくれたものなんだ。そうママが言ってた」 「そう、そうね……わたしの母様もそう言ってた。この曲……この、歌」 「歌?」 「そう。ルナル、皆さんも……この曲には詩があるんです。――こう」  ミヅキは胸の手を当て背筋を伸ばすと、凍れる空気を吸い込み、そして一声。  逢いたくなったらまたここへ来てよ ねえ  何気ない会話のふしぶしにある 温もりに気付くから  寂しくなったらまた逢いに来てよ ねえ  僕は行くそう約束の地へ 果てしない祈りを抱きしめて  瑞々しい歌声に調子を合わせるように、ルナルの笛の音が音楽を編みこんでゆく。  仲間を待つ者達の視線を吸い上げながら、気付けばミヅキは夢中で記憶の奥よりメロディを紡いでいた。すこしうろ覚えな、しかし確かなその詩篇がうつろいたゆたう。ミヅキは想いを込めて呼び掛けるように歌声を響かせた。  にぎやかな街はすぐに黄昏を気取るよ  曇りがち瞳抱え いつまでも座りこんでいた  行き場のない恋 ショボイ毎日 汗まみれのシャツで  窓の向こうにはかすかだけれど 春の匂いがした 「逢いたくなったら、またここへ来てよ……ねえ」  ミヅキの視界の隅で声があがった。アウラは恥ずかしそうに兜を脱ぐと、その真っ白な顔をさらして歌声を重ねる。まるで祈りを束ねて願いを積み重ねるように……気付けばその隣のノジコも、ミヅキの声を追うようにハミングを口ずさんでいた。  弾みがついて勢いを増したミヅキの歌声に引かれるように、遠くの稜線が朱に染まる。  夜明けの光が周囲を包み、村の入口に立つ門から長い長い影を引きずりだした。その時、 「む! アズラエル、見ろ……あれは、間違いない」 「サキネ様……ええ。見てください、キヨ様も」 「わーってらあ、みんなで出迎えようぜ! なあっ?」  真っ赤に燃える太陽を背負って、二匹のオトモを連れた影が遠く小さい。しかし確かに、こちらへ歩いてくる。向こうも気づいたようで手を振れば、ミヅキ達は駆け出していた。  歌を、仲間を連れての出迎えに歓声がわき、長い一日の夜が朝へと塗り替えられる。  無事に氷牙竜ベリオロスを討伐したオルカを、ユクモ村の全ハンターが出迎えた瞬間だった。  逢いたくなったらまたここへ来てよ ねえ  張りつめたガラスの心の置き場 見つからずいるのなら  寂しくなったらまた逢いに来てよ ねえ  その絆 答無い闇の中で ため息を集めているのなら